第三部 工学教育の改革へ向けて

アブストラクト

 過去16年にわたって工学教育の改革をめぐって議論がなされてきた。すでに改革を始めた大学もあるが、一方で根強い抵抗もある。改革を求める多くの意見、ITを活用する新しいタイプの教育機関との競争、学生の確保や教育・研究職ポジションの確保といった問題が明白になっても、改革への動きは大きな流れとは言えず、ときに対立する意見もあって勢いを失ったかのようにさえ見える。この第三部では改革の障害となっている問題について検討していく。NAEは工学教育改革に関してさらに積極的な態度をとることが期待される。改革にあたって現場が直面する問題をNAEは認識し、解決を援助し、教育改革に向けて率先して取組むべきである。

I. 工学教育改革への流れ

 工学教育改革を求める意見は大変多く、論文、著書、研究会や学会の報告で要請されている。例えば、1994年のASEE Green 報告書[1]、1995年の米国研究評議会(NRC) BEEd 報告書[2]があり、さらに近いところではNAEの William F. Wulf会長とGeorge M.C. Fisher理事長も主張している[3, 4]。ASEEとNRCの両報告書の完成に関して、当時のNAE理事長Norman AugustineとMITの学長Charles Vestの協力について触れるべきだろう。VestはNRCのReport Review Committeeの委員長でもあり、またAugustineはNRC BEEd報告書の前文を書いている。その中でAugustineは報告書の結論を支持し「21世紀のアメリカと世界の要請に応えるためには多くの領域で思い切った工学教育改革が必要だ」と述べている[2, p vii]。

 改革が始った大学もあるるが、根強い抵抗があることも確かだ。改革を求める多くの意見、新しい教育機関との競争、学生の確保や教育・研究職ポジションの確保といった問題が明白になっても、改革への動きは大きな流れとは言えず、ときに対立する意見もあって勢いを失ったかのようにさえ見える。例えば:

・ 1994年のASEE Green 報告書では、改革自体の評価について「今後数年のうちにASEE Engineering Deans Councilは工学系大学がどのように変革を進めてきたか、報告書が要請した行動基準はどのように具体化できたか、将来の変化の実現に向けてどのようなマイルストンを設定しているかを評価する」と述べている[1, p 1]。しかし追跡調査・評価は行われなかった。

・ NRC BEEd 報告書は結論の冒頭で「工学教育のような分散化されたシステムの場合、この報告書のような1つのきっかけだけで大きな改革が起きていくものではない。むしろ人々の意見、態度、行動様式が変化していき、改革と言える流れになっていく。それにはまず外部の変化をしっかり認識し、教育部門の目的や重点を明らかにするところから始まる」と述べた[2, p 55]。そのとおりである。しかし報告書の前文や本文での論調と比べると穏やかな表現であることから、ここでは改革を実行しなくてもよいと述べている、あるいは改革に時間をかけて良いと主張しているかのように曲解する向きがある。報告本文では工学教育を適時に改革するよう要請しているのに、結論では過大な希望を持たないよう戒めているとして改革を先送りするために悪用されている。

・ 工学教育の新しいパラダイムの実現をテーマとした1998年のEFCは、Action Agenda for Systemic Engineering Education Reform[5]という新しい事業に焦点を当てる目的があった。この事業はNSFの工学理事会が招集した研究会による1995年の勧告に基づき、教育部門からの改革プロポーザルを募る計画だった。しかしEFCの後工学理事会は方針を変更し、Action Agenda は2回の研究助成の後で中止されてしまった。

・ 「工学教育が大幅、かつ速やかに変革されるのでなければ、状況はどんどん悪くなる。問題は充分に研究され、解決策もはっきりしている。実行あるのみだ。」これはWulfとFisherが最近の論文で述べている[3]。

