The Philadelphia Inquirer
2009 年3月15日(日)

『市民(LAC)』がハリウッドの3つの流星をフィリーに集める

キャリー・リッキー(インクワィアラー紙映画評論家)

「市庁舎には悪い天使はいないよ」とF. ゲイリー・グレイは Law Abiding Citizen(『法を守る市民』)の[撮影の]休憩中にセカンド・エンパイア・タ ワーを称賛しながら、水曜に述べた。彼の6,500万ドルの心理スリラーには、地方検事補役のジェイミー・フォックス、彼を倒そうとしている制裁者役の ジェラード・バトラーが主演している。

ひげを生やしたヘビー級と評判のバンタム級のグレイは、『ウォーターフォールズ』のためのヴィデオでミュージカル・トリオのTLCに水上を歩かせ、『ミニ ミニ大作戦』[2003] ではミニ・クーパーを空中に浮かせた男である。「でも、監獄の独房の中から街の人質を取ることができる男 [ジェリーの役] はさらに重力をものともしていないさ」と彼は言う。

映画の中で、フォックスはバトラーの妻と娘の殺人者と司法取引をし、心に傷を負った男に街に血みどろの制裁を課させることになってしまう。その気分になる ために、グレイはiPod でドアーズの不吉な『ジ・エンド』を聞いている。

48日間の撮影の35日目に、フィラデルフィアのチアリーダーであるