冒
涜だ! 気違い沙汰だ! これが・・・スパルタだ!
Premiere Magazine 2007年3月号
トム・ラッソ
ペルシャとの
スパルタ人の全滅までの戦いを描いたフランク・ミラーの超暴力的なグラフィック・ノヴェル『300』が、ものすごく忠実にスクリーンに移された。
ジェラード・バトラーのレオニダス王と部下たちは戦いに備えているーーフランク・ミラーの挑発的なえり好みのある歴史解釈により、兜とマントとコッドピー
スと
気構えだけを身に付けて。笑いながらバトラーは言う。「時には歴史をもっと芸術的なやり方で描いた方が良い、もしそれがディスカバリー・チャンネルでやっ
ているようなものになるよりも、よく理解されるのであるならね」
もしもスパルタ戦士の叙事詩は目新しく異なったものであるという意見を述べたいのであれば、まず肌を見せびらかす軍隊に、あくまでもしつこく貫かれた敵の
群れ、まるでミュータントのような戦士たち、それにーー構わないだろう?ーー戦犀、あるいは本当に先端をぐさりとやりたいのなら、悪い奴の目玉に槍をぐさ
りと突き刺すのなどから始めてはどうだろうか?
これら全部とさらに多くがザック・スナイダー監督がフランク・ミラーによる受賞グラフィック・ノヴェルを取り上げた『300』の幸福なまでに血みどろの風
景で観客を待ち受けているのだ。これは、ミラーの『シン・シティー』が伝統的なフィルム・ノワールとは異なっているように、このジャンルの他の作品とは
はっきりと異なっている。そして、『シン・シティー』のように、キャストをブルースクリーンの舞台の上で撮影し、後からその殺風景なディジタル環境を加え
て作られた。
「古代ものの剣戟映画は、願わくば我々がやってから後は、決して同じものではなくなるだろうね」と、『トロイ』と特に『アレクサンダー』が不振だったので
懸念するワーナー・ブラザーズについにこの企画を売ったスナイダー(2004年の『ドーン・オブ・ザ・デッド』)は、その議論を繰り返して言った。(もち
ろん、それはスナイダーがスタジオの鉄面皮に、ワーナーの楯が槍に貫かれるオープニングに引き続いて最先端の超暴力が360度展開される2分間のテスト・
ショットを渡すのに支障はなかった。)
この映画は紀元前480年のテルモピュライの戦いを描いている。そこでは、たった300人のばかばかしいほど少人数の派遣隊が、地理的な狭隘地に進軍し
て、大規模なペルシャの侵略軍に対して破滅の運命にある抵抗を行なう。ミラーは子供の頃に1962年の『スパルタ総攻撃』を見て以来、その戦いに魅せられ
ていた。そのストーリーと陰気な終わりは、初期の『シン・シティー』コミックにカプセル版をつ突っ込んだほどに彼の感性に影響した。「わたしは6歳の時か
らこの話が大好きで、いつもやってみたくてうずうずしていた」と、ミラーは述べる。彼はもともと1998年から連載コミックとして出版された『300』を
書いたり、描いたり、調べたりするのに数年間を費やした。彼の創造的で知的な傾注があったにしても、ミラーは翻案には長いことOKを出さずにいた。今彼は
言う。「ブルースクリーンとスロー・モーションと早回しを使うザックが撮影したやり方は、ちっとも古い話だとは思えない。スパルタ人たちが動き出すと、
スーパーヒーローのように見える。いいやり方でね」
スナイダーがまず最優先したのは、ミラーの独特のヴィジュアルを捉えることで、それは常に物理学や論理学に則ったものという訳ではない。映画のストーリー
ボードを描くのに、映画に転じる前は野心的な画家として美術学校に通った40歳の監督は、グラフィック・ノヴェルからページを切り取り、それをキー・パネ
ル
に拡大した。時にはミラーの絵の前後に来ると彼が想像した行動を描いた。他の場合には、垂直のパネルを用いて、映画の枠の寸法に合うまで余白に描いた。し
かしゴールは常に、彼が述べているように、「フランク的な」ものであった。彼は、ジェラード・バトラーがスパルタ王レオニダスとして冷酷に(そしてあり得
ないことだが)ペルシャ特使を口を開ける井戸に蹴り落とす開始場面に、スタジオがどれほどぶっ飛んだかを思いだす。「連中はこう言った。『うむ、使者はあ
んなに井戸の近くには立たんだろうが』そこで、わたしは続けたよ。『現実の世界ではありえません。でも、フランクの世界では? あるんですよ』連中にはそ
れがただの素材だということを理解するのにしばらくかかったよ」
ミラーの妥協のない解釈は、映画会社を困惑させたままだった。彼らのふるまいがあまりにも、そう、スパルタ式であるのに、どうやったら主人公に人間性を与
えることができるのか。1つの答は、レオニダスと(『ブラザーズ・グリム』のレナ・ヒーディが演じる)王妃ゴルゴとの愛の物語という形で、素材にグラ
フィック・ノヴェルには見られないエストロゲン [発情ホルモン]
を注入することだった。なおもバトラー(『サラマンダー』)は言う。「もし本当にスパルタ
人を分析したいのなら、彼らをクレージーで、人殺しのナチだと述べることはいともたやすい。あんなにも妥協を知らず、非を認めない乱暴者で、しかも観
客に魂の中に入り込ませるのはなかなかのものだった」
現在独創的なスーパ−ヒーローで脱構築論者の物語Watchmenを準備中のスナイダーは、『300』に手荒なことをするのをためらわなかった。(スナイ
ダーの『ドーン・オブ・ザ・デッド』でのゾンビの赤ん坊の処刑と『300』で病弱に生まれたスパルタの子供を待ち受ける運命とどちらがどぎつさで勝るか、
という議論が間違いなくじきにチャットルームで始まるだろう。)「スタジオの誰かが『おお、赤ん坊を崖からなげてはいかん、同情に満ちていなくてはいけな
い』なんてメモで脚本を和らげようとすると、わたしは『じゃあ作るのはやめましょう』ってな風で、向こうは『映画ファンは2時間のあいだ映画ファンなんだ
から、君にはスパルタ人になってもらわなくちゃな。だれもそこまで筋金入りじゃないよ』って言うんだ」