・ 数学者であり哲学者のAlfred North Whiteheadは「大学の責務は理性的思考と理解とに導かれた将来の創造である」と述べている。Stanley Katsは近年の論文の中でこの言葉を引用し、大学が果たしている責務について疑問を呈している。「現代の学界において理性的思考は疑問であり文明は嫌われ、大学は自己のためにも、社会のためにも、Whiteheadが期待したような将来を創造していない。では我々はいったい何をしているのだ。American Council of Educationの前会長Stanley O.Ikenberryが『アメリカの大学は勝利を収めた』というなら、いったいどんな競争に勝利したのか、どんな賞品を得たのだろうか[3]。」

 WulfとFisherの表現は改革への力強い味方であり、Wulfは2002年のASEE年次大会でも繰り返し主張している[4]。しかし改革は遅く、一部の事業は中断され、これ以上の改革は不要であるかのような主張もあり、改革へ努力している人々は不安を感じているだろう。現状は、ASEEやNRCの報告から1995年頃までに期待できるような迅速で広がりを持った改革とは程遠い。NRC報告書Engineering Undergraduate Education[7]が1986年という早い時期に現れたにも関わらず、工学教育界が未だに共通の目的意識を持てずにいることは残念なことである[8]。しかも、改革を最も必要としている大学、Katzの述べたようにとても"勝利"などと喜んでいられない大学に目的意識が欠けている。

 AugustineやVestなど多くが熱心に主張しているにもかかわらず、改革の進行は正に牛歩でしかない。なぜなのか、どうしたら変化を早めることができるのか、という疑問はもっともである。しかしその答は単純ではないし、大学ごとに異なってもいる。従ってここでは、問題点の相互の関連を指摘し、解決策を提案していくことにする。特にNAEは主要な牽引力となるべきである。改革に対してさらに積極的な立場をとり、「工学教育全体の重心を移し、21世紀の社会の要請に応える」ための取組みを明示することが望まれる[3]。NAEは現在の事業の領域を超え、新しいレベルに達する必要がある[3, 4]。すなわち、工学教育の改革を妨げている問題の抽出と解決に関与し、何よりもNAE自身がリーダとなっていくことである。

II. 教育改革への障害

 Boyer報告書によると「大学は、大学と学問を維持してくれる支持者のことを忘れているか、無関心であり、自己満足な行動を続けている[9, p 37]。」報告書の発表から3年後に行われた調査によると、研究主体の大学ではかなりの前進が見られている[10]。しかし同時に「大学は優秀な学生に関心を向けている。これからはもっと広い範囲の学生に対応することがどの大学にとっても重要である」と指摘している。

 大学などが教育改革の面で遅れているのは、自己満足や無関心だけが理由ではない。"勝利者"であると思いこみが大きい機関ほど、ことあるごとに改革に反抗しようとする。そこには相互に絡み合った手強い改革阻止力、あるいは現状維持力が働いている。改革を進めるためにはまずこれらの障害を克服する必要がある。その中でも核となる問題は次の通りである。

A. 学界の抵抗

 研究主体の大学であっても資金には当然限りがあり、政府による助成金を多く取入れながら、研究活動を維持し拡大させようと苦心している[6, 8]。彼らの立場からすれば明らかに、学部教育の改革などに人的、物的資源を投入する余裕などない。学部教育に力を注いだところで研究資金の獲得など研究業務への見返りは、少なくとも短期的には全く期待できない[2, p. 32]。これは学術版「イノベーションのジレンマ」[11]と言ってよいだろう。

 このような大学では過去数十年間、もっぱら研究領域での能力や場合によっては研究費の獲得能力によって教職員の採用や昇進が決められてきた。こうして採用された教職員は学部教育ではなく研究に達成感、充足感、職務上の価値、社会的価値を見いだし、賞や名声や権威、NAEへの推挙を含む栄誉に近づけると感じている。旧来の報償システムを変えようとすると学部教職員による労働組合もたいていは抵抗する。

 変化に反対することは工学教育における大学の優位性を長期的には弱めていることに、学部長、学部職員、管理者は気づかなければならない。もっとも、NRCの調査報告で改革を呼びかけた当の研究者が改革へ抵抗していても驚くには値しない。だれでも既得権があれば当面はそれを守ろうとするものだ。

B. ABETへの抵抗

 NRCは BEEd報告書の中で次のように勧告している。「Engineering Deans Counsilまたは類する適切な団体はABET評価方式の再検討に協力するべきである。ここで述べた教育の方向性に対応するための再検討であり、現在から将来にわたって工学教育に要請されるであろう教育内容を反映すべきである[2, p 53]。」BEEd報告書が述べた方向性が工学関係の教育課程に反映されるためには、ABET評価基準のような強制力が必要だ。ところが不運なことに、大学の理事や学部教職員はABETの名前を聞くだけで強烈な反感を顕わにし、何かを強制されると思い、ほとんど自動的に拒絶反応を示す。過去のABETは重箱の隅をつつくような計数主義と並んで際限なくデータを要求するという印象を作ってしまった。ABET EC2000をどのように改良しようとも姿を変えただけの計数主義であって、いずれは大学の自治をおびやかし、教育上のメリットなどないと思われている。

 BEEd報告書も呼びかけている教育改革へは強い反感があり、その例を挙げるのはたやすい。2002年1月にEC2000へたった1語を追加しようとしたときの反対もそうである[10, p 448]。当時、評価基準3fに「環境」を追加しようとした際、学界からの反感は内容に対してではなく、ABETが関与していることに根ざしていたと言えるだろう。

 ではABETが正しく活用されれば解決する問題かどうか考えるために、ここで"理想的シナリオ"を想像してみよう。各教育機関は自己の使命を表明し、BEEd 報告書の要請に応えた改革を実行する。大学、専門学校などはそれぞれの目的、立地、職員や学生の質に合った活性化プランを自由に発案することができる。望む方向へ正しく進んでいるか、どこまで達成できたかを測定するために、ABET EC2000の指標と自己設定した目標値とを比較する。

 どうだろうか。経験からして、このようなシナリオが実現するとは思えない。業績評価にも認知にもつながらないことに、しかも仕事の負荷が増えるような改革には抵抗する方が自然である。学部教育という"正当な行為"がもたらす自負心の他には、人々を引きつけるインセンティブなどほとんどない。

 もし改革に抵抗しようとするなら、ABETにはなるべく労力を割かないようにし、ABETを停滞させればよい。ABETが大学を監視できなくなれば、研究活動は当面安泰である。著名な工学系大学とABETとの対立は工学教育改革の妨げになっている。

C. NAE推挙における抵抗

 大学など教育機関の多くが改革に抵抗している理由の一つに、教育と研究のどちらを優先するかという問題が挙げられる。しかしどちらが優先するかよりも、研究と教育とを効果的に結びつけるにはどうするか、あるいは教育を研究の一部とするにはどうするか、という方が重要である[11]。残念なことに抵抗する人々は"教育と研究とはゼロサムゲーム"と考えており、教育者と研究者との緊張を生み出している。この発想はNSFの事業予算、学校内の予算取得順位、果てはNAEまでをも浸食している。

 NAEの会員のほとんどが研究者だということはすでに悪循環の一部である。まずUS News and World Report(USNWR)が発表する工学教育ランキングに影響し、昇進や他の"報償と認知"メカニズムが研究寄りに有利になる。すでに研究を主体としている大学が現実に安住しようとすることに不思議はないが、他の教育機関においても研究面での成功を重視するようになってしまう。

 研究成果によってNAEへ推挙を行っているということは間接的だが改革への強い抵抗の原因になっている。改革を求めているのは個人や、研究会、委員会、ASEEやNRCだけではない[1,2]。NAEのリーダ層からも支持[3,4]されていることだが、NAEはその会員構成によって結局は変化に抵抗している。

