不滅の戦闘
2007年3月10日
TimesOnline

ジェラード・バトラーは、『300』においてグラフィック・ノベルから大画面へとス パルタ軍を率いて行く

「失礼、何ですって? あそこの窓の清掃員を見ていたようだ」彼は右手からタバコをぶら下げて身振りで示した。「ずいぶん大きいね。窓のことだ、あいつ じゃない!」

ロサンジェルスのホテルの燦々と陽の当たっている中庭の噴水の傍らで、俳優のジェラード・バトラーは元気はつらつだった。彼の最新の映画、たっぷりと切っ た張ったのある古代剣戟映画『300』が映画館を襲おうとしているからだが、バトラーは今日はスクリーン上でと同じように生き生きとしている。「ぼくはい つもインタヴューでバカなことを言っている」と、もう1本マールボロを取って、眼は窓の方に彷徨わせながら言った。「実際、こういう冗談を言って、ジャー ナリストがそれを印刷すると、世間の人はぼくが本当に傲慢なんだと思って、とても困ったことになっている。ぼくはそうじゃないよ、ほんとうに」彼は話を止 めて微笑んだ。「ただ熱くなっているだけなんだよ!」

この37歳のスコットランド人には熱くなるだけの訳がある。『シン・シティ』を作ったフランク・ミラーのグラフィック・ノベルを採り上げた彼の最新映画 は、もう何ヶ月もインターネットで騒がれている。映画は、紀元前480年のテルモピュライでの戦いのミラーの解釈を物語っており、ここでレオニダス王(バ トラー)と300人のスパルタ戦士がクセルクセス麾下のペルシャ軍に立向かってギリシアを守った。

ミラーのノベルは1962年の映画『スパルタ総攻撃』をきっかけとし、その先行作と同様に『300』は生き生きとしたアクションの超大作である。だが、新 作では俳優たちは「グリーン・スクリーン」を背景に場面を演じた。これに、監督のザック・スナイダーと彼のチームは、グラフィック・ノベルのページから取 り出してきたパネルのように見える、どこまでも広がるデジタルの風景を重ねた。全体的な効果は、最近のフランク・ミラーの『シン・シティ』を採り上げたも のよりはるかに豊かで、ずっと活気に満ちている。そして、バトラーとスパルタ人の密集軍がこの金と緋色の世界を動いて行くと、まるで油絵を横切って行くか のようで、刃鳴りする剣がパレットに赤を飛び散らせるのだ。

「住むなんて信じられないような世界だよ、そしてそのことがすごく気に入っている。とてつもない物語で、ほとんど理解できないくらいだ。この男たちは本物 の英雄で、道徳的なことをあれこれ考えずに、英雄にこう振る舞って欲しいと思うように行動するんだ。彼らはダーティ・ハリーがやるみたいに、ただそこでう まくやり行なうんだ。レオニダスがやったことを考えてみたなら、今日あんなことをやれるような人がいるかい? あんな風に立向かう人がいるかい?」とバト ラーは言う。

レオニダスとその軍勢はこの映画の中で確かに立向かって、ユダヤ・キリスト教思想以前の時代からの原型的な英雄像を作り上げ、そこでは名誉と英雄的な犠牲 が人間存在の絶頂と考えられた。古典的叙事詩の復活を仕損じた超大作『トロイ』や『アレクサンダー』とは異なり、『300』は素朴で勇敢な物語であり、今 にも怒り出さんばかりで、目もくらむ戦闘場面の連続で綴り合わされている。バトラーにとっては画期的な役となるであろう。彼の誠実さ、深い声、そして率直 に言うと、驚嘆すべき筋肉の権化(前ページで歯を剥いている人)が、彼を一流の主役とするであろう。

「おもしろいね」とバトラーは、無精髭を撫でながら言う。「でも、こういう役をやるといつもさらに注目を集めるみたいなんだ。みんなぼくが『Dear フランキー』、The Jury(陪審員)、『ジェラード・バトラー in the Game of Lives』など他のものもやってきたってことをよく忘れる。きっと、こういう伝説的な人物はもっと記憶に残るからなんだろうね」

