Miami Poetry Review

遮られたロマンス

ミッチェル・ワレン
2008 年1月2日 午前2時25分

『P.S. アイ・ラヴ・ユー』はホリー・ケネディという若い寡婦の物語である。(このところ取り付かれたように、極端に女性的な役ばかりやっている)ヒラリー・スワ ンク演じるホリーは、(ジェラード・バトラー演じる)魅力的なアイルランド人の夫ジェリーの良さがちゃんとわかっていない、いささか自己陶酔型の若い女性 に見える。お決まりの型なら、彼女は教訓を学ばなくてはならないし、2人のバカげた喧嘩の後程なくしてジェリーが亡くなったとき、打ちひしがれる。驚いた ことに、映画は主演俳優が亡くなった後でさえ、ロマンティック・コメディとして演じ続けていく。ジェリーとホリーとの過去の関係についての様々なフラッ シュ・バックが、ホリーが現在の喪失に対処することを学んでいる間にすらあるのだ。

映画の物語は、亡くなった者がホリーに送った死後の「手紙」を前提にしている。彼は本当に亡くなっているが、前もって夫を亡くした妻に宛てた手紙を書い て、どのように過去を解き放つかを事細かに説明するのはとても気の利いたことだろうか。もちろん、映画の軋轢はホリーと家族(2人の姉妹とおせっかいな母 親)がこの風変わりな愛の表現に対する反応にある。ジェリーがしたことは本当に愛しているのか、それともほとんど残酷で異常なのだろうか。結局のところ、 もし誰かが素敵なあの世からまだ冗談を飛ばしていたら、どうやって過去を忘れて人生を進んでいくことができようか。映画はこの概念を引き出して、酷い悲し みをもっとバカげたコメディの瞬間と混ぜ合わせてる。しかし、真に驚くべき偉業は、『P.S. アイ・ラヴ・ユー』が主人公がぶっ倒れたずっと後も、古典的なロマンスとして続いていることだ。

ジェラード・バトラーが映画を先へ進めていることは否定できない。彼の奇抜なカリスマが、映画のぎくしゃくした導入部を首尾よくきり抜けて、お涙の結末ま でもっていく。他にもホリーの目を引く男性の愛の対象がいる(そのうちの一人は先が読める事柄を受け継ぐ)が、その誰一人として典型的ロマンティックなア イルランド人としてのジェリーの地位を盗めるほどの者はいない。実際、他のホリーの恋人候補が映画の主な弱点である。(それにもかかわらず、ある者はあち らこちらでどうにか頑張っている。)

ハリー・コニックJr. は家族の友人で知り合いのダニエルを演じている。彼は、ホリーに夢中になるが、驚くほど社交性がない。あいにく、脚本家のリチャード・ラグラヴェネーズと スティーヴン・ロジャーズは、実際に彼は愛情の点で常軌を逸した不満なよそ者、動機が謎で、ジョージ・コスタンザ*を演じようとしているフランケンシュタ インのありとあらゆる魅力を備えた者という印象を与えると、味なスクリーン上の存在としてダニエルを片付けてしまう。ハリー・コニックJr.  は実際には過小評価されている俳優で、一風変わったスクリーン・キャラクターを演ずることを楽しんでいるようだ。コニックJr. は脚本家の創造にうんざりして、この相手役を惹き付ける恋の対象の腕に、ある独創的なヒロインを入れようとしたと見る者は感じてしまうだろう。その実験は 失敗した。この怪物は生きてはいない。脚本の最終章はこのしくじった性格にふれていて、シチュエーション・コメディの常套句で笑い飛ばそうとしている。 『P.S. アイ・ラヴ・ユー』には運のいいことに、深い悲しみがこの根覆い(マルチ)を吸収するに足るだけある。
[* 米国のテレビのシチュエーション・ドラマ Seinfeld (1989-98)のキャラクター。ジェイソン・アレクサンダーが演じた。「背が低く、ずんぐりして、おつむが鈍く、禿げた男」とか「愚者の王」などと言 われている。]

弱点は脇へ置いて、『P.S. アイ・ラヴ・ユー』は、時折想像力に限界があるにしても、情愛のある映画である。しかし、この映画には深くロマンティックな魂がある。最近見た中では唯 一、私たちが知っていたラヴ・ストーリーは結局は滅びる運命にあったのだということを支持したくさせた映画かもしれない。
評価:B+

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