 工学教育への貢献に対する報償と認知の不足、特に全米レベルで権威ある見返りが決定的に不足し、教育への貢献に基づいたNAE会員への推挙も行われない、これは工学教育改革が遅々として進まない根元的原因の一つと考えられる。一般に工学系研究者は学部教育の価値を低く見ており、そういった個人の価値観は大学など組織としての価値観に反映している。教育機関としては財源や教職員の労力を学部教育へ割当てるのは浪費だと思っている。学部教育という、今日あまり認知されていない領域、重要性がなく個人の実績もあまり評価されない領域の職員を採用してUSNWRランクが下がってしまうことを恐れている。

 言うまでもなく、教育分野ですばらしい業績を挙げている人は多数存在する。この人々がNAEの会員でないという現実は、NAEへの信頼に対する大きな疑問符である。NAEは工学教育分野の業績にも高い価値を認めているはずだ。しかしそれが現実には認められていないとしたら、たぶんこんな理由だろう。曰く、教育への立派な業績ではあるが、本来の工学分野への主たる寄与すなわち工学理論への貢献、方式の提案、論文、新しい技術分野への先駆的業績などに付随するものでしかない、教育は主たる工学分野ではなく、それゆえNAEの工学分類に含まれず、論文の査読も行われていない、そんなところだろう。

 この理由は誤っている。教育はNAEへの推挙分野に含まれており、どの大学も教育活動を内規で定めているのと同じである。つまり規則に書いてあっても、現在のNAEの状態を見ればそれだけのものでしかないことがわかる。内規で採用や昇進の際に教育業績を考慮するようになっていても現実はこの程度であるのと同じである。そこで、教育部門での業績や論文の扱いが大事になってくる。工学教育が充分な価値を認められるようになれば、優れた人材がこの分野に注力しようと考え、実際に活躍するだろう。教育関係への優れた論文寄与も価値を認められるべきである。研究系の人たちには馴染みがないのかもしれないが、すでにASEEのJournal of Enginnering EducationやIEEEのTrans.on Engineering Educationはどちらも査読論文誌であり、参考文献として参照されるアーカイブである。

 NAEが現在の方式で会員推挙を続ける限り、現状は変わらない。Roderick G.W.Chuの言葉を借りれば「いつものようにしていれば、いつものような結果」になる[13]。「もう研究か教育かを議論する時代は終わった。聞き慣れた尊敬すべき"学術"という言葉を広い世界に解き放ち、あらゆる領域で活躍させよう」とErnst Boyerは述べている[12, p 16]。時機は明白だ。斬新な発想で行動を始めるときだ。
 

D. 産業界からの圧力不足

 産業界が要請しない限り、工学教育界が自ら改革を進めることはあまり期待できない。Karl Martersteckの言葉によれば「産業界の強い要請がなければ教育界は教育課程を変えようとはしないだろう。産業界は卒業生を雇うために"購入仕様書"を作って、学生の"品質"を規定するべきだ。産業界のリーダたちが、新しいパラダイムで教育された学生だけを採用するという確固とした意思表示をしない限り、教育界は現在のやり方を続けるだろう[15]。」産業界が持っている長期的展望がABETの産業委員からも、あるいは大学理事会へ出席する産業委員からも強くは主張されないことは残念である。プロジェクト管理者や採用担当者、つまり"購入仕様書"を書き、それを実践する立場にある人たちは、会社の価値が市場によって評価されていることをよく承知してるはずだ。また産業界はエンジニアたちを商業資産ではなくプロフェッショナルとして扱うようになっていくべきだ。

III. 改革を進めるために

 我々の責務はすべての工学教育関係者に共通認識を広めることである。WulfとFisherによる提言、ASEE、NRCの報告書、他の報告や論文の意図は明白である[1-4]。社会が要請する教育改革は実現可能であるばかりか、大学の特色や教職員・学生の質に適した改革は、大学自体を発展させる力がある。NAEは共通認識の確立に大きな貢献ができる。まず論文の査読方針をASEEのGreen報告書、NRCのBEEd報告書の勧告に合致させること、そしてNAEは工学教育への業績に価値を認め、業績を普及させる意志を明確にすることだ[3]。