これまでのバトラーの伝説的人物のリストには、略奪をもっぱらとするフン族の長アッチラ、アングロ・サクソン神話の剣を振り回す英雄ベーオウルフ、そし て、ロイド=ウエーバーのミュージカルの大画面版に出没する孤独な亡霊の怪人が含まれる。2001年にアメリカのテレビで放映されたアッチラは、当時テレ ビ映画としては2番目に高い評価をうけ、バトラーのハリウッドにおける評判を確立するのに役だった。

「これらの役にとても感謝しているんだ、たとえ実際にはこういった役はぼくが一番強く関心を持っているものではないにしてもね。『300』の前に、こうい うものとは暫く離れていたいと言ったけど、この脚本に抵抗できるかい?」抵抗できなかった、そしてたとえ戦士の英雄を演じることは彼が最も興奮することで はないにしても、これらの役はバトラーが自然な親近感を抱くらしい役なのだ。

「アッチラをやった初日から、こういう価値観を越えるもの、力、名誉、勇気、英雄的な犠牲とどんなにたやすく関わりを持てるかということにびっくりしたん だ。

「怪人をやったときも同じだった。何かとても難解なものに入り込んだんだとわかった。そして、『ベーオウルフとグレンデル』は物凄く精神的で、風変わり で、深遠なんだ。

「それがいつもぼくが理解し、演じ過ぎず、入り込むものなんだ。でも、本当にどうしてなのかはわからない。こういうタイプの人物は原型なんだということを 最近知った。目下そういう神話学にはまっていて、ロバート・A・ジョンソンやカール・ユングのものを読んでいる」*

神話学や原型は多くの俳優の会話に出てくるものではないし、ジョンソンやユングはたいていの俳優の読書リストには載っていないが、バトラーの明るく、活気 に満ち、冗談を言う外面の下には、瞑想的精神があるのだ。

彼はグラスゴーのペイズリーで生まれ、兄や姉と共に母に育てられたーー両親は幼いときに離婚した。バトラーは16歳まで父親とは連絡がとれなかったが、 22歳の時に父が亡くなるまで2人は仲の良い友人となった。バトラーは自分の20代を「クレージーな時代」と言う。大学を卒業後、事務弁護士になる訓練を 始めたが、法律にはろくに興味はなく、余暇のほとんどを自由な精神を持ちながらも情緒的には目茶苦茶な若者として過ごした。

「クレージーな時代だったよ。ものすごく飲んだーー面白かったし、楽しく過ごしもしたんだけど、またあの頃経験していた苦しみのせいでもあっただろうね。 振り返って見れば、そんなに健康的じゃないけど、ぼくを粘り強くしてくれた」大酒を飲むことを止めたことーー彼は9年以上一滴も口にしていないーーは、バ トラーにとって映画俳優としての最初の成功を享受し始めたときに実を結んだ。

「今ではもうあれは全部過去のことだ、酒とは一切関わっていない」と彼は続けた。「ぼくたちは毎日試練に直面しているんだ。そして、それが『300』の好 きな点のひとつなんだよ。ぼくたちが自分たちの人生で直面すること、圧倒的だと思うもの、そういった挑戦、自分たち自身の高潔さを問わねばならない時代を 表わしているんだ。ぼくはのめりこみやすいんだ」この特徴は彼の私生活では試練かもしれないが、仕事には肯定的な効果があった。バトラーはレオニダスがス クリーンで持っているむきむきの体形を作るために、連続して何ヶ月もトレーニングしなくてはならなかった。そして、その努力はやらずにはいられないものに なった。

「沢山のスタントの連中がトレーニングにはまって、それが伝染するんだ。その時点でタバコをやめ、これで完璧にはまった。だって、ますます大きく強くなる 気力があるんだよ、忍耐に関する心のなかの筋肉だね。それと共に、人物像の発展があった。訓練、集中、自分の力への自信だ。ぼくはロサンゼルスで1日2時 間自分のトレーナーと訓練し、それから1日2時間映画のトレーナーと訓練し、その後ヴァレーに行ってスタントの連中と訓練したんだ。そして、モントリオー ルで撮影に入ると、別のトレーナーを雇ったんだーー自分の時間と金で」

『300』における彼の攻撃的な演技のまさに肉体的な特質を考えれば、今疲れ果てていると言うのは驚くべきことではない。目前の計画は「沢山寝ること」、 いかなる精力的なアクション映画の仕事も避けること、ニュー・ヨークのマンション[の改装]を仕上げることだ。バトラーは自分の時間をアメリカとスコット ランドに分け、ニュー・ヨークに落ち着けばスコットランドとロスを行き来するのが楽になると思っている。

