FANDANGO
2007 年2月28日
リチャード・ホーガン

『300』のジェラード・バトラー
スコットランド人俳優、ハリウッドの最新アクション・スターとしてのクローズアップ に準備中

この春ジェラード・バトラーにとって『300』は、昨秋『カジノ・ロワイヤル』がダニエル・クレイグに果たしたような徴候が見えるーーすなわち、多才な英 国俳優を世界的なスターへと高めるのだ。インターネット上での騒ぎは大変なものだし、初期の上映に対する反応は圧倒的なものであり、前売り券の売れ行きは うな ぎ上りで、『ファンダンゴ』の初期のユーザー評は「必見!」と呼んでいる。

それも無理はない。紀元前480年の300人のギリシア人と何万ものペルシャ人との間の叙事的戦いについてのハリウッド映画(1962年の『スパルタ総攻 撃』)はすでにあるが、ザック・スナイダーがフランク・ミラーのグラフィック・ノベルを翻案したものはこれまで見たこともないようなものなのだ。そして、 上半身裸のスパルタ王レオニダスとして、37歳のスコットランド生まれのバトラーは、『オペラ座の怪人』で着けていた仮面をはずし、アンジェリーナ・ジョ リーの『トゥーム・レイダー2』での脇役から踏み出し、アクション映画の歴史の1編を己のものとした。最近のインタヴューの間、元舞台俳優は、カナダのモ ントリオールにあるサウンドステージのグリーン・スクリーンの前で全面的に撮影された叙事映画にいかにして備えたかを語った。

Q:『300』のためのトレーニング法はどんなものでしたか?

ジェラード・バトラー:そう、まずイタリアで休日を過ごしていた時に 知りもしない人から太っているといういらぬコメントを受けたことを覚えている。だか ら、ちょっとやらないといけないと思ったんだ。ぼくの体形は(2001年の英国テレビ映画*)『アッチラ』の時以来ずっとかなりよくて、いろんな仕事がか なりの肉体的なことを必要としたのが幸いしたんだ。ところが、これのためにトレーニングを始めた時には、多分最低(の状態)で、山ほどやらなくてはならな いような気分だった。で、実際に山ほどやったんだ。他のどの役のときよりも、これのために厳しい訓練をしたと思う。

Q:撮影中に怪我をしましたか?

バトラー:ちょっとね。誰かを槍で突こうとして楯を殴ってしまった傷 が拳にあるよ。さんざん打ち身をした。骨盤筋を伸ばした。両肘と両肩の腱炎を起こし た。この映画で実に沢山のことを経験したよ。2ヶ月後に、その後遺症が出てき始めた。

最初にトレーニングをやり過ぎたと思う。それがぼくのやることなんだ。こういうことに夢中になって、いつもちゃんと判断しないんだ。でも、今は喜んでい る。ぼくらの王がどう感じるかを想像する、だって、彼は戦闘できっとぶつかったり打ち身を作ったりしたからね。ぼくには、全て経験だよ。

Q:他にどのような要因があって肉体的準備をしたのですか?

バトラー:ぼくはまた、王が必要とするとぼくが感じている(イメージ に)ふさわしいようにしようと気を配った。レオニダス(王)が髪を編んでいるやりかた を見たなら、その髪の下には立派な体がなくてはならない。どんなにぼくが強くたって、この髪のしたにひょろひょろの体を目にしたら上手く行かないから、体 を大きくして強くなる必要があるとわかった。

最初の2ヶ月は1日6時間トレーニングした。なにしろ、LAのヴァレーでエアコンもない気違いじみた所で、2時間剣術もやっていたんだから。そこで物凄く 汗をかいたから、体重を落とすにはもってこいだった! それから、映画のトレーナーと訓練し、その後自分のトレーナーと訓練したんだ。肉体的な忍耐と同時 に 精神的な忍耐でもあった。体への後遺症が出ちゃったんだ。本当にそうだと思う。

Q:フランク・ミラーの元のグラフィック・ノベルは随分参照しましたか?