 いくつかの具体的取組みを以下に提案する。
 

A. 大学の施策

 1998年のEngineering Foundation Conferenceでは当時のもっとも優れた学部課程が分析されている[14]。優れた教育課程を構成・維持するために何が必要かを明らかにし、教育課程を作るための具体的モデルがわかってきた。筆者もモデルを提案している[15]。次はこれらのモデルをもとに、各大学がそれぞれ適切な具体的プランを作り、プランに沿って改革に乗出していく決意を促すことである。すでに教育機関の間での競争が始まっていること、ITなどで情報伝達の方法が進歩していることを考えるとき、"教育業界"の変化に応じて改革していくことが長期的には教育機関の経済的自己利益につながると筆者は考えている[15]。その際BEEd報告書のアウトラインなどに従がうことができるだろう。ところが、変化に対応するといっても問題がある。つまり周囲の変化がはっきりしたときにはすでに教育機関の改革は手遅れであって、大学はすでに市場を逃がしている危険がある。手遅れにならないように、研究主体の大学が将来受けるであろう経済的脅威を綿密に調査・研究することにおいてもNAEは重要な役割をになうべきだと考える。

 必要とされる改革に乗りだし、維持していくことは学界において継続的な努力を要する。問題を認識する、解決を助ける、そして改革をすすめる人や組織を国内で広く育てる必要がある。大学上層部が改革への決意を維持することも重要だ。もちろん学部長が職員に意識改革を命令することなどできない。しかし改革への雰囲気を作ることはできるし、変化が滞るようなときに自分の予算を使ってサポートを与えることもできる。繰り返しになるが、優秀な人材にとって教育が興味ある分野でなければならない。多くの力が学部教育に投入され、斬新な教育を実施することによって学生のドロップアウトが減り、大学院への進学が促進されるならその利益を受けるのは研究部門である。NAEの研究委員会が工学系教育分野の将来を議論する際は、継続的改善のためのアクションリストに加えて、学生の獲得、維持、教員の職業安定性も研究対象とすることが望まれる。

B. ABETの施策

 ABETの監督的な態度や数値重点主義への抵抗はあるものの、EC2000は教育の成果を評価し教育課程を常に革新し前進させていくための鍵となるだろう。ABETを取り入れている機関が明らかで信頼できる成果を出し続けるなら、米国内の工学教育改革に強い影響を持つだろう。NAEは自らABETと協調するだけでなく、工学教育機関に対してABETとの協調を促すべきである。さらにNAEの指導者層に求めたいのは、ASEE Engineering Deans Councilや工学系の学会や関連団体に対して1995年のBEEd報告の勧告内容を尊重し、相互の、およびABETとの協調を促し、工学教育改革を実現していくことである。BEEd報告にあるように、環境関連など技術分野以外の課題は設計上の技術的な課題に比肩する重要性があり、エンジニアは社会に対して責任を持っている。NAEはこの視点を効果的に普及させる方策を、ABETの有用性に安住せずに研究することが望まれる。もちろんABETの運用自体に関する問題の解決も研究すべき対象である。

 NAEの工学教育課程イニシアチブに対する優先順位評価が進んでいるが、NAEとASEE Engineering Deans Councilとの連携を強固にし、学部長らがABETに関する懸念を直接表明できることが望ましい。BEEd 報告の推奨する改革を各大学で実現していく上で、ABETとは異なる選択肢もありうる。もし特定の教育機関の改革においてABETの規準がベストではないと考えるなら、自らその懸念を明確にし、もっとも適した改革の方法を公表し、実行できることが望ましい。

C. NAEへの推挙における施策

 教育者のNAE推挙に対して学界が示す抵抗に関して、NAEのWulf会長は新しい基準がすでに適用されていると私信の中で強調している。すなわち「工学教育における優れた業績はNAEへの推挙において有効な根拠であることを改めて確認する。工学教育における創造的な、優れた業績は技術上の業績と同じように認知され、賞賛を受ける。」これはWulf-Fisher論文[3]から要約された規準である。正しい方向へのすばらしい一歩である。NAEの推挙規準として教育上の業績がふさわしいという明文化は是非とも必要だが、それだけでは教育者が継続して推挙されるわけではないことはすでに述べたとおりである。

