雄 壮な旅
The SCOTSMAN
2007年3月17日 (土)
ルイーザ・ピアーソン

ジェラード・バトラーは遅れて駆けてきた。彼はマリブにハイキングに出かけ、携帯の電波を受けられなかった。マリブがビキニや砂浜ばかりだと思っているわ たしたちには、登れる山があったりハイキングする森があるというのは驚くべきことだ。1時間後、彼はインタヴューを受ける用意ができ、激しい運動の後で息 を切らしているようだった。「ハイキングに出たんだけど、思ったよりも戻ってくるのに時間がかかってしまったんだ」と笑った。「とにかく、もうちゃんと仲 間の家にいる。これまで目にしたうちで最高の場所だよーー海を見渡す浜にあるんだもの」それは、わたしたちが南カリフォルニアでもっと慣れている景色で、 物言いからすると、バトラー(「ジェリーって呼んでくれ」)はそれに慣れてきたようだ。

ペイズリー出身の37歳の俳優は目下ハリウッド待望の人だ。10年間名を知られるようにしてきて、ついに大ヒット作を手に入れたようだ。バトラーは、今年 最も当たった映画の1つ『300』でレオニダス王を主演している。フランク・ミラーのグラフィック・ノベルに基づいて、何万もの侵略してきたペルシャ軍に 立向かって戦闘に行った300人のスパルタ兵の物語を語っている。『シン・シティ』の暗く様式化された見かけを持った『ロード・オブ・ザ・リング』の戦闘 場面を思い描いてみれば、どのようなものが期待されるか大体わかるだろう。業界筋によると、ワーナー・ブラザーズの映画史の中でどれよりも高い評価を受 け、初期の評は賞賛に満ちている。『300』が多くの観客を集めるなら、バトラーにとっては、『グラディエーター』がラッセル・クロウに果たしたことをし てくれるだろう。

期待の重圧にもがいているかもしれないが、バトラーはそれを見せない。代わりに、ロサンジェルスで暮らすことについて気が変わったことを語った。「ぼくは いつだって坐って、LAについてぶーたれていた。いかにもスコットランド人らしいことをし、『車が多過ぎる、人が多すぎる』って言っていた。でも、実際努 力すれば、すばらしいハイキングができるし、自転車は走っているし、想像できる限りの美しい風景が見つかるんだ」

彼は、ライフスタイルをとても楽しんできたので、実際財産目録にハリウッドのマンションを加えることにした(すでにロンドンとニュー・ヨークに家を持って いる)。「普通は仮の住まいを借りるだけなんだ、街にいてそれから長い間街からいなくなるし、しばしばロスと繋がりを持つのが難しく思っていたからなん だ。とうとう自分の個性をちょと入れられる場所を手に入れたことは、とても助かる」

結局、バトラーは、自分の時代がやってきたという考えをためらいがちに受け入れて、腰を落ち着けようとしているようだ。彼が言うには、ここ数週間は監督の ロン・ハワード、製作者のジョエル・シルバー(『マトリックス』『ダイ・ハード』『リーサル・ウエポン』などの映画の陰にいた男)と面談し、1960年代 のコメディ、『泥棒貴族』[1966]のリメイクであるコーエン・ブラザーズの脚本に関わっていた。

「今話をしている人たちは、ぼくがいつも一緒に仕事をしたいと思っていた人たちなんだ」しかし、どれ程速やかに彼のキャリアがAリストに載るようになった としても、がんとしてハリウッドの社交の場には長くはいないと言う。彼は私生活を私的なものとしておくのが好きだ(彼は独身で、最近長い間の関係を解消し たばかりだ)し、ナイトクラブから出てくる所を写真に撮られたり、街であらゆるレッド・カーペットの催しに登場することには関心がない。彼はショウ・ビジ ネスのけばけばしさには肩ひじ張らずにいるので、オスカーを見逃したりさえした。「ほんとうは終わった後のパーティに2つ行くことになっていたんだけど、 ソファで眠り込んでさ、目が覚めたら朝の4時半で、ぼくの子犬が膝に載っていたから、立ち上がってベッドに行ったんだ。次の日、『クイーン』でオスカーに 行っていた脚本家のピーター・モーガンに出会ったから、『おめでとう』って言ったんだけど、ノミネーションと成功を祝っていたのか、実際に獲得したのかは わからない。今だって知らないよ」

