Indiewire

2011年 9月8日

 

ジェイムズ・ロッチ

 

トロント国際映画祭’11 評:レイフ・ファインズ監督の『コリオレイナス』は、挑戦的であり演技も良い

 

シェイクスピアのわずかにわかっている 生涯からすると、『コリオレイナス』は後期の悲劇の一つである。彼の同様の他 の作品と比べると、これはより複雑な作品の一つでもある。『リア王』のように裏切られた父親がいるわけでもないし、『マクベス』のように 自分の欲望によって破滅する善人がいるわけでもない。代わりに与えられるのは、戦いをひたすら望んで、世間が彼が戦士であることを許さ ず、代わりに戦いの英雄であることを強いた時に、我が身――家族、国、名誉――をむさぼり尽くすローマ人の将軍だ。政治の世界に押し込ま れたコリオレイナスは、彼の出世を求める人々によって、将軍、政治家となり、そして軽蔑される――怒りに駆られて、不倶戴天のウォルスク 人の敵タラス・オーフィディアスと手を組み、故郷を攻撃する。

 

レイフ・ファインズの映画監督デビュー 作として『コリオレイナス』は驚くべき努力だ――実際、あまりに見事なので、 全体よりも部分の方が面白いと思ったり、画面に固定した実際の演技よりも、演技のできばえや監督の仕方の方が面白いと思っても許されるだ ろう。皮肉屋は、『コリオレイナス』は、シェイクスピアの作品のうちで最近映画になっていないごくわずかな劇の一つだと言うだろう――こ れまでにロミオにマクベス、それにたくさんの滑稽なコメディがある。ケネス・ブラナーは『ヘンリー5世』と『ハムレット』の両方ではっき りと伝統に則った。一方、イアン・マッケランは『リチャード3世』で、ファシストで冷酷な安っぽいシェイクスピアを与えてくれた。ファイ ンズは、ローマ人の将軍カイウス・マルティウスを演じ、全般にウォルスク軍と、特に彼らの指導者オーフィディアス(ジェラード・バト ラー)と張り合う『コリオレイナス』を与えてくれた。現代に偽装され、光るはげ頭に銃を担いでいるが、ファインズの将軍は雰囲気を出して いる――小さなテレビのスピーカーを通じてスーツを身につけた首が長短短五歩 格で喋り、ローマ時代のそれに該当する物はCNNという最新のものになっている。 口調はローマ人対ウォルスク人よりは、セルビア人対クロ アチア人になっている――そして、『ハート・ロッカー』『グリーンゾーン』『麦の穂をゆらす風』の撮影技師バリー・アクロイドの仕事が、 その点で少なからぬ助けとなっている。

 

ファインズンはここでは自然の力である ――鼻がなく威嚇する儲かる類型ヴォルデモート卿を何年かやった後で、彼は演 技ができることをわたしたちに思い出させたかったのだ。将軍たるにふさわしく恐ろしい――彼のコリオリス攻略はあまりに残虐で、征服後は 「コリオレイナス」という尊称が彼の名に付け加えられた――のだが、彼の母親はさらに上をいく。ヴァネッサ・レドグライヴ演じるヴォルムニアは冷たい恐怖だ。「1ダースの息子がいたなら・・・11人は国のために名誉ある死を遂げさせよう、一人が・・・負傷して動けなくなるより は。」ヴァネッサ・レドグライヴはここではぞっとさせる ――的確で鋭く、冷血に切り裂く。ジェシカ・チャスティン演じる将軍の妻ヴィルジニアは、夫が無事に帰ってくることだけを願っている―― そんなことは想像できない、彼はそうなろうとなるまいと気にかけていないようなのだから。そして、元老院議員のメネニアス――ぶっきらぼ うでこの所急に売れっ子になったブライアン・コックス――は将軍を讃え、戦いの鬨(とき)の声から政治のささやき声へと移る道筋 をなだらかにしようとする。そして、――だれに想像できようか?――ジェラード・バトラーはオーフィディアスとして、怒りにわめこうと、 傷を負ってつぶやこうと、驚くほど見事なのだ。

 

それでも、芝居自体に没頭するのは難し い――『コリオレイナス』は(『リチャード3世』のように) 上意下達の国を裏切った男の物語ではないし、(『リア王』のように)家族に よって内側から裏切られた男の物語でもない。代わりにあるのは、欠点が名誉の ように見えるまでめちゃめちゃになった時代に適合し、それから自分より下の群衆(ルブナ・アザバルとアシュラ・バローム)、および自分より上の護民官たち (ジェイムズ・ネズビットとポール・ジェッソン)の両方から裏切られた男、「中枢」から借りがあるように感じている―― これは当てこすりではなく、むしろ褒め言葉だ――男の物語だ。コリオレイナスは、わたしたちが応援するよう勧められている裏切り者、もし くは裏切る英雄だ。これはシェイクスピアのより複雑な役の一つで、能力の劣る役者たちをだめにして来た。ファインズがその役で成功すると したら、それはもっと微妙にあるいは注意深く形作られたものであるよりも、むしろある程度は彼の凶暴な血まみれの激しさなのだ。

 

ジョン・ローガン(『グラディ エーター』)が脚本にクレジットされている。そしてこの物語の反復の潔癖さが彼の持ち味だ。同時に、ファインズはただ単に芝居をスク リーンに移したのではない。ここにはびっくりするほど親密な瞬間がある――ささやき、約束、 脅し、嘆願――それは舞台では効果がないだろう。舞台では役者の声は最後列まで響かなくてはならない。ファインズは、いかなる劇場での上演もかつてできな かったような場所と空間で演じて、映画の視覚的な可能性についても気がついている。戦闘場面はいささか速すぎる――いく つかの大きなアクション続きの場面では、どのローマ人がどのウォルスク人に何をしているのか見極めるのが難しい――しかし、会話の場面 は、どうやればいいかわかっている役者たちから発されるシェイクスピアの言葉の整った韻律で、滑らかでみずみずしい。『コリオレイナ ス』は確かに情熱的なプロジェクトであることははっきりしているが、それにもかかわらず、映画芸術作品を作り出すためには、ただ単に 演技力以上のものが必要だということがわかっているということをはっきりと示している役者による、しっかりとした映画の特徴もある。[B+]


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