The Telegraph

20111031日(月)

 

ジェラード・バトラー:偉大なるスコットランド人

アクション映画とロマ・コメを支配し、映画一本あたり 2千万ドルも売れる。では、ジェラード・バトラーはどうしていつの間にかハリウッドで売れっ子の主役俳優になったのだろうか?

 

スチュアート・ハズバンド

 

質問だ。英国で最も客を呼べるハリウッドの資産は誰だろう? ジェイムズ・ボンドにして様々な役をこなす生真面目な 俳優ダニエル・クレイグだろうか? マイケル・ケイン卿のような生ける伝説だろうか? あるいは、デイム・ヘレン・ミレンやデイム・ジュ ディ・ディンチといった確かなベテランたちだろうか?

 

答えはこのいずれでもない。英国で一番客を呼べるハリウッドの資産にして、映画一本あたり1,500万から2,000万ドル を上げられる男は、ソーホーのホテルの片隅にうずくまって[スマートフォン]ブラックベリーのキーパッドを連打している。「護衛」が部屋の外についており、外の通 りにはパパラッチが忍び寄っているが、ジェラード・バトラーはハリウッド王族の訪問につきまとう[パパラッチという]下らぬ随行員など何とも思 わないようだった。

 

「どうしてる?」と彼は、6フィート2インチ[188.9センチ]の体を明らかにその目的にはふさわしくない小さな「デザ イナー」チェアに畳み込もうとしながら、グラスゴー訛り丸出しで尋ねた。彼は休暇中の英国特殊空挺部隊のような身なり――黒のポロシャ ツ、濃いグレイの戦闘ズボン、上等なブーツ――で、顔には打撲傷と生きている証があった。目の回りには笑い皺があって、髭に巻き毛で、こ めかみの辺りには白いものが混じり始めている。

 

彼の故郷の挫折した多くの傍観者にとっては、バトラーは[下積みの]跡もなしにぽっと出て来たように見える。もっと心ある 者たち でさえ、彼の米国での成功は、フランス人がジェリー・ルイスをもてはやし続けたり、アルバニア人が故ノーマン・ウィズダムを持ち上げてい るのを見るのと同じ種類の国民的な盲点のせいにしている。だが、7年前に『オペラ座の怪人』の映画の主役でジョン・トラボルタやニコラ ス・ケイジなどを打ち負かして大躍進して以来、『300<スリーハンドレッド>』 のレオニダス王としてとてつもない腹筋を見せびらかす好機が続き、2年後には(彼がゴーバル式に「ジズ!イズ!スパルタ!」の台詞を言う のは YouTube ではお定まりになった)バトラーは胸を打つ魂の探索者を 演じるのも同様に上手いことを証明した。彼はアクション叙事詩(フン族のアッチラやベーオウルフを演じている)とロマンティック・コメ ディー(ジェニファー・アニストンやヒラリー・スワンクと共演)とをまったく易々と混ぜてやっている。

 

彼の映画は、あまり褒めそやす評がないにもかかわらず、いつも1億ドルを超える。バトラーは大体は批評などものとも しなくなって来ており、いつでも好きな時に誰とでも会うことができる。だが、42歳 でこんな立場にいることに彼自身は他の人と同じく驚いているのだろうかと思わずにはいられないだろう。

 

バトラーは片足を椅子の上に置いて、にやりとした。「数年前に、いったいまともな心の持ち主でぼくなんかに賭けてみ ようなんて人がいるんだろうかと思いながら、数百ポンドの予算の映画の打ち合わせをしたことを覚えているよ。」驚嘆して彼は首を振った。

 

「それ以来、自分の目的を見つけ、この与えられた二度目の機会をありがたく思い、信じられないくらい一生懸命に仕事 をする自分が混じり合っている。ここ英国の人たちはこれはすべて魔法で起きたことだと思っているけれども、ぼくはこのために必死で働いて 来たんだからね。」バトラーのプロテスタント的[禁欲的]な労働倫理の最新の例は、より暗く、より深刻な色合いを帯びている。『マシー ン・ガン・プリーチャー』は、サム・チルダース(バトラー)の実話を描いている。彼はペンシルヴァニア州出身の元囚人で貧しい労働者の暴 走族、麻薬中毒者で、一人の精神病の放浪者と特に残虐な出会いをした後イエスを見いだした。

 

彼はその後スーダンに渡り、そこで長期間の内戦の犠牲者のために独力で孤児院を建て始め、特にジョゼフ・コニー率い るウガンダの民兵「主の抵抗軍」(LRA) の非人間的にされた元児童兵に焦点 を当てている。コニーのやり方――手足切断、無理矢理親を殺させる、性的奴隷――は、知的・道徳的に遅れたその地域の基準においてさえ類 のない虚無的なものである。

 

これは事実は小説よりも奇なりという話の1つである――実際、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、マーク・フォース ターが監督(『モンスターズ・ボール』)したこの映画を、「あまりに真実に忠実すぎて良くない」と述べた――しかし、バトラーから下々ま で、関わった人は皆このプロジェクトにすっかり傾倒していて、この地球上の特に暗い片隅に光を当てている。だが、スターであると同時にエ グゼクティヴ・プロデューサーでもあるバトラーにとっては、訴えていることは明確だった。「つまり、サム・チルダースだ・・・」彼はゆっ くりと首を振った。「彼は暴走族で、牧師で、銃を振り回す犯罪者で、何層もの精神疾患が働いている。ぼくは『できるかどうかわからない な』という役には興奮するんだ」

 

映画では、チルダースの精神病者=聖人の同一化した精神的な面を探求することを避けてはいない。「おまえはただの麻 薬中毒のストリッパーだ」と彼は牢から解放されると長く苦しんでいる妻(ミッシェル・モナハン)に吐き捨て、後にはLRAとの戦いにAK47を振り回 すことも厭わず、「アフリカのランボー」というあだ名をつけられる。では、バトラーはチルダースに会うこと、そして体現することを怖がっ たのだろうか?

 

「そうだよ。だって、彼は馬鹿者は許さないと聞いていたからね。ぼくは彼よりもたっぷり頭一つ分背が高いし、肉体的 にもまるで違う。でも、彼のまねをしていると感じたことはない。ぼくがわからせたいのは、彼の力、威張った態度、狂信、語り手としての才 能、ブラック・ユーモア、戦士の特質、こうした子供たちに感じているとてつもない共感なんだ。」チルダースは映画を見た――そして幸いな ことに、何もかも気に入った――そして、バトラーにとっては、単なるもう一つの仕事ではないことは明らかだ。

 

彼がLRAについて調べたことを語ると き、その目には涙が 浮 かぶ――「切り刻まれて死んだ人たちの映像を見たんだ」――そしてその経験は先へ進むことを難しくした。「たいていは映画を終えると、変 てこりんな適応期間があるんだけど、なんか元気になって興奮してそこから出てくるんだよ。ところがこれは、燃え尽きて疲れ果てた気がし た」と彼は言う。「何人かの友達を、撮影をしていた南アフリカに連れて行ったんだ。そして、サファリに行くことになっていたんだけ ど、ぼくは実際『どうして人と一緒にいて動物なんか見たいんだろう』って思いに取り憑かれた。」彼は肩をそびやかした。「でも おかし なことに、ぼくは本当にリチャード・ブランソンのサファリ・ロッジに行ったんだ。それで、野生の中にいて、子象と一緒に歩いて行く象から 5フィートの所に立っているってことの回復力は本当にもの凄く効いたんだ」

 

『マシーン・ガン・プリーチャー』を見る人には、何を受け取って欲しいのだろうか。「あそこで何が起きているのか、 どれほどそれが恐ろしいことかもっと知って、何かしら関わるか、一人の人間が持つ力に気がついて欲しい。なにかを感じて欲しいんだ。感動 して、刺激を受けて欲しい。」バトラーの映画との情緒的一体感はさらに深くなる。チルダースの自己破壊的贖罪の物語の弧は彼自身のそれを 映し出しているのだ。

 

バトラーが6歳*のとき、彼の家族はスコットランドからモントリオールへ移民した。18ヶ月後、結婚が破綻したマーガレット・バトラーは、3人の子供たちを育てるためにペイ ズリーに戻った。バトラーは父エドワードに14年間会わなかった。ようやく再会す ると「ぼくの中にあ、嵐をかき立てた」と彼は言う。そして、父が2年後**亡くなると、バトラーは取り乱した。

   * 生後6ヶ月の時の間違い

**ジェリーが以前自分で 語っているが、父との再会は16歳の時で、父が亡くなったのは22歳の時なので、再会した2年後ではなく6年後のこと。

 

学業に優れ――ペイズリーのセント・マイリン校とセント・マーガレット校の首席になった――グラスゴー大学に進学し て法律を学び、エジンバラで司法修習生の地位を得たが、[酔っぱらって]自分の頭の上で瓶を割ったり、ロッド・スチュアートの『セイリング』を鼻歌で歌いながら クルーズ船からぶら下がったり*することの方にもっと興味があったようだった。「人生を掴むことを待てずにいた16歳の時から、寝てる間に死んでも構わなかった22歳 までは絶望的だったんだ」と、彼は怒濤の時代について述べた。弁護士の資格が取れる1週間前に、彼はクビになった。

 * 父との最後のクルーズの時に、酔っぱらってやったこと。

 

「ぼくは、途方にくれ、クレージーで攻撃的で怖くて仕方がないとはどんなことか、世の中に向かって何の役にも立たな いし目的もないと叫び、しかもせいぜいできることは叫びながら倒れて、できるだけ多くの人を道連れにし、その過程で本当に立ち上がるとい うのはどんなことか知っている」と、今彼は言う。

 

バトラーはロンドンに逃げ、10代の時に通っていたスコ ティッシュ・ヤング・シアター時代の旧友を探した。彼女は彼を、役者兼作家兼監督で、『コリオレイナス』の新しいプロダクションのキャス ティングをしていたスティーヴン・バーコフに会いに連れて行った。バーコフは感銘を受け、彼を雇った。それから彼は『クイーン・ヴィクト リア/至上の恋』『トゥモロウ・ネバー・ダイズ』で端役を得、それから2000年にロサンゼルスに出発し、じきにララ・クラフトの映画にアンジェリーナ・ジョ リーと並んで現れ、そしてジョエル・シューマッカーが『オペラ座の怪人』で彼に賭ける前には、低予算でヒットした英国の『Dear フランキー』でエミリー・モーティマと共演した。

 

バトラーはどうなっていたと思っているのだろうか・・・「もし演技することを見いだしていなかったら?」と、彼は質 問を補完した。「実に簡単だよ、死んでいただろうね」と、身を乗り出してコーヒーをさらに一息に飲んだ。「そう、死んでいただろうな」 と、彼は顔を輝かせた。「子供の頃、映画を見て、世界を引き受けたい、恋をしたい、スペンサー・トレーシーやスティーヴ・マックイーンみ たいにかっこ良くなりたいと思いながら出てくるのが大好きだったんだ。そして、今はぼくがそういう影響を人に与えることができると思う と、素晴らしいことだよね」

 

バトラーが、観客のうちの女性たちに与える影響は特にかなりのものだ。無数のフェイスブックのファン・グループが判 断のたしになるなら――「ジェラード・バトラーはわたしの夫」、「彼はまだそれを知らないだけ」、「ジェラードの腐女子」、「ジェラー ド・バトラーは触れるだけで妊娠させられる」などだ。彼は明らかに女性的な面に通じているのだろうか? 「そうだよ」と、彼は笑った。 「今はそうだと思うけど、常にそう言えるわけじゃなかった。単なるミスター・アクション・ガイだったかもしれない。その面でのオファーは うじゃうじゃあったんだ。でも、ぼくは子供の映画『ヒックとドラゴン』をやり、それからロマ・コメをいくつもやった。まるで違うリーグで 試合をしているみたいだった。『OK、アクションではかなりうまくやった。ロマン ティック・コメディやドラマではどこまでやれるか見てみようか』ってね。」

 

しかし、それどころかバトラーはハリウッドの専属女たらしとしての役を楽しんでいるようだ。インタヴュアーには独身 であることをマントラのように唱え、一方では、キャメロン・ディアス、ナオミ・キャンベルからジェニファー・アニストン、最近ではモデル のサラ・キャロルまで誰とでも噂になっている。

 

わたしはかつて俳優兼監督のリチャード・ウィルソンにインタヴューし、どうして酒をやめたのかを尋ねた。彼は自分は 「酒飲みではない」と答えた。この時までにさらに椅子に体をねじ込んで顔をゆがめていたバトラーがやはり酒飲みではないのははっきりして いた。彼は実際に10年以上前に酒も麻薬もやめ、ついに2008年にはチェーン・スモーキングの習慣も断ち切った。

 

今では彼は仕事中毒で、今後のプロジェクトについて語った――ジェシカ・ビール、ユマ・サーマン、キャサリン・ゼ タ=ジョーンズとの Playing the Field、 Mavericks というサー フィンの映画、彼の演劇の過 去を認めるレイフ・ファインズとの近日公開の『コリオレイナス』は言うまでもない――「もっと飛んで行くための機会として。 ちょうど[ルーニー・ チューンズの]・ コヨーテが崖を走って出てしまい、 薄い空気の上を走って行くみたいにね。」バトラーがもがくのはいつでも仕事と仕事の間の時間で、スターたちの精神的導師ディーパク・チョ プラから1対1の瞑想の訓練を受けたり、Mihaly Csikszentmihalyi による瞬間の中に生きるための探求についての本 Flow: The Psychology of Happiness 『流れ:幸せの心理学』の美点を褒め上げたりし ている。役に立っているのだろうか?


「仕事は信じられないくらい充実感があるけど、仕事をしていない時が一番幸せな状態になりたいな、そうすれば仕事 を減らせる」と、彼は言う。「この数ヶ月は、南部の州をハーレーに乗って回り、ヘリコプターの操縦を習ったり、サッカーをしたり、サー フィンを習ったりしている」彼はくすくす笑った。「まったくもう〜、こう話していながらも、頭の中では『おい、自分の言っていること を聞 いているのか! いい加減リラックスしろよ! もう、少しは寝ろ!』って呆れているよ」


『マシーン・ガン・プリー チャー』は、水曜日に公開される。


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