POST PLUS -- The Sunday Post Magazine
2009年3月1日号

バトラーかく語る

ギャング映画からロマンティック・コメディまで、ジェラード・バトラーのキャリアは、ダリル・スミスが見出しているように、ますます強力なものになりつつ ある。

業界の外の者はハリウッドのライフスタイルを夢見ているかもしれないが、ジェラード・バトラーは彼のキャリアのごく初期に、厳しい現実にさらされた。グラ スゴー生まれのスターは、1997年のオスカー候補となったヒット作『クイーン・ヴィクトリア/至上の恋』で、ジョンの弟アーチー・ブラウンを演じた。彼 の最初の映画の初日で、気に入られようと一生懸命だった。そこで、監督のジョン・マッデンがジェラードと共演の [ジョン役の] ビリー・コノリーに凍るような海に素っ裸で入って欲しいと言うと、新人はその挑戦を自由奔放に受け入れた。しかし、大物の方は屋外で裸になったことで悪評 を得たのに対し、ジェラードはまだこれからその技を会得する所だった。そして、自分のひょろひょろやせた体で泳いだことで彼は鬱状態になってしまった。

数年後、今やしっかりと足場を固めたスターとなって、『トゥーム・レイダ−2』『オペラ座の怪人』、そして役柄上またも服を脱がなくてはならない 『300』に出演した。次は、ロマンティック・コメディ『PS アイラヴユー』で、この時は医者の手当を必要としたのは彼の共演者だった。喧嘩の後で(ヒラリー・スワンク演じる)妻をなだめようと、ジェラードがぎこち ないストリップを演じている運の悪い場面で、現実が芸術を模倣し、伸縮性のズボン吊りのクリップが外れて、『ミリオン・ダラー・ベイビー』のスターの目の 上に当たって怪我をさせたのだった。裸が関わるところでは、2度痛い目に遭うと3度目は懲りるようだ。「いいかい、映画の中で服を着たままでいられるな ら、いつも脱ぐよりは着たままでいたいね」とハンサムなスターは、映画のセットでストリップをした時に起きた不運を思い浮かべて笑いながらわたしに言っ た。「ヒラリーの怪我は『300』で起きたどんな怪我よりも酷いものだったよ。『300』はもっとずっと怪我しやすかったんだけどね」

「目に酷い怪我をした奴がいたんだけど、ヒラリーの怪我はもっと酷かった――顔を5針縫ったんだ。顔を5針縫うというのはたいていの役者がそのキャリアで 得るよりも酷い。だけど、もしそれを得るとしたら、ぼくから得ることになるのさ」

ひるむことなく、ジェラードは夏の大作の一つと目される次のロマンティック・コメディ The Ugly Truth (みっともない真実)に向かった。これでは、番組のプロデューサー(キャサリン・ハイグル)を使って男女関係についての自説を証明しようとする男尊女卑の 朝のテレビ番組の記者を演じている。だが、彼の巧みな策略は思いがけない結末となる。ジェラード・バトラーについての真実はみっともなくはないが、思いが けない。40歳の誕生日(11月に大台に達する)が近づいて、彼はインテリア・デザインに対する趣味のいくばくかを顕した。「ロンドンで始まったんだ」 と、グラスゴー大学で法学士の学位を取って卒業した後南部に移ったスコットランド人は言う。「そこに家を持っている――目下の所からっぽのままなんだけど ――最初何年も前に手を入れてこう思ったんだ。『これ見てみろよ、すごいなあ』ってね。その時、それはぼくにできることだってわかったんだよ。正直言って みんなすごくびっくりするんだけどね。みんなぼくの家に入って来ると決まって、『ええ、これ君がやったの?』って言うんだよ。」

ジェラードのキャリアが増えて行くにつれて、役の幅も広くなった。2004年のアンドリュー・ロイド=ウエバーのミュージカル映画でオペラ座の怪人として の主役に引き続き、ジェラードはニュー・ヨークに家を買った。米国の興行収入だけで2億1千万ドルを稼いだ映画『300』でスパルタ王レオニダスを演じた 後は、ロサンジェルスの家にアップグレードだ。

「ニュー・ヨークの家を望むようにするのに4年かかった。そして、すごくそれを誇りに思っている。今はロスの家に同じことをしているんだ。ぼくは古い様式 が好きなんだ。ニュー・ヨークの部屋を壊してもっと古く見えるようにした。ボローニャとかにある古いアパートメントみたいにね」