 Boyerによる"学術的業務"の定義[12]、また BEEd報告書において拡大された"学術分野"の定義[2, p 46]によって、工学教育はNAEの活動分野の中で主要な地位を得るに到った。次は実体としてNAEがこの認識に整合するようにすることが急務である。NAEの信頼を回復するための直接的な取組みが、学術界における認知と報償という、より大きな問題の解決に向けた出発点にあり、NAEが工学教育に重要な価値を認めたこと学術界全体が注目するようになる。NAEの行動こそ、現存する障壁を取り除き、工学教育を急速に変貌させ、米国の技術的健全性が保証される上で戦略的な要である。

IV. 改革への展望

 以上述べてきた行動指針をまとめると次のとおりである。
  1. 工学教育はNAEの活動において主要な分野の一つであり、NAEの行動に表れるべきである、
  2. ABETを採用した機関が、信頼と権威のある成果を上げられるよう促すこと、そして
  3. 広範にわたる調査と研究によって問題点を認識し、解決策を見出し、同時に、大学等の機関の特性や設立目的、教職員や学生の質に適した改革が教育機関にもそして最終的受益者(学生・社会)にとっても長期的利益となることを明確にする。
 では、これらの指針はどのような結果をもたらすだろうか。

 今までは巨額の資金流入によって工学系学校の使命は教育と直接の社会貢献から研究主体に変わってきた。ここでNAEの態度が変化し、特に工学教育が重要な分野として認識されると、会員の価値観や意識に対して重要な問題として認識され、激しい議論が起こってくるだろう。NAEの指導者が求めている教育分野における業績の認知が現在のNAE会員にどれほど浸透しているか、議論の激しさからうかがうことができるだろう。研究業績によって学界での地位を築いてきた人々が多くNAE会員になっているので、研究をバックに持つ会員は教育を含めることに反対するだろう。工学研究者に深く浸透したエリート意識を打ち砕くために、NAEの指導者たちには言明以上のさらに積極的な幅広い態度の変化が望まれる。

 大学での変化を作り出していくことも難しいが、NAEの変革も容易ではない。James Duderstadtは次のように述べている。「一つのパラダイムから次へシフトしていくために、組織を不安定の中へ、混沌へ追い込まねばならないことがある。外圧によって自ずから不安定な状態になることもあるし、少数の改革者によって起こることもあれば、リーダーシップによって起こることもある。しかし、マキャベリの言を待つまでもなく、このような混沌は組織内部の人々からよく思われることはない[8, p 268]。」

 改革の機会を逃したときの損失を考えても、問題の全貌が見えてくる。これまでに述たイニシアチブを実行すれば、波及効果によって工学教育改革への障壁を取り除いていけるだろう。得るものは大きく失うものはほとんどない。イニシアチブの実行に真剣かつ大きな努力を注ぎ込む価値がある。そのような努力を怠れば現状維持派が勢力を維持し、改革は止まってしまうが、悲観することはない。適切な立場や影響力を持つ人たちによる説得、組織運営、さらに抵抗する人たちに対して親身になって"改心"を促すことができる。かれらは新しい価値に、すなわち将来の自己利益に気付き、むしろ改革を進める力となってくるだろう。NAEの雰囲気もかわり、NAEが改革に対して積極的になり、工学教育に対して功績のある人をNAE会員へ継続して推挙するようになる。これは大学などの変化を助けることとなって返ってきて、工学教育改革の速度を上げることになるだろう。