バトラーと話していてとても驚くことの1つは、彼がとても気楽なことだ。くすくす笑い、声を上げて笑い、自分を笑いものにする。俳優にいつもみられる特徴 ではない。彼の映画の宣伝用の写真からは「思い悩む」とか「謎めいた」といった言葉が思い浮かびがちだーー満面の笑みを浮かべた写真をそうそう見ることは ない。たいていのスコットランド人には見分けのつく顔だが、彼の昔の映画の長いリストがあるにも拘わらず、まだ誰もが知っている名ではない。1997年に 『クイーン・ヴィクトリア/至上の恋』でビリー・コノリーの弟として映画デビューを果たし、以来ずっと、『トゥーム・レイダー2』でアンジェリーナ・ジョ リーと共演し、ウェス・クレイヴンの『ドラキュラ2000』や『オペラ座の怪人』の大画面版では主役を演じた。『サラマンダー』では、クリスチャン・ベー ルやマシュー・マコノヒューと共演し、マイケル・クライトンを採り上げた『タイムライン』では主演し、英国映画『Dear フランキー』での役では称賛された。ずっと多忙だーー彼の履歴書にはこれ以外にももっとたくさんあるが、そのうち大ヒットしたものはわずかだ。それでも、 ハリウッドは彼に賭けてみ続けることが嬉しいようだ。

映画業界に10年いて、バトラーは宣伝に流されないことを学んだ。彼の顔は『オペラ座の怪人』で世界中の雑誌の表紙を飾ったし、何度となく彼には「次の大 物」というレッテルが貼られてきた。彼は、こうした注目が成功を保証するものではないことがわかっている。「しばしば、映画が評判になっていると感じる と、次にそれが自分の映画だからなんだとわかる。実際、誰もそれについて聞いたこともないし、見に行きもしない。エージェントに必要なことは、電話して 『わかっているだろうが、酷いもんだと聞いたぞ』と言うことだ。それだけで、すべてはおじゃんだ。そうなるのを待っているのさ」

しかし、『300』についてはバトラーは評判は本物だという。映画の予告編はMySpace*で800万回以上も見られているし、この映画はインターネッ トのサイトで膨大な関心を呼んでいる。『ヴァライエティ』や『ハリウッド・レポーター』からは良い評が出て、バトラーは試写の後列に潜り込んだとき、観客 の反応に仰天したという。「恐怖と心配で一杯で、『がっかりするのがわかってるぞ』と思っていた。ところが、びっくり仰天だよ。このエネルギーが群衆に広 がっていたみたいだ。みんな、うなって、席から飛び出すんだ。あの反応は異常だね」

役のためにどんな風に訓練に没頭したかを考えるなら、そのような肯定的な反応を得てバトラーが喜ぶのも驚くべきことではない。スパルタ式の衣装はああいう もので、肉体の多くをさらけ出す。その役にふさわしいように、彼は勇ましいフィットネスに身を投じた。「ぼくがやったトレーニングの程度はとんでもなかっ たね。自分の限界点までやったんだ。2人の別々のトレーナーがいて、それぞれと2時間やり、それからスタントの連中と訓練しに行ったんだ」その結果はアー ノルド・シュワルツネッガーも認めるであろう肉体だったが、潰れる寸前のものだった。

「3ヶ月位したら、肉体が音を上げ始め、ちゃんといたわってやるのに数ヶ月かかった。ぼくが考えるいたわってやるというのは、何もかも止めることだったん だけど、それは一番まずいことなんだ。映画が終わった日に、よし、別のジムに行かなきゃいけないなら、我が身を撃ち殺すか、誰かを撃ち殺すかだ、って思っ た。そこで、遠ざかっていて、我が古き良きスコットランド式の生活様式に戻って、炭酸飲料を飲み、タバコをたくさん吸い、特に食事には気を付けなかった」

『300』の撮影から1年、バトラーはバランスを取り戻したようで、生活やマリブの山をハイキングしたり、もっと人間的なレベルでトレーナーと訓練するこ とを楽しんでいる。それは、たやすくは生まれなかったであろう生活様式であり、経歴だ。彼はグラスゴーで生まれ、3人兄姉弟の末っ子で、家族は彼がまだ赤 子の時にカナダに引っ越した。両親が離婚すると、彼は母と兄姉とスコットランドに戻り、ペイズリーで育った。父のエドワードとは連絡がつかなくなったが、 バトラーが16歳の時に再会し、エドワードが6年後に癌で亡くなるまで仲のいい友人となった。

バトラーは演技に天賦の才を示し、スコティッシュ・ユース・シアターで演じたが、「分別ある」意見を入れて、グラスゴー大学で法律の勉強をすることにし た。卒業後はエジンバラの法律事務所で2年間過ごしたが、とても惨めだったという。彼の飲酒は手の付けられないものになり、ついには丑三つ時に 'We Are Sailing' を歌いながらクルーズ船の手すりからぶら下がったりもしたことがある。修習が終了する2日前に、バトラーの雇用者はもう充分だと思い、彼をクビにした。最 終的にハリウッドの主役になると彼らが予期していたと、彼は思っているのだろうか?

