2009年2月の名馬


 
大仁橋
写真:狩野川台風で流失した
大仁橋
(中日新聞社HPより)

ラプソデー

1954 - ?

牡  黒鹿毛

父:*フランクリー
母:第弐ハレルヤ

5代血統表


伊豆出身の人と話していたときに, 「狩野川台風でなんとかいう有名な馬が流されちゃってね」と言われ, 馬が流されたってどういうことだろうと調べてみました.

1958(昭和33)年9月26日夜,台風22号が静岡県伊豆半島近くを通過, 秋雨前線を刺激したため,関東地方は豪雨に見舞われました. この大雨により,伊豆の狩野川流域だけで800名以上の死者・行方不明者を出し, 後に「狩野川台風」と呼ばれる未曾有の大水害が引き起こされました.

ラプソデーは1957(昭和32)年の皐月賞6着, ダービーは脚部不安で回避したものの,夏の函館で復調し, 菊花賞では ミスオンワード(桜花賞,オークス), オンワードゼア (天皇賞・春,有馬記念)などを一蹴して優勝しました.
この年ラプソデーは啓衆社賞(現JRA賞)最良スプリンターに選定されていますが, 函館の短距離戦(といっても1600mですが)での活躍によるものです.
菊花賞の翌1958年,ラプソデーは安田記念をレコード勝ちし, 中山の日本経済賞(芝2600m)で2着した後, 休養のため伊豆の大仁温泉に向かいました.

のんびり英気を養うはずだったラプソデーは狩野川台風に遭遇, 牧場近くで発生した鉄砲水に流され, 翌日満身創痍でさまよい歩いていたところを救助されましたが, 一緒に流された厩務員が亡くなるという悲劇に見舞われました.
ラプソデーは水害の精神的ダメージがよほど大きかったのか, 傷が癒えた後もレースに復帰することができずに1959年に引退しました. 種牡馬となってからも産駒に恵まれず, 種牡馬登録抹消後の消息は不明です.

私も静岡県出身で, 実家の近所に「親戚一家が狩野川台風で亡くなった」という人が住んでいたり, 母親が勤務先から帰宅する途中で駅が冠水,列車に閉じ込められたりと, 子供の頃からいろいろな話を聞かされてきました. そういった意味では狩野川台風については(私が生まれる前のこととはいえ)多少は知っていたつもりでしたが, まさか競走馬までが運命を狂わされていたとは思いませんでした.
ラプソデーが無事だったらどんな競走生活を送っていたのか, どんな産駒が生まれていたのか, 今となっては想像するだけです.



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