The Phoblographer
Chris Gampat
クリス・ガンパット
2010年3月

『バウン ティー・ハンター』でのジェラード・バトラーを撮る
ーー写真により考える


ハリウッドの色男ジェラード・バトラー主演の『バウンティー・ハンター』がもうじき劇場 公開となる。そのお祝いに、みなさんとたくさんの写真を分かち合い、ジェラードを撮影中に経験したことを語ろうと思う。有名人の写真家としてわたしが経験 したもっとも気持ちよいものの一つだろう。

有名人の写真家は、好かれるか嫌われるかのどっちかだ。ファッション写真の世界と同様、他の写真家が周りにいたなら、ヒエラルキーといつ撮影するかという 順番がある。たった一人なら、独占写真を撮る。公の場では、何でもありだ。金もうけのために有名人の写真を撮ることは、普通の人が携帯写真を撮るのと法的 には何ら変わりはない。ストーキングしているわけでもない。彼らは映画の撮影をしていて、全ては衆人の目にさらされている。

好もうが嫌おうが、それは仕事なのだ。写真の必要と需要があり、その需要を満たす。それはだれもが求めるものだ。アメリカは常に娯楽を求め、常にそうした 写真を見たがっている。

しかし、わたしはジェラード・バトラーを賞賛する。彼がその業界で自信に満ち、才能があり、尊敬すべき若者だからというだけではない。しかし、ジェラード は有名人を撮影して初めての気持ちよい経験を与えてくれただろう。彼はわたしを妨げる山ほどの護衛を持たず、普通の人のように振る舞うのだ。彼はとても率 直で、見物人に話しかけたりまでする。時には、カメラにポーズを取ろうとまでしてくれるようだ。最初の写真に集めた彼のショットでそういうことがわかるだ ろう。

彼は、自分と同じ側の歩道の縁を歩くことすらしないように求めるディーヴァ・タイプではない。そういうことを知るのは素敵だった。

GBGals.com の素敵なレディたちがわたしの写真を取り上げてくれた。実際、わたしが写真を撮ってあげた代理人からは何も言ってきたことはない。

あの夏は写真家として最もキツかっただろう。大学を出たてで、自分で生計を立てようとしていた。この業界に入ったのはタイミングが悪かった。写真を撮って いる雑誌が大々的な削減をしているメディア環境では、過飽和市場だということをすぐに学ぶ。写真家なんてそんなものなのだ。

しかし、素敵な人たちに会うことはすばらしい。ジェラードのような人は、誰も踏みつけたり周りに侍らせたりせずに、なおも名声のヒエラルキーのトップに達 することができる。

そして、仲間の写真家諸君、君たちはそれで奮起するべきなんだ。わたしはそれで、良い写真家になろうと奮起した。しかし、公平を期すならば、素敵であると いうことは常に踏みつけにされるということではない。

『バウンティー・ハンター』は2010年3月19日に劇場公開される。

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