V. 総括

 工学教育の改革は困難な仕事であり、権威ある強いリーダシップの協調がぜひとも必要である。NAEはそのような力を持っており、改革を牽引する立場であり、自らが範を示すことができる。NAEに望むのは、ここに述べたイニシアチブを実行し、工学教育の改革と再活性化を大きく前進させ、それをNAEの功績としてもらいたい。これらイニシアチブは、すべての関係者を勇気づけ行動を促し、彼らが変化の力となることによって年代を越えてブレークスルーをもたらし、必要としている改革を教育システム全体に広く引き起こしていくことができる。すべての関係者、すなわち大学のリーダ、学部教職員、政府の政策担当者や研究資金部門、それに学界や産業界の指導者たちは改革への呼びかけに応え、自らの役割を果たしてほしい。BEEd報告書が結語で述べているように、21世紀の工学教育には100%の努力が必要なのだ。[2, p 55]。
 

参考文献

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  2. National Research Council's Board on Engineering Education (BEEd), Engineering Education: Designing an Adaptive System, National Research Council Report, Washington, DC: National Academy Press, 1995.
  3. Wulf, William A. and Fisher, George M. C., A Makeover for Engineering Education, Issues in Science and Technology, Spring 2002, <http://www.nap.edu/issues/18.3/p_wulf.html>, accessed 2004.
  4. Wulf, William A., The Urgency of Engineering Education Reform, Plenary Address, 2002 ASEE Annual Conference & Exposition, Montreal, Canada, June 17, 2002.
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  6. Katz, Stanley N., The Pathbreaking, Fractionalized, Uncertain World of Knowledge, The Chronicle of Higher Education, September 20, 2002, p. B7.
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  9. Kenny, Shirley Strum (Commission Chair), Reinventing Undergraduate Education: A Blueprint for America's Research Universities, The Boyer Commission on Educating Undergraduates in the Research University, Stony Brook, New York: The Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching, 1998.
  10. Kenny, Shirley Strum (Commission Chair), Reinventing Undergraduate Education: Three Years After the Boyer Report, The Boyer Commission Report on Educating Undergraduates in the Research University, Stony Brook, New York: The Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching, 2002.
  11. Splitt, Frank G., Environmentally Smart Engineering Education: A Brief on a Paradigm in Progress, Journal of Engineering Education, October 2002, 本論文、第一部。.
  12. Boyer, Ernest L., Scholarship Reconsidered: Priorities of the Professoriate, Stony Brook, New York: Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching, December 1990.
  13. Chu, Roderick G. W., The Chronicle of Higher Education, December 4, 1998. p. A32.
  14. Ernst, Edward W., Proceedings of the 1998 Engineering Foundation Conference, Preface, New York, New York: Engineering Foundation.
  15. Splitt, Frank G., The Challenge to Change: On Realizing the New Paradigm for Engineering Education, Journal of Engineering Education, April 2003, 本論文、第二部。.
Frank G. Splittはフーニエ工科大学を1952に卒業し、ノースウェスタン大学で電気工学および計算機工学の修士(1957)および博士(1963)を修了している。ノースウェスタン大学McCormik工学応用理学部においてMcCormik通信工学フェロー、Nortel Networksにおいて教育・環境イニシアチブの名誉副会長である。IEC(Internaional Enginnering Consortium)の役員としてFuture委員会の委員長、フェロー審査委員会の委員長を務める。またABETのIndustry Advisory Councilの委員、IEEEのEducational Activities Boardの委員、IEEEのCorporate Recognitions Committee委員を務める。研究・職務分野は研究開発、マーケティング、管理、教育、社会貢献である。技術論文のみならず社会問題での論文も多数著した。ASEE会員、IECフェロー、IEEEライフフェロー、Tau Beta PiのEminent Engineerである。研究分野は工学教育の将来および環境保護である。妻とともにイリノイ州マウントプロスペクト、ウィスコンシン州スターレークに在住。

この論文はInternational Engineering Consortiumで2002年10月に発表されたものである。
Copyright: Frank G. Splitt and the ASEE

著者およびASEEの許可に基づいて、Fred Okayamaが日本語訳を作成した。 (2005)
Japanese translation has been granted by Frank G. Splitt and the ASEE, 2004.