Men's Health
2008 年10月号

ジェラード・バトラーの成功の秘訣
ルールなんかない


10年前、ジェ ラード・バトラーは法曹界での経歴を演技の経歴と取り替えた。その決意は彼の人生を変えた。さらに重要なことは、彼そのものを変えたということだ。

文:ジェイムズ・デイヴィッドソン、写真:アンソニー・マンドラー


「何を考えていたんだろう」とジェラード・バトラーは言う。

近日公開のガイ・リッチーの娯楽映画 RocknRolla のスターは、スコットランドのエジンバラにある中世の石造りの中庭に立っていた。雨が降っている。彼ははるか前に、俳優としての人生を始める前に、かつて 弁護士として働いていた建物を見つめている。38歳の彼は、雨粒が彼を包んでいる時、一瞬彼の勇壮な映画の一つから抜け出たキャラクターのように見えた ――英雄的で悲劇的であり、威厳がありつつ哀愁を帯びている。

「まさしくそれがやらなくてはいけないことだったとわかっている。でも同時に、一体何てことを考えていたんだろう?」彼の声はだんだんと消えていった。

バトラーはとても頭のいい子供だった。彼はグラスゴー大学法学会の会長だった。大学を出ると、一流の法律事務所に就職した。彼は、グラスゴーという労働者 階級のスコットランドの街から逃げ出してひとかどの者になった数少ない幸運な者の一人だった。

問題は、彼が惨めだったことだ。

「のべつまくなしに飲んでいた。自分の人生が嫌でしかたなかったんだ」彼は、大きくてきついスコットランド訛が近くのビルに反響しているとき、足下を見つ めていた。

1995年のある晩、バトラーはエジンバラ国際フェスティバルで『トレインスポッティング』の舞台を見て、突然生きている気がした。もうこれ以上弁護士は やっていられないとわかった。

「一週間後、荷物を詰めて、役者になろうとロンドンに移った。コネもない、経験もない、訓練も受けていないし、先の見込みもなかった」と彼は笑う。

古い諺「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」とは、何かしら大きな賭けがうまくいった後で、いつでも懐古的に語られる。そして、バトラーの賭けは明らかにうま くいった。『300』『オペラ座の怪人』『トゥームレイダ−2』などの大作で主演し、彼の俳優としてのキャリアは一握りの大スターを除くあらゆる人々の羨 望の的である。

だが、13年前の彼の状況を想像してみよう。「みんながぼくを笑ったよ。ぼくが自分のキャリアをすっかりだめにしたとみんな思っていたんだ」

人はどうしてそういうとてつもない危険を冒すのだろうか? どうしたら、それがいい考えだとわかるのだろうか? また、どうやって成功するのか?

バトラーは立ち止まり、ポケットに両手を突っ込んだ。「森羅万象が味方したんだね」と彼は言う。「何かをやると決心したなら、森羅万象が助けてくれるよう になるんだ」彼は、ラルフ・ウォルド・エマーソン*の ものとされる有名な思想を言い換えている。
* Ralph Waldo Emerson(1803-82)、米国の思想家、詩人、作家、エッセイスト。『自然論』(1836)で超絶主義を提唱した。エマーソンは "Make the most of yourself, for that is all there is of you."「自分を最大限に利用せよ、それがあなたにあるすべてなのだから」と述べた。

そして、バトラーの場合は、それがうまく働いた。1年間学んだ後、前年の夏に見た『トレインスポッティング』のまさに同じ舞台で役を得た。

やるべきことをやれ
もちろん、才能があることは助けとなる。そしてバトラーには明らかに才能があるが、彼は才能だけではあまり意味がないと信じている。「ほんとうに才能があ ると思う人たちがたくさんいるけれど、必死にやっていないから成功しないことがわかる」

言い換えるなら、本気になったときだけ森羅万象は力を貸してくれるのだ。あなたが進んでやろうとしたときだけだ。

時が経てば、才能と努力は区別がつかなくなる、とバトラーは主張する。何かについてより良くなるために、隅から隅まで学ぶために、必要な技術をすっかり得 るために、一生懸命にやることができる。そして成功すれば、人々は才能を讃えてくれるのだ。

バトラーの大いなる賭けから教訓を引き出すとしたら、性急に大きな危険を冒すということではなく、ふさわしい時期に冒すべきだということだ――つまり、そ の危険が成果を上げるのに必要なことをするだけのやむにやまれぬ気持ちがある時にするということだ。

もう少し深くバトラーの決断を掘り下げてみると、もう一つの重要な力が働いていることがわかる。「惨めな気持ち」だ。「ぼくはまるっきり手に負えなくなっ ていたということを理解しなくてはいけないよ。あれほど途方に暮れておかしくなっていなかったら、まだ弁護士をやっていただろうね。惨めだというのは、何 かが間違っている、人生でなにか大きな変化が必要だというサインなんだ。

「ぼくはもう10年以上酒を飲んでいない」と彼は続ける。「ぼくにとって全てが変わったのはその時なんだ。人生で成功し、幸せになるためには何をしなくて はいけないかがわかったのは、その時だった」この[役者になるとい う]クレイジーなことをしたいという欲望を認めたことで、人生に対して無感覚になる必要はなくなった。他の人にとってクレイジーに思える こと――明らかに夢物語を追うために責任あるキャリアを捨てることは、実は彼にできたであろうことのうちで、もっともまともなことだったのだ。彼はそれで 自由になった。

「ロンドンに移ることは大変な危険を冒すことだとわかっていた。でも、自分にこう言ったんだ、スターを目指すんだ、細かいことは後で考えればいい、って ね。」

自分の信条に従え
皮肉なことは、バトラーは、これまた見る前に跳んでしまう*キャ ラクターを演じることで有名になっているという点だ。
*「跳ぶ前に見よ」Look before you leap(転ばぬ先の杖)という諺を踏まえた表現。

RocknRolla の中心にいるチャーミングで都会で生きるためのしたたかさを持つギャングのワン・ツーは、白昼何百万ドルも盗むのに何の苦労もしないような奴だ。さて、彼 が逃走用の車を発車することができさえしたら・・・

「車を盗もうとしているシーンをやっている時、たくさん即興でやらなくてはならなかったんだ。そして、やるたびに、ちびるほど笑っちゃうんだよ」2人の車 泥棒が盗んだばかりの車をどうやって発車させるのかを尋ねる場面には、一種のパルプ・フィクション(低俗な読み物)と[ガイ・リッチーの]『スナッチ』を合わせたような不条理さが ある。この映画を、ただの先の読めてしまうアクション映画以上のものにしているのは、この映画の人間性であり、キャラクターたちの素っ頓狂さや不安定さな のだ。

バトラーの最も有名な役、叙事映画『300』のレオニダス王で、彼はとてつもない危険を冒す役を演じた――大規模な侵略軍に屈することを拒む300人の軍 を率いる王である。映画の中の何かが、世界中で男性観客の泣き所に触れた。不滅の興行収入を達成したことに加えて、映画と、メイン・キャラクターとバト ラー自身に捧げるファン・クラブがうじゃうじゃ誕生した。

「すっかり高揚して、友だちや国や何かのために死ぬ気になって映画館から出てくるんだ。『駐車スペースを得るために戦うぞ! 殺してやる。これはおれの駐 車スペースだ!』ってね」とバトラーは言う。

「普通の人は規則に従わなくてはならない」と彼は続けた。「我々はみんなそうだ、人生においても、仕事においても。でも、この連中はこんな風なんだ。『我 々は何のために戦っているのかわかっている。他のことはどうでもいい。規則などない、我々の信条だけだ』」

そして、道徳的に浮ついた世界、あらゆる信条がそぎ取られ、合理化される世界では、これは新鮮な意見だ。

われわれは今死ななくてはならないだろう、なぜなら我々の信条が跪くことを許さないから。

自身のエネルギーを見つけよ
「この街は不思議だ。あの城を見てごらん」バトラーは、南のエジンバラ城の方を指差した。がっしりとした切り石と胸壁のモニュメントが、街を睥睨(へ いげい)している。

「家並みは城からある地点で終わるんだ」と彼は説明した。「防衛のためなんだ。その距離は、矢を放って届く最長距離なんだよ。これはもちろん、長弓*が出てくる前のことだけどね」彼は長弓の歴史について語り始め た。それがどのように戦争を変えたか、男たちがいかにして巨大な武器を放つことだけをするように育てられたかを。
* イングランドにおける長弓の登場は、戦争の歴史を変えた。それまでの弓に較べて飛距離が長く、それによって敵よりも遠くから攻めることができるので、イン グランド軍は百年戦争の前半にはこの弓のお陰で、フランス軍を次々に破ったのである。主に長弓隊は、ウェールズ出身の歩兵で構成されていた。

