Scotsman
2005年2月10日
キルト:スコットランドの文化にきっちりと織りこまれたもの
リーアム・パターソン
世界の国々の中でも、スコットランドとキルトのようにその民族的な起源
と密接に結びついた衣装がある国はほとんどない。数世紀にわたって、キルトはスコットランドの誇りとアイデンティティーの象徴へと発展してきた。一切れの
布が、その国の歴史的な過去と色とりどりの文化と力強く結びついているのである。
そもそも、キルトとは長い布をベルトの回りで襞を寄せて、余った布を肩に掛けているだけのものである。これで、暖かく融通が利いて丈夫な、簡単で実用的衣
服となる。また、着ている人に動く自由を与え、効果的なカムフラージュとなり、もし必要とあればたちまち隠れることができるので、優れた「戦闘」着ともな
る。
今日見られるきっちりと定まった多色のタータンの範囲は、19世紀以前には知られていなかったであろう。クラン(氏族)名を持つ初期の模様の多くは、
1800年代初頭のバノックバーンのウィリアム・ウィルソンの織物工場に遡れるだけなのである。
18世紀半ば以前のタータンの模様の大部分は、地元の素材と自然染料に基づいた地域的な性格のもので、男が何を身に着けるべきかという決まった規則がな
かったようなので、色と様式があれこれと混ぜ合わさったものが標準的なものだったであろう。
18世紀半ばにキルトが禁止され、高地地方(ハイランド)ではめったに着ているのを目にすることがなくなったが、低地地方(ローランド)の多くの人たちに
はじきに、一部のイングランド人を含めて、美しい土地を歩き回る高貴なる野蛮人のいるロマンティックなスコットランドの過去の象徴となった。1746年以
前には恐怖と嫌悪と憎しみの目で見られていた人たちが、今やその力が打ち砕かれたとなると、懐旧の対象となった。実際、北部の当事者たちは高地地方解体令
の屈辱に屈服させられ、多くの場合アメリカやカナダでのより良い生活を求めて故郷を捨てたのであった。
キルトは18世紀後期に甦る。1782年に、ロンドンの高地地方協会によるキャンペーンが功を奏して、タータン禁止を覆した。
また注目すべきは、国王ジョージ4世の1822年のスコットランド行幸である。その旅程は、作家のウォルター・スコット卿がお膳立てしたのだが、彼は、
『ロブ・ロイ』などの本で高地地方人(ハイランダー)をロマン化した。王は高地地方の衣装をまとって現われ、群衆から無条件の歓迎を受けた。この王の承認
の印で、高地地方の衣装ーーもっと特定すると短いキルトーーがスコットランドの象徴となるに至った。