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馬インフルエンザの影響で中央,地方とも競馬開催中止が相次ぎましたが,
1971年暮れから72年にかけても関東で馬インフルエンザが大流行,
9週間にわたり開催が中止になりました.
このためクラシックレースの日程が大幅に変更となり,
この年の皐月賞は5月28日と,例年ならダービーが行われる時期までずれ込んでしまいました.
そして,この皐月賞の勝ち馬がランドプリンスです.
ランドプリンスはいわゆる「サラ系」でした.
「サラ系」と呼ばれる馬には2種類あり,一つはサラブレッドにアラブ種の血が25%未満入っている馬です.
(アラブ種の血量が25%以上の場合は「アングロアラブ」と呼ばれます)
そしてもう一つの「サラ系」が,「たぶんサラブレッドだけど血統がはっきりしない」という馬で,
血統書に不備があり,先祖を8代以上さかのぼれない場合を指します.
日本で競馬が始まったばかりの頃は血統の重要性が十分理解されておらず,
輸入の際に血統書がなかったり,付いてきた血統書を捨ててしまったりしたこともあったようです.
また,戦中・戦後の混乱期に血統書を紛失してしまった場合もあり,これらの馬やその子孫が「サラ系」にあたります.
ランドプリンスの6代母は*ミラという牝馬ですが,
この馬が1899年にオーストラリアから輸入されたときに血統表がなく,
外見からはサラブレッドと思われるものの血統不詳のため「サラ系」となってしまったものです.
このため,*テスコボーイの初年度産駒で皐月賞優勝,ダービー2着の好成績を上げたにもかかわらず,
ランドプリンスの種牡馬実績は,産駒のうち勝ち上がった馬が僅かに1頭(1勝のみ)という結果に終わりました.
ランドプリンス,ロングエース,タイテエムの3頭は当時三強と呼ばれていましたが,
他の2頭と比較すると繁殖牝馬に恵まれず,やはり「サラ系」が嫌われたようです.
図らずも「インフルエンザつながり」でランドプリンスについて調べることになりましたが, 血統書紛失という現在では考えられないような事情で「サラ系」の烙印を押されてしまった馬が数多くいたこと, そしてその烙印にもかかわらず良績を上げた馬もいたことを, 心にとどめておきたいと思います.