もちろん、バトラーは中世の戦争についてはたくさん知っている。[『タ イムライン』でやったのだから]当然知っている。

一緒に歩きながら、彼は名所旧跡を指し示した。彼はそれらに魅せられているようだ。それらについて語ることで、自分をエネルギーで満たしている。

「スコットランドの人々について何もかも愛しているよ――温かさやユーモア、暴力を揮う可能性をね」バトラーは国際的なスターとして認められた数少ない選 ばれたスコットランド人の俳優の一人である。ユアン・マクレガー、ショーン・コネリーを含むとても短いリストだ。彼はこのことを大変に誇りにしている。

一緒に街を歩いていると、彼の感情はとても・・・生き生きとしている。店主と話をしに店に入っていく。必要でもないものを買う。カウンターの後ろに入って いく。携帯電話を盗む振りをする。シャツにサインする。冗談をとばす。歌う。スコットランド訛でものすごく乱暴な口をきく。車の間を走り抜ける。機嫌良く 男の背をたたく。女性にいたずらっぽく微笑む。赤の他人に彼らの人生について尋ねる。

バトラーは1時間ほど電車に乗ったグラスゴーで、シングル・マザーに育てられた。2歳から16歳まで、父には会わなかった。そのことに何らかの憤りを引き ずっていたとしても、彼はそれをうまく隠し、代わりに母のことを高く評価している。「母は、ぼくや兄姉のためにすべてを犠牲にしたんだ。昨晩母と散歩に出 た。この辺りの素敵な家々を見ていると、母が1軒を指差してこう言ったんだ。『あの人の家の車庫を見てごらん。あれは、おまえが育った家よりも広いわ』っ てね。」彼の声には誇りがあった。困難を克服して生まれる誇りだ。

「グラスゴー出身で演技の道に入ったものはいないんだ。役者になりたいなんておかしな奴だと思われる。でも気にしなかった。それが、ぼくがやりたかったこ となんだから」と、彼は続けた。

こう言いながら彼は、滑らかで濡れた歩道をスキーヤーのように踵で滑っていく。彼は立ち止まると、くるりとわたしの方に向いた。「でも、成長するには凄い 所だったね。毎日他の子供たちと外で遊んでいた。楽しいことやいかれたこと、危険を冒すことがたくさんあった。いつも線路を走ったり、崖からぶら下がった りしていた」

彼は振り向くと、また歩道を滑り出した。大きな危険を冒すことが変化させる力を持つということを完全に理解している男が、小さなことにも夢中になるという ことをさらけ出すのは、驚くべきことではない。

彼は6フィート近く滑って、一瞬バランスを崩しそうになったようだ。すると、最後の瞬間に、体勢を立て直す。

「はは! 見たかい?」彼はにんまりとして言う。「もう一回やるから見てくれ」

永遠にストレスを撃退する
プレッシャーは色々な形でやって来る――締め切りが迫る、クレイジーな旅行日程、景気の悪い中での就職活動。大きなリクスを冒すことで、ジェラード・バト ラーは落ち着きを保つにはどうしたらいいかをいくつか学んだ。彼の4つのステップを借りてみよう。

ステップ1:コントロールできないことからは手を引く
「ぼくはプレッシャーを取り除くのに、とても複雑なプロセスをとっている。自分に向かってこう言うことから始める。『自分にできることだけやる』」これは ただ自分の限界を認めることではないとバトラーは言う。それは、すべての結果に影響することはできないと認め、手に負えないことからは手を引くということ だ。

ステップ2:コントロールできることはためらわない
秘訣は仕事を避けることではなく、ストレスを避けることだとバトラーは言う。「仕事をしているときは、人々からぼくに与えられた信頼、費やされたお金のこ とを常に心に置いている。それに応えるためにぼくができる最善のことは、一生懸命にやることだろうね」

ステップ3:R&R――休息(rest)とレクリエーション( recreation)の時間をつくること
「自分の成功をだめにしたくないから、のべつまくなしにパーティに出かけることはしない。できるだけ休息するようにしている」また、トレーニングも犠牲に はしない。「新しい場所で仕事をするときは、いつもこう考えているんだ。OK、道はどこだろう、どこかにハイキングかランニングに行けるかな、ってね」

ステップ4: 初心に返る
「ぼくは自分がいる場所を愛し、やっていることを愛するようにしている。生活のためにやっていることをするのは光栄だと思っているよ」とバトラーは言う。 目標を達成するためには信じられない量の仕事をこなさなくてはならない。それが、あなたにとって最もストレスの多い時期に大いなる誇りの源となるであろ う。


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