<『300』DVD評>
 Entertainment Weekly
2007年8月10日号

ギリシアが合言葉だ
『300』は展開が早く、歴史に忠実ではないかもしれないが
そのスパルタ精神は言うまでもなく感動的である

マーク・バーナーディン


古代のテルモピュライの戦いを忠実に歴史的に描いていることを期待して、フランク・ミラーのグラフィック・ノベルをザック・スナイダー監督が野蛮で美しく 翻案した『300』にやって来た人は、一番まずいことを期待していたのだ。この映画のしょうもないふざけたナレーションが警告すべきだったのだ。 『300』はリアルであろうとはしていないと。(もっと証拠を挙げるなら、山羊頭の笛吹きやのこぎり歯の腕を持つ処刑人を見てみよ。)一方、レオニダスと 勇敢な300人の物語は事実に基づいており、この語り直しは全くの神話で、正に伝説というインク壷がスクリーンに注がれたものなのだ。

これは1人のスパルタ人から他の者へと語られた物語で、畏敬の念を吹き込み、戦士魂を蓄えるよう意図されたものである。そういうことだから、それに関する ことはすべてが強調されている。演技は最良のやり方であおりたてられている。スパルタの悲劇的な王レオニダス役のジェラード・バトラーの口から出るどのセ リフも、まるでしばらく考え抜き、英雄のジュースを最後の一滴まで絞っているかのように聞こえる。CGで合成したイメージは素晴らしいカバー・ソングのよ うだ。本物ではないとわかっていても、カッコいいから気にしない。それから、あの戦闘だ。スナイダーは殺戮のプレーブック*でありとあらゆる手を使い、い くつか新しいものを生み出し、歴史上最も偉大な最後の抵抗のひとつを行なっている。

そして血が流れるのは、レオニダスがスパルタの神官の評議会の意志をものともせず、わずかの派遣軍を率い、レオニダスの戸口に制圧の脅しをかけた非道なよ そ者で浅黒い退廃的な征服者クセルクセス(ロドリゴ・サントロ)に対する時だ。この映画が驚くべき粗暴なデビューをして以来、多くの人が『300』の行動 に駆り立てられたアクション・ポルノの表面の下にどのようなメッセージがあるのかに思いを巡らしてきた。レオニダスは、さしずめラミー**ならこう表現し たかもしれないが「彼が望む軍隊ではなく、手持ちの軍で」上院の監督を無視して中東の敵と戦いに行くことを考慮すると、これは、ジョージ・ブッシュの砂漠 の十字軍擁護なのか。レオニダスが彼の聖戦軍に加わった他のギリシア人が民兵だーーグレーテスト・ジェネレーション***の正にモルタルの質だったーーと あからさまに嘲ったことを考えると、反アメリカなのか。これは性差別主義者なのか、人種差別主義者なのか、同性愛恐怖なのか。この2枚組セットの特典には いかなる答も見いだせないだろう。それは弱々しいエネルギーをメイキング・オブ・ドキュメンタリーとウエビソード****、フランク・ミラーへの賛辞、そ してヒス トリー・チャンネルの事実に基づく『300』の論拠の検証にあてている。(それと、3つのつまらぬ削除場面は衝撃を与えたり畏怖の念を与えたりし損なって いる・・・ペルシャの巨人が背中に小人の射手を乗せている光景に衝撃や畏怖の念を受けたのでなければ。)
 
だが、この「特別」版はスパルタ人自身のように役割を果たすようにわざと意図されたものであろう。その使命からそれる軽薄な鐘や笛で時間を無駄にしていな い。 ただ見る人を熱烈な賛辞、この獰猛な共和国の戦闘賛歌で驚かせるのだ。
B+

<裏話>
 スパルタ人たちが焼かれたギリシアの村にやって来た時、とりつかれたような少女が兵たちを迎えてからレオニダスの腕に倒れる。監督のザック・スナイダー によると、このキャラクターは『エイリアン』の残酷な攻撃で唯一生き残った戦争神経症のニュートをそのまま使ったということである。
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訳注:
 *アメリカン・フットボールの攻撃・守備のフォーメーションを図解した本
 **ラムズフェルド元国防長官のことであろう
 ***しばしばG.I. ジェネレーションと言われる世代の若い方の半分を指すのに使われる。トム・ブロコーのベストセラー小説の題名からきていて、一般に米国で1911年から 1924年の間に生まれた世代をいう。ベビー・ブーマーの親世代で、その子供たちは怒濤の1960年代から1970年代初頭に権威に挑戦し、特にベトナム 戦争問題に挑戦した。グレーテスト・ジェネレーションは、第2次世界大戦を戦った世代で、また多くは朝鮮戦争も戦い、その後の年月に世界の産業を再建し続 けた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Greatest_Generation
 ****web+episodeの造語で、この映画の撮影中に、メイキング・ジャーナルをネット上で公開していた時に呼ばれたもの。

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