「まさか。そんなこと想像したこともないよ。ぼくは事務所には何も憎しみは抱いていない、ただ、彼らにかけた迷惑を申し訳なく思うだけだ。ある点で、ぼく を辞めさせたとき、怒ってさえいなかった。要するにこう言ったんだ。『これは君には向いていない。だから君は行って、自分を立て直し、自分の信じることを するんだ』それがあった日は、ぼくにとって人生で恐らく最悪の日だったけど、今振り返ってみると、『もしクビになっていなかったら、どうなっていただろ う』って思うよ」正しく次の日、バトラーは運を見つけにロンドンに行った。その1週間前にエジンバラ・フェスティバルで『トレインスポッティング』の上演 を見て、舞台に立つことに情熱を掛けたいのだとわかった。彼はスティーヴン・バーコフの『コリオレイナス』**の演出で最初の機会を掴み、観客として『ト レインスポッティング』を見ていた1年後にエジンバラに戻って主役を演じた。「弁護士たちがみんな見にきて驚いてね、『君を誇りに思うよ』って言った。何 があろうとも、何か不思議なやり方でそれはちゃんとした理由があってなんだとぼくにわからせてくれた」

バトラーは9年間酒を飲んでいないが、まだ耽りやすい性格は残っている。「ぼくはバランスを取るのが下手なんだ。役のために物凄い時間を費やして体を張っ て、どっぷり役に浸かり、色んな理由でとてもキツイ役を引受けてきた。今ぼくは、もうちょっと深く息をしよう、もっとバランスが取れていると感じるように しようとしたい」彼は上手くいっているようだし、同年代の人よりも少し遅く演技を始めたので、荒れていた時代にタブロイド紙の紙面を賑わせているのを見る よりも、私的にしておくことができた。『300』だけでなく、彼にはあと2本じきに世に出る映画がある。Butterfly on a Wheel は、バトラーがピアース・ブロスナンとマリア・ベッロと共演したスリラーである。

「ピアースは腹黒く演じて、本当にとても感銘を受けた。すごく張りつめた深刻な物語で、誘拐があるし、ぼくは神経がおかしくなるんだ。ぼくにとっては、毎 日その感情のレベルを保っておくのがとても大変だったし、『300』が終わったばかりだったんだ。この映画に入るために1ヶ月間マッサージ・テーブルに 乗っていて、それからピアースとぼくは撮影中に車が衝突した。肋骨が1本飛び出して、ぼくはむち打ちになり、撮影の残りはすっかり神経をすり減らして過ご した。『300』とこれで、もうご免だ、これ以上怪我はまっぴらだって思ったね。演技に情熱を傾け過ぎたと思い始めた」彼の次のプロジェクト PS, I Love You はペースを変えるのに丁度よかった。ヒラリー・スワンク、キャシー・ベイツ、リサ・クドロウが主演するロマンチック・コメディで、バトラーに一息つかせて くれた。「あの仕事に入って、すっかりハメを外して、くつろぎ、結果については考えなかった」

これらの映画がバトラーをトム・クルーズに匹敵するスターにするかどうかはわからないが、彼が全てを難なく切り抜けているという感じがするだろう。彼には すでに信じられないような規模のファンがいるーーGoogleで調べたなら、彼に捧げられたサイトが果てしなく見つかるだろう。その1つ、 GerardButler.net は700万以上の訪問者があり、バトラー関連の商品を売り、毎年何万ポンドものチャリティ募金を集めている。他の所は、彼に捧げる大会を開いたり、ラジオ の放送***を行なったりしている。彼らはバトラーから完全な支援を得ている。「どれほど誠実か、どれほど情熱的か、どれほどエネルギッシュで、どれほど ぼくを愛して支援してくれているかにびっくりしっぱなしだよ。初めてファン・メールを貰ったとき、ショックを受けたのを覚えている。ウエブサイトが現われ 始めると、知ってる他の俳優たちがこう言ったんだ。『気に懸けるな、あいつら皆いかれてるんだ』ってね。どうしてそんなことが言えるんだろう? もしだれ かが尊敬してくれたり、褒めてくれたのに、振り向いて『ノー、サンキュー』と言うなんて、なんて恐ろしいことだろう」

「ぼくは『クールで、平穏に暮らす男』を演じようとしたことはない。ぼくは自分の人生で起きたことについてはとても正直だから、たぶん人は他のことと同じ くらいぼくの不完全さのためにぼくと一体化するんだろうね」

完璧とは言えないかもしれないが、彼には分別がある。ハリウッドの扉を叩いて10年後、ジェリー・バトラーはハリウッドを征服しかかっている。そして、も し上手く行かなくても、まだ彼は冗談を飛ばして、向こう見ずに撮影に身を投げ出し、彼自身のカリフォルニア・ドリームを作り出していることだろう。

・『300』は金曜に公開される。

[訳注]
*My spaceについてはこちら
**シェイクスピア作品
***GALSがPodcastを行なっている

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