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2007年12月21日(金)
『P.S. アイ・ラヴ・ユー』はバトラーをさらに上昇させる
ジョージ・ラング
エンターテインメント副編集長
ロスアンジェルス発 ーー たいていの映画の観客にとり、ジェラード・バトラーの演技経歴は2つの局面にやすやすと収まる:怪人、ヴァンパイア、フン族の
アッチラとして苦労していた年月と、『300』が大ヒットしてからの栄光の月日だ。[『300』の]
世界的な大ヒットに続いて、『P.S.
アイ・ラヴ・ユー』でオスカー受賞者ヒラリー・スワンクと組んだことは小切手を切った制作者と、チケットを買った観客の双方に取って道理にかなったことで
ある。
このところ、このスコットランド人の俳優は突然の出世以前の日々について冗談を飛ばし、ロスアンジェルスのビヴァリー・ヒルトンでの記者会見日に目くばせ
しながら、「そんなことはないよ、ぼくはいつだって成功している役者だ!」といったようなことを言う。しかし、『300』でのレオニダス王としての演技が
バトラーの人生とキャリアを変えるはるか以前に、彼は下帯の代わりに法廷弁護士を目指す運命だったようだ。
「うん、信じるかどうかは別にして、ぼくは弁護士としての教育を受けた。だから、法律を5年間学んで、2年間事務所で弁護士として訓練をうけた」とバト
ラーは言う。「そして、それは最終的にうまくいかなかった。ぼくの人生で長い7年間で、あと1週間で資格が取れる所だったんだけど、クビになった。なにし
ろ、ちょっとどうかしていたからね」
バトラーは、「どうかしていた」とはどういうことかを説明しないが、その時期は「無秩序でまともではなかった」と述べる。
しかし、彼は演技キャリアを始めるのになんとか間に合った。1997年に、英国のテレビや『トゥモロウ・ネバー・ダイ』などの映画でちょい役を得始めた。
バトラーは英国のプロダクションでキャリアの準備を整え、ロンドンでのフラットに貯金をはたいたが、不動産の契約をしたちょうどそのとき、エージェントが
米国での2つの役を手に入れた。2000年のミニ・シリーズ『アッチラ』と『ドラキュラ2000』の主役である。
『300』が4億5,600万ドルの収益を世界中で上げてから、バトラーのキャリアの先行きは劇的に変化した。来年は、ファンタジー映画『ニムの島』で
ジョディー・フォースターと主演し、ガイ・リッチー監督の銃と殺人への回帰『ロックン・ローラ』で主演する。
だが彼は、グラスゴー大学法学部での年月と修習生の2年間を無駄な時間とは思っていない。むしろ、その経験がバトラーに自己の経歴について貴重な教訓を与
えた。
「そのどれ一つとして無駄な時間とは思っていない。一時期演技に集中するために学校をやめることを考えたんだけど、もしやめていたらここにはいなかっただ
ろうねーー成功してはいなかっただろう」と彼は言う。
「法律を勉強していた時と、弁護士としての訓練を受けていた時に得た指導ーーだって、ぼくは何かしらを学んだからねーーは本当にぼくのキャリアをうまく
やっていく助けになっている。どれを選んでどれを選ばないか、会議にはどう準備するか、良い会議と悪い会議の違い、仕事を得るか得ないか、それがすべてな
んだけど、そういった点から役者としてのキャリアを作っていく上でどんなにややこしくなるかは驚くべきことだよ」
「もし若い時にその経験なしにやめていたら、そういったことを何も言えないだろうね」
[『300』の] ワーナー・ブラザーズのおかげで、旅と宿の採算はとれた。