「皮肉なことに、今はロスに家を持っているのに、自分が望むようにしたくてもっとニュー・ヨークで過ごそうとしているんだ。ぼくは絶えずどこかの家をい じっている」

忙しい成功しているキャリアと、フルタイムの趣味があっては、ジェラード――知り合いになったならジェリーと呼ばれたがる――には他のことに割く時間はろ くにないとわかっても大して驚くことではない。街での新参者として、セクシーな俳優は2008年の多くを、ロスのどの女優とも恋愛関係にはないと否定して 過ごした。キャメロン・ディアス、ジェニファー・アニストン、パリス・ヒルトンは、昨年のある時点で米国のゴシップ雑誌で彼と噂になった。真実はどこか違 う所にある。

「身を固めたら素晴らしいなとは思うんだけど、同時に、何か違った風になっていて、ぼくが長期間の関係を結んでいたとしたら、今のキャリアはなかったと思 うんだ。

「ある関係が求める犠牲を払わなくてはならないとしたら、たぶんある点ではもっと幸せかもしれないけど、これほど成功はしていなかっただろうね。キャリア をこれほど積んではいなかっただろう。

「子供は是非欲しいけど、40歳で子供がいないのはぼくだけってわけじゃない。子供ができたら幸せだろうな。ぼくはその件では現実的なんだ。自分のキャリ アが進んで行き、躍進するのを見ている興奮からたくさんの幸せを得るけど、恋をして恋愛関係にあることからもたくさんの幸せが得られる。そこから得る慰め と足がかりは、鬼みたいに忙しくて成功していて、あちこちを旅している時には得られないものだ。だって、一日の終わりに共にいる人がいないんだからね」

手頃な女性と噂になっていない時は、ジェリーは映画と一緒だ。『オペラ座の怪人』の続編が話題になっているが、彼の長年抱いてきた望みは、ロバート・バー ンズの伝記映画を作ることだ。それで彼は生まれ故郷に戻ることになるだろう。熱心な愛国者 [ジェリー] が言うには、そこは彼の心から去ったことはない、たとえ彼がますます故郷から離れようとも。「人々や田園地帯が懐かしいよ。スコットランドはすごく美しい 国で、戻って目にするたびに、ぼくにとってはとても癒しになるとわかっているんだ。なにもかもがゆったりとしていて、ぼくはたちまち活力を得てリラックス するんだ。

「そして、人々やユーモアも。スコットランド人の友だちとニュー・ヨークに出かけたら、彼の言ったことで、ぼくは腹を抱えて笑ったんだ。スコットランドに あるものが恋しい――ユーモアのセンスやその痛烈さがね」

ジェリーがバーンズの伝記映画に持ち込まなくてはいけないのは、故郷に対するその熱い思いなのだ。これは、彼が過去10年間のほとんどに渡って口にしてき たプロジェクトである。彼が今や自分の名を使って500万ポンドの映画を実行に移す立場にあるという事実は、移ろい易いことでは悪名高い映画業界で成功し たということをジェリーに証明するのだろうか?

「『成功する』で何を言っているのかによるよ」と彼は応じた。「人々に『こいつは演技ができる』ということを示すには、『Dear フランキー』を見せてやれば良かった。あれはたいしてお金にはならなかったけど、もしぼくがある監督と交渉中だとして、彼が見たら、普通は何か好意的な反 応が常に返って来る映画だよ。それに、『オペラ座の怪人』は [日 本以外では] 大ヒットにはならなかったけれども、それでもぼくはとても認められた。だけど、成功するというのが本当に成功することだ としたら、それは『300』だね。

「そこに教訓があると思うんだ。もし何にもならないこと(『Dear フランキー』)のために何かをすれば、その先々で報いがあるんだよ。

[『Dear フランキー』の] 女優のエミ リー・モーティマと映画を作っていた時のことを覚えているよ。よくお互いに『だれもこの映画を見に行きはしないだろうね』って言ったものだよ。ぼくたち は、あれがうまくいくかどうかわからなかったけど、あれはとてもすてきな物語で、ぼくたちが求めているものだと思っていた。実際の所、あの映画はすばらし いものになったと思ったね。

「そうは言いながらも、ぼくは『ドラキュリア』も作って、ジョエル・シューマッカーは当時シネプレッックスでやっていた他の6本は見てしまっていたので見 に行ったに過ぎないんだけど、『いつかあいつと一緒に仕事をしよう』と思いながら帰って来たと言うんだ。だから、もし山ほどくだらないものをやったとして も、これもまたうまく行くかもしれないってことを示しているのさ」

ジェラード・バトラーは、『ロックンローラ』で現在見ることができる。DVDは2009年2月に発売になった 。


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