❖❖ 百年 戦争とその背景について ❖❖

 はじめに

さて、講義を始めるよ。『タイムライン』でぼくが時間旅行をして転送されたのは1357 年だった。ちょうど百年戦争の真っ最中だ。百年戦争というのは、イングランドとフランスとの間で、およそ百年にわたって断続的に続いたのでこう呼ばれてい る。実を言うと、ここの館の主は突っ込みどころが多すぎて、ぼくのことは気に入ったけど映画そのものは気に入らなかったというんだよ。まあ、確かに穴だら けの映画だがね。おまけに、館の主はぼくが主人公だと思ったらしい。いや〜、ポールに済まないなあ。彼が主人公のはずだったんだけどね。

ところで、あそこでぼくがスコットランド人(スコット人)という設定になっているのは原作とは違うんだが、ぼくのスコットランド訛り が取れないからそうい う設定にしたと いう訳でも無いと思う。実際、ぼくたちが捕まったのは相手がイングランド人だったからだ。同じ英国人同士だろうって? いや、それは現代のことだ。あの時 代はまだ別の国で、おまけに敵対していた。スコットランドはフランスと手を組んでいたんだよ。共通の敵イングランドに立向かうための、遠交近攻さ。うん、 こんな言葉知らないって?(やれやれ、近ごろの子は・・・。)だからフランス人のフランソワを初めとして、ぼくたちは疑われたんだ。

ま、とにかく、そういうわけでぼくたちは捕虜になってしまったんだが、ではどうしてスコットランドとイングランドは敵対しているの か、どうしてフランスと イングランドは戦争をしているのかということをこれから話そう。それにはまず、11世紀に遡らなくてはならない。ほらほら、みんな前列でヨダレ流していな いで、ちゃん と聞いていなさいよ。

1. プラン タジネット朝の成立


さきほどから、イングランドと言って、英国とは言っていないね。現在の英国という国は近 代になってからスコットランドとアイルランドを併合して成立したものだ。だから、現在の英国の正式国名は「大ブリテン島と北アイルランド連合王国」と言う だろう。中世にはまだ別の国だった。当時のブリテン島は、イングランド、ウェールズ、スコットランドと分かれ、それぞれ王もいた。だから現在でもウェール ズもそうだが、スコットランドはイングランドとは違うという意識があり、誇り高いんだ。スコットランド内だけで通用する紙幣もある。1999年にはスコッ トランド議会に外交以外の自治権が与えられ た。300年ぶりの自治だと大騒ぎになったんだよ。ここの館の主は、むかしスコットランド人のお爺ちゃんの先生が、我々スコットランド人にとっては今の女 王はエリザベス1世だ。なぜなら、スコットランドがエリザベスという女王を戴くのはこれが初めてなんだから、って言ったのを聞いて、へえ、と思ったそう だ。まあそれくらい、今でもイングランドとは別だっていう意識が強いんだよ。ジェリーだって、あのサッカーの映画で、イングランドを負かすのが嬉しかった とかって言っているだろう?

さて、これから話すのはスコットランドではなく、イングランドのことだ。イングランドの支配者は1066年に、大陸のノルマンディか ら渡ってきて、当時の イングランド王ハロルド2世を負かして征服したギョームが王位につき、フランス系のノルマン人に交替する。彼がウィリアム1世として即位 し、ノルマン朝が始まった。この戦いの様子は、バイユー・タペス (ト)リーと呼ばれている幅50センチ、長さがおよそ70メートルほどある布に刺繍されて 描かれ ている。これには8色の糸が用いられ、1070年から80年にかけて作られたと思われる。ちなみに、これにはハレーすい星も描かれているんだよ。ほら、こ こでハロルドが指さしているだろう。なお、ハロルドはデンマーク系のデーン人の王だ。
Bayeuxtap1.william
これはバイユー・タペスリーに描かれたウィリアムの像だよ。
先頭の黒馬に乗っているのがそうだ。

