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伊豆出身の人と話していたときに, 「狩野川台風でなんとかいう有名な馬が流されちゃってね」と言われ, 馬が流されたってどういうことだろうと調べてみました.
1958(昭和33)年9月26日夜,台風22号が静岡県伊豆半島近くを通過,
秋雨前線を刺激したため,関東地方は豪雨に見舞われました.
この大雨により,伊豆の狩野川流域だけで800名以上の死者・行方不明者を出し,
後に「狩野川台風」と呼ばれる未曾有の大水害が引き起こされました.
ラプソデーは1957(昭和32)年の皐月賞6着,
ダービーは脚部不安で回避したものの,夏の函館で復調し,
菊花賞では
ミスオンワード(桜花賞,オークス),
オンワードゼア
(天皇賞・春,有馬記念)などを一蹴して優勝しました.
この年ラプソデーは啓衆社賞(現JRA賞)最良スプリンターに選定されていますが,
函館の短距離戦(といっても1600mですが)での活躍によるものです.
菊花賞の翌1958年,ラプソデーは安田記念をレコード勝ちし,
中山の日本経済賞(芝2600m)で2着した後,
休養のため伊豆の大仁温泉に向かいました.
のんびり英気を養うはずだったラプソデーは狩野川台風に遭遇,
牧場近くで発生した鉄砲水に流され,
翌日満身創痍でさまよい歩いていたところを救助されましたが,
一緒に流された厩務員が亡くなるという悲劇に見舞われました.
ラプソデーは水害の精神的ダメージがよほど大きかったのか,
傷が癒えた後もレースに復帰することができずに1959年に引退しました.
種牡馬となってからも産駒に恵まれず,
種牡馬登録抹消後の消息は不明です.
私も静岡県出身で,
実家の近所に「親戚一家が狩野川台風で亡くなった」という人が住んでいたり,
母親が勤務先から帰宅する途中で駅が冠水,列車に閉じ込められたりと,
子供の頃からいろいろな話を聞かされてきました.
そういった意味では狩野川台風については(私が生まれる前のこととはいえ)多少は知っていたつもりでしたが,
まさか競走馬までが運命を狂わされていたとは思いませんでした.
ラプソデーが無事だったらどんな競走生活を送っていたのか,
どんな産駒が生まれていたのか,
今となっては想像するだけです.