『ベー オウルフ&グレンデル』(2005) 映画評
2008 年3月1日
boopster 記
[訳 者からのお断り:Beowulf & Grendel のDVD 邦題は『ベオウルフ』ですが、ここではゼメキスによるアニメ版との区別をはっきりするために、『ベーオウルフ&グレンデル』のタイトルを使います。]

わたしは、中世研究者である・・・特にアングロ・サクソン専門家である。パニクらなくても良い・・・それは、わたしがアングロ・サクソン文学の、そして必 然的に歴史の「専門家」といったものだということにすぎないのだ。そしてそれは、様々なことの中でも特にわたしが知らなくてはならないのは、彼らのもっと も偉大な叙事詩、彼らのもっとも偉大な伝説的英雄ベーオウルフの冒険の物語なのだということを意味している。

さて、わたしは『ベーオウルフ』を学んだ。古英語で書かれた英語のもっとも偉大な叙事詩として歓迎されている叙事詩である。わたしは18歳だった。先生 は、自身も中世研究者であるジーン・ドゥコスタで、今は引退されている(彼女については今月、女性史月間を祝してわたしのブログに再投稿する)。わたしは 西インド諸島ジャマイカのセント・アンドルースにある西インド諸島大学モナ・キャンパスの1年生だった。

それ以来、わたしは今のわたしになったーー英語の教師にして文学研究家に。そして、わたしが英文科の副学部長の責を担う学校の専門課程の英語の授業を教え るたびに、『ベーオウルフ』を教えている。いつもこの詩の最初の数行を読んで英文学の概論を始める。もちろん、古英語で。

  Hwæt! We Gardena         in geardagum,
    þeodcyninga,         þrym gefrunon,
    hu ða æþelingas         ellen fremedon.
    Oft Scyld Scefing         sceaþena þreatum,
5
    monegum mægþum,         meodosetla ofteah,
    egsode eorlas.

できることなら、みなさんにも読んでさし上げたい! これが現代語訳だ。以下に記したウェブサイトのご好意による。
[ここでは、岩波文庫の忍足欣四郎(おしたりきんしろ う)訳によります]

「いざ聴き給え、そのかみの槍の誉れ高きデネ人(びと)の勲(いさおし)、民の王たる人々の武名は、
貴人(あてびと)らが天晴(あっぱ)れ勇武の振る舞いをなせし次第は、
語り継がれてわれらが耳に及ぶところとなった。
 シェーフの子シュルドは、初めに寄る辺(べ)なき身にて
見出されて後、しばしば敵の軍勢より、
数多(あまた)の民より、蜜酒(みつざけ)の責を奪い取り、軍人(いくさびと)らの心胆を
寒からしめた。」
SOURCE:  http://www.humanities.mcmaster.ca/~beowulf/main.html

このブログのタイトルで触れたこの詩の[ゼメキスのアニメ版]よ り前の現代版を見ると、文学を中途半端に採り上げた映画にしばしば不愉快になるように、これにも不快になることだろうと思った。わたしの唇が『ライオン・ キング』でシンバが王だと言われたときのタイモンをちょっとまねてみるどころじゃない、つばを飛ばして「あざ笑う」瞬間がある一方で、伝説を現実のものと する困難に取り組もうとする思慮深さを見て取った。

原作にこだわらなかった脚本家やプロデューサーや監督を許してやろう。そもそも、詩は断片だし、残されたものを現代の観客にとって「現実」となるようにす るためには、多くの問いに答えなくてはならないのだから。彼らがこれらの問いに答えるために選んだ方法は、有名なわくわくする伝説の興味深い再話を生み出 した。彼らは、よそでなら味けないとされて比喩的にされてしまうような多くのことをしている。そして、わたしにはそれがいいのだ!

わたしが今朝見たのは、今年公開された野心的だがいくらかばかばかしい宣伝をしている[ゼメキスのアニメ版の]ものーー「英雄の伝説的な時代に、力強い戦 士ベーオウルフが魔物グレンデルと戦い、その獣の冷酷で誘惑的な母親の邪悪な怒りをかき立てたーーではない。彼らの勇壮な争いは、ベーオウルフの不朽の伝 説を鍛え上げている。[B&Gの公式サイト] http://www.beowulfmovie.com/ は、 その英雄として、男らしくハンサムで気持ちのいい訛をもつジェラード・バトラーに英雄の役を振っている。

彼は良心の咎めを感じている。今も大英博物館にある詩の断片のどこにも出てこないキャラクターによって目覚めさせられた良心だ。「魔女」のセルマは未来を 見ることができ、当然骨占いを解読することができる。グレンデルの最後を見るのは彼女である。そして、それももっともだーー映画が終わりに近づくと、彼女 がかつて「トロール」に「犯され」、その後ずっと邪悪なデーン人から彼女を守ってきたのだということがわかる。さもなくば、デーン人は彼女を「犯す」だけ でなく、喉を切り裂いただろう。