'WILLELM: DVX INMAGNO:' と上にラテン語で書かれているね。'The image of King William' (ウィリアム王像)という意味だ。
この1066年という年はしっかりと覚えておかなくてはいけない。なぜなら、これによってイングランドの言葉、つまり英語が大きく変 化することになるから だ。今も言った通り、フランス系のノルマン人が支配者になり、ゲルマン系のアングル人とサクソン人が被支配者となった。これによってどういうことが起きた かわかるかな。言語の二重構造だ。支配者階級はフランス語の一種であるノルマンディの言葉、つまりアングロ・ノルマンと言われるようになる言葉を使ってい る。一方、アングロ・サクソン人は英語だ。英語といっても、今の我々にはとてもわからないドイツ語に近い言葉だ。実際、オランダの一部の地域の人は今でも わかるそうだよ。まあ、英語だと「ゲルマン人」も「ドイツ人」もともに German だし、低地ドイツ語はオランダ語に近い。それと、言い忘れていたが、「イングランド」という名は Angle's land すなわち「アングル人の地」から来ている。

言語の二重構造の実例を挙げてみよう。君たちは牛のことは何というかな。そう、cow とか ox、bull というね。では、牛肉はどうかな。そう、beef だね。じつはここに今言った言葉の二重構造が端的に出ているんだ。つまり、生きている間は世話をしているアングロ・サクソン人の言葉である英語で呼ばれ、 お皿に載るとフランス語になっているんだよ。食べるのは支配者だからね。豚もそうだ。Hog、swine が pork になる。こうして、英語の中にフランス語が入り込んできた。そして、このような言葉の二重構造の状況が百年戦争の頃まで300年も続くんだ。

ところで、さきほどのウィリアム1世の孫ヘンリー1世の皇太子ウィリアムが1120年に、英仏海峡を渡っていたときに乗船ホワイト・ シップ号の遭難で亡く なってし まう。実はこれが百年戦争の遠因となるんだよ。ヘンリーにはあとは神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世の皇后となって、皇帝亡き後は呼び戻していたマチルダ、 通称皇后モードという娘しかいない。1127年に、王は彼女を16才のアンジューのジョフロワと再婚させ、臣下の者たちに彼女への忠誠を誓わせる。この結 婚によって、ノルマンとの絆を強めようとしたんだ。モードは1133年に息子を産むんだが、1135年にジョフロワがノルマンディのいくつかの重要な城の 管理権を要求して断られ、ヘンリーとの戦争になる。しかし、その最中に12月に王が亡くなってしまう。

こうしてイングランドの王位は、マチルダに行くどころか、その従兄で12才年上のスティーヴンがうまいこと手にしてしまう。彼は弟の ウインチェスター司教 ブロワのヘンリーを使って教皇に働きかけ、臣下の支持も得た。ヘンリーが亡くなった時マチルダは大陸のアンジューにいた。スティーヴンは彼にしては珍しく 断固た る決意を発揮して英仏海峡を渡り、1135年の12月22日にロンドン市民によって王冠を授けられた。

もちろんモードだって黙ってはいない。だが、大陸でじっと時の来るのを待っていた。1139年の秋にマチルダは夫と、自分の腹違いの 兄弟グロスター公ロ バートを伴いイングランドを侵略する。ロバートはスティーヴンを捕え、モードが王冠を手にする。ところが、高慢過ぎてロンドン市民に追放されてしまう。ロ バートが捕まり、王と交換される。こうして、王位が行ったり来たりと、不安定な状況が1148年まで続いた。しかし、1153年にスティーヴンの跡継ぎの ユースタスが亡くなるとモードの息子アンリが自分と母親の権利のために乗り込んできて、戦いとなり、ついにウォリングフォードの条約で、スティーヴンが亡 くなるまでは王位にあって、その死後はアンリに王位を渡すということで妥協した。こうして、1154年にアンリはヘンリー2世としてイングランドの王位に 就 いた訳だ。これがプランタジネット朝の始まりだ。

さて、そろそろ時間が来たから、今日の講義はここまでだ。図書室に本があるから紹介をしておこう。
まず、修道士カドフェルのシリーズだ。これはまさしくこのモードとスティーヴンの戦争の時代を背景としている推理小説だ。
それから、同じくこの時代を背景としているのが、ケン・フォレットの「大聖堂」だ。
これは、中世の大聖堂の成り立ちがよくわかるという点でも役に立つ。そ れを知って教会を見ると、また違うものが見えるはずだ。
百年戦争については、作家の佐藤賢一の「英仏百年戦争」(集英社新書)が簡潔でしかもよくわかるよ。
スコットランドに興味のある人は、高橋哲雄の「スコットランド 歴史を歩く」(岩波新書)がわかりやすい。
それでは今日はこれでお終いだ。


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