次の文は私が平成11年頃にインターネットで見つけたものです。
私の考え方とそっくりなので皆さまにも読んでいただきたいと思い、ここに載せます。
ご意見を掲示板、またはメールで頂ければ幸いです。
子に諂(へつら)うことなかれ
…「子供は先生の指導に従うのが当然」という固定観念を転換…。
…小学3年の担任は「運動会で『ちゃんと並んで行進しなさい』などと一方的に押え付けたのが(子供にとって)ストレスになったのかも」と反省…。
これは、最近共同ニュースがとりあげた日本の文部省の最終報告「学級崩壊の状態から回復した小学校の事例」から拾ったものである。
そこには…「子供は授業を静かに聞くのが当たり前だ」といった従来の子供服、授業観を捨てて、子供に丁寧にかかわったことが回復例共通点になっている…とあり、何とも不思議な思いにとらわれた。
従来の日本の学校教育というものが、子供の意見を完全に無視し、子供に質問の機会も与えず、教師が威圧的な態度で一方的に命令し、それに従わない生徒には容赦なく体罰を加えてきた、というのならいざ知らず、子供を腫れ物にさわるかのように扱ってきた昨今の日本で、これまで以上に「子供と丁寧に関わって」一体学校教育が成り立つものだろうか。
現在日本の小学校の1クラスの上限は40人で、多くは20人前後のようだが、学級破壊は、それまでの少人数のクラスが何らかの事情で統合され、40人に近くなった教室で起こりがちとあった。
この記事には、授業中に先生の話を聴かずに、ウロウロと歩き回ったり、おしゃべりをしたりする生徒を担任の教師がコントロールできず、校長、教頭、同僚がその教室に行き、生徒が落ち着くまで話を聞くことで解決に向った、という実例もあげられていた。
こういう子供は大人の注意を自分に向けさせるため、泣いたりわめいたりする“幼児”と大差がないように思える。
親は子供が小さい頃から、「時には自分の思い通りに行かないこともある」ということを、子供に繰り返し教えこまなくてはならないが、最近はそうした訓練を受けることもなく、集団生活で守るべき最低限の規律さえも知らない子供が増えているようだ。
ムカシムカシ、私が小学生の頃、1クラスの生徒は50人から60人が普通だった。それでも生徒は先生の言うことをよくきいた。
確かに現在は教師も生徒も、家庭環境も、学校自体のあり方も、昔とは大きく変っている。しかし、今も昔も、授業を静かに聞き、先生の指導に従うのは、生徒として“当たり前”のことではないのか。教師は子供を一個の人間として尊重すべきだが、これは何も生徒を友だちのように扱うことではないはずだ。
子供が本当に必要としているのは友達のような大人ではなく、時には厳しく叱り、時には励ましながら、子供が自分の頭で考え、判断していく力、くじけない精神力を養ってくれる大人ではないだろうか。
最近よく聞くことばに、子供の判断に任せる、子供の権利を認める、というのがある。いかにも子供を理解し、物わかりの良い親や教師であることを子供に評価してもらおうという感じがある。しかし相手が、責任をもって行動することのできない子供の場合、そこにはおのずから限度がある。
親は子供をのびのびと、おおらかに育てるために、あれをするな、これはいけない、と子供にうるさく言わない、と自信をもって語る。常時親の注目を一身に受け、欲しいものは何でも与えられ、したい放題で育った子供は我慢することも、他人を思いやることも、感謝することも、反省することも知らない。
子供をのびのびと育てたい、というのは全ての親の願いであり、心の「ゆとり」から自由な発想や大きな構想が生まれるのも事実だ。
しかし精神的には未熟で自己中心の人間は、どこの国でも、いつの時代にも使いものにならないことをしかと肝に銘じるべきだろう。