バトラー:もちろん、ぼくはコミックを見て長い時間過ごしたし、(監 督の)ザック(・スナイダー)もそうだよ。グラフィック・ノベルには、王が途方もない姿勢や態度をする場面があって、映画で真似しよ うとした。ぼくはレオニダスのその時の気分を掴むために、真似をしようとしていない時にもしばしば本を見ていた よ。

でも、やりすぎるとばかばかしくなるから、抑えなくてはいけない。実際にありそうなことと作品のファンタジー的な要素との間の微妙な一線を見つけるように するんだ。超現実的であると同時に現実的なんだ。この男の絶対的な無慈悲さと、彼が「英雄」という定義をぎりぎりまで押し進めた英雄だという事実との間の 微妙な一線を見つけることだ。

映画を通じてずっとぼくらはものすごくぶつかり合っているから、時にはスパルタ人は悪い奴だって感じるかもしれないね。ぼくらはただ連中を殺しているん じゃないんだ。それが大好きなのさ。そうするように生まれついて育てられたんだ。同時に、ぼくらがこの戦争を始めた訳じゃないということは覚えておいてく れ。攻撃されたんだ。で、できるだけ血みどろに、楽しくするようにしているのさ、だってこれがぼくらの生きる糧なんだから。

Q:あの剣や楯をもって走り回るのは面白かったですか?

バトラー:そりゃもう、同時にきつかったけどね。背中も脚も肩も死に そうだったよ、だって楯を持ちながら剣で切りつけているんだから。大きなマントを着 けて、12時間後には本当に重くなってくる。

これまで仕事した中で最高のスタントマンたちと仕事した。彼らのとてつもない才能の点からだけではなく、どれほど魂を預けてくれたか、どんなに励みに なったか、どんなに忍耐強いかという点でもね。ぼくがどんなにスクリーンで良く見えるとしても、彼らがぼくを10倍良く見せてくれているんだ。

Q:コッドピ−スを着けるに当たって意識しましたか?

バトラー:当初はね。初めて身に着けた時、まだ誰かがこんな風な格好 をしているのを本当には見たことのない沢山のクルーの中を歩かなくてはならなかった。 トレーナーの黒いソックスと革のコッドピ−スを着けただけで、他には何も身に着けていなかった。クルーはぼくが通り過ぎるのを見ていて、連中の顔に笑いが 見えた、そして「こんなことが何ヶ月も続くのか?」って思ったね。でも、面白いことは、結局は誰もぱちくりともしなかったんだよ。

Q:基本的にグリーン・スクリーンだけで他にはほとんど何もないセットでやるのはど んなものですか?

バトラー:じつに難しいね。『オペラ座の怪人』のような映画では劇場 のセットがある。ダンサーや群衆に囲まれている。地下には栖があって、そこには見るも のや感じるもの触れるもの嗅ぐものがある。ところがここでは、まがいの岩の横に立っているだけだったり、いもしない100万の軍を見つめていることになっ ている。その時点では10人ほどだけからなる300人の軍に話しているんだ。

Q:『300』の撮影の経験にはある劇場的な要素がありましたか?

バトラー:よく劇場みたいに感じたよ。唯一の違いは、劇場では始めか らストーリーを語り出す。だから、その途中でも(その経験)については本当に考えては いない、ただそこにいるだけだ。どこにいるのかということすら考える必要はないんだ、そしてそれが [撮影には] なかったんだ。それが劇場と映画の大きな違いだね。

ぼくはいつもコミックのキャラクターと『300』の演劇的要素のの間のバランスを上手くとろうと気を付け、どちらの側にも行き過ぎないようにしていた。そ れがこの企画の魅力的な所だよ。時には「ここで何をやっているんだかわからないな」ってこともあった。でもまた、これまで誰も見たことのないものを作って いるんだってわかっていたよ。

[*訳注: 英国ではなくアメリカのテレビ・ドラマ]

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