そして、トロールのグレンデルーー彼の物語は、もし原作を知っているならわかるように、あまりにも変えられていてほとんど見分けがつかないほどだ。それで も、多くの魅力的な「付けたし」にもかかわらず、敵役として彼でかまわない。なにしろ、デーン人はたまたま彼らの通り道にいて魚を捕ったというので、彼の 目の前で父親を殺したのだから。彼は父の亡骸から首を切り落とし、それを洞窟に置いていたが、ベーオウルフの部下がそれを見つけ、その一人が無用な怒りの 発作で粉々にしてしまい、怒った息子の手で殺されることになる。

グレンデルの父を殺したフロスガールは、デーン人の王で、戦士文化の中でこれ以上に気の毒な人を見つけることは困難だろう。彼はトロールの手で屈辱を味 わっている。悲しみにくれる飲んだくれで、己の運命を嘆き、共同体の外で暮らし彼の部下たちができるなら犯すだろうし、いずれにしても彼らが追い出した女 にどうしてベーオウルフが信頼を置いているのかと不思議である。もしもデーン人の文化を理解しているなら、追放は戦士にとっては死も同然だった。しかし、 セルマは女にすぎないし、物事の枠組の中では価値が少ない。

グレンデルの母親は映画の後半で出てくる。彼女は白髪で長い歯をもち、悲鳴を上げる女のバンシー* で、死んだ息子の腕を取り返しに来て、止めようとするものは誰であれ殺す。彼女は水面下の洞窟に暮らす野生の生き物で、死んだ息子の亡骸と孫ーーそう、お そらく「熱に苦しむ脳」から出て来たもう一つでっち上げだーーを守るために我らが英雄と命がけの戦いをする。架空のセルマとの一夜の契りでできたグレンデ ルの子だ。母親はベーオウルフの剣の不当な切っ先で英雄のように死ぬ。まあ、それだけは詩によれば、そうあるべきだ。
 [*アイルランドやスコットランドで、家族に死者が出ることを泣い て予告する女の幽霊]

設定は、わたしがこの映画を尊重する理由の一つである。昼間ですら寒々としていて、夜はトロールが陸地を闊歩し、フロスガールの館ヘオロットで人々を殺す 時であり、さらに不気味で恐ろしい。人々の生活は厳しく、(残っている詩の断片には一人も出てこないが)子供たちでさえ彼らが暮らす時代と場所の残酷さの 影響を受けずにはいない。

このベーオウルフはどのような教訓を学んだのだろうか? まず、まだ彼を、フロスガールが酷い目にあって学ばなくてはならない統率力に関するもっと微妙な 教訓をろくに理解する能力のない、覚悟ができていない軟弱な戦士に見せてしまえる「魔女」の魅力の影響を免れないということだ。実際には、かつては強大 だったデーン人の王の過ちを彼が繰り返さないように、彼女は言わなくてはならない。説明しよう・・・。

映画はグレンデルと父親が開けた草原を歩いていて、グレンデルが父から数フィート離れた所ではしゃぎ回っている場面で始まる。突然父が彼を呼び、腕に抱え ると走る。彼の背後に戦士の一団が現れ、崖の端で彼に追いつく。彼が子供を下ろすと、その子は斜面を這って、切り立った崖にしがみつき、フロスガールの部 下が父を矢で射、フロスガールが彼が死んだことを確かめるために馬を下りるのを見ている。彼は少年を見、剣を振り上げ、それから下ろす。映画の最後の場面 では、ベーオウルフが剣を持ったボザボザ髪の少年が、彼の祖母が殺されたので、死んだ父の亡骸を守るのと向き合っている所を見せる。ベーオウルフは彼を無 傷で放してやると、セルマが彼はフロスガールから何も学んでいないと言う。彼が残った部下とイェーアトの地に船で帰る直前、トロールの息子の見ている時 に、彼がグレンデルのための弔いの塚を作っているところをわたしたちは目にする。

彼が学んだのは、奪った命を認めない限りは一つの命を救っても十分ではないということのようだ。彼は、思いやりが不和を癒す働きをしなくてはならないこ と、さもないと傷は残り、他者にとってその結果が相当なものになるということを学んだ。いかなる行為も人の喜びや苦しみに結びつかずにはいないというこ と、罰を受けずにはすまない邪悪な行いはないということ、苦しみに対して平気なものはいないということを学んだ。わたしたち銘々が、自分たちよりも大きく 優れたものの一部なのだということを学んだ。

そして、わたしたちを互いに結びつける最も強い絆は、親の子に対する絆だということを学んだ。その絆から生じるのは善か悪であるが、たとえ死であってもそ れは壊すことのできないものである。この映画の宣伝文からの引用でお終いにしよう。

「『ベーオウルフ&グレンデル』は、復讐・忠誠・慈悲のテーマが絡み合い、英雄伝説の仮面をはがし、今日本当らしく感じる粗野で錯綜した話を残している」

多分、わたしはこれを次にこの詩を教える時に学生に見せるだろう・・・何度も見るに耐える。

わたしの評価は(あまり映画はやらない者からのだとして受け取って欲しい!)☆4つ。

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