「目下の所、ただくつろいで、世界を乗っ取る計画を練り続けるのさ」とにんまりと笑って言った。「ぼくのスペース・ステーションを建設するとかね」家の改 修をし、スペース・ステーションを建設する一方で、ハリウッドの色男として高まって行く名声とも共に生きなくてはならない。『300』でむきむきの筋肉を 見せびらかし、いささか無粋な倍音で、バトラーは両性のファンを多数惹きつけている。「色男と見られるのはとてもうれしい。もちろん、お世辞だけどね。人 が『あのジェラード・バトラーはみっともない野郎だ』っていうよりはいいよ」と、笑う。「そうしたら、また鏡を覗きこめるからね!」

『300』は3月23日に公開。IMAX用特別版も公開される。


スパルタ体制での生涯

この都市国家は紀元前700年から350年にかけてギリシアで栄え、スパルタは南部にあり最も怖れられた。軍事国家であり、あらゆる成人男子は兵士であ り、その他の職は禁じられた。各スパルタ人は奴隷が営む農場を与えられ、それが彼の生活を支えた。

スパルタ兵の厳しい訓練は子宮の中で始まる。妊娠したスパルタ女性は子供が強くなるように激しい運動をしなくてはならない。弱い子は殺された。

7歳で男の子は母親から離され、一人前の戦士になる20歳まで厳しい共同体の環境で育つ。

軍は年齢別に編成され、たとえ結婚した後でも、男は全て兵舎で生活し食事する。

紀元前8世紀に、スパルタは徐々に近隣都市を征服し、征服された者はほとんどが奴隷とされた。

勇敢さがスパルタ人にとっての最大の美徳で、臆病は最大の短所であった。スパルタ兵は楯を持って戦闘から戻るか、殺されて楯の中に横たわって戻るかであっ た。

スパルタ軍はギリシアで唯一の訓練された専門の軍であるのみならず、洗練された戦術を用いた。男たちは重裝歩兵密集陣で戦うよう訓練され、楯をきっちりと 重なるように格子状にして貫通できない移動部隊を形成した。

スパルタ人の最も有名な戦いは2度のペルシャ戦争の間に行われ、最初が紀元前490年のマラトンで、次いで10年後のテルモピュライとプラタイアで、また ペロポネソス戦争の際にはライバルのアテネに対して紀元前431年に行われた。

「歴史の父」ヘロドトスがクセルクセスはテルモピュライでスパルタ人と戦うために100万の兵ーーあの300人が身を投じた数であるーーを率いてきたと見 積もってはいても、現代の歴史家は10万の軍と見積もっている。

本と映画の最高の台詞はヘロドトスから採られている。
ペルシア兵:「100の民族がおまえたちに襲いかかるぞ! 我らの矢は陽を陰らす!」
スパルタ兵:「では、我々は日陰で戦えるというもの」**

スパルタは紀元前362年に軍がマンティネアの大戦でテーバイに負け、遂には崩れ落ちる。

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*いずれも心理学者。

*ヘロドトス『歴史』巻7-226にはこのようにある。
「ラケダイモン、テスピアイ両部隊の奮戦ぶりはかくもめざましいものであったが、その中でもスパルタ人ディエネケスの豪勇は他を圧するものがあったと伝え られる。この人は、ギリシア軍がメディア軍と戦いを交える前のことであったが、あるトラキス人から、ペルシア軍が矢を射かけるときは、無数の飛矢のために 天日もおおわれるほどであると、かくも矢数の多いことを聞かされたとき、次のような言葉を吐いたという。すなわち、彼はこの話を聞いて少しも騒がず、メ ディア軍の数のごときは意にも介さず、メディア軍が陽をおおってくれて、彼ら相手の戦いが、日向(ひなた)でなしに日陰でできるということならば、トラキ スのお方がわれらに知らせてくれたことは結構ずくめじゃ、といったという。ラケダイモン人ディエネケスは、右のほかにもこれと相似たいくつかの言葉を後の 世の語りぐさに残したと伝えられる。」(松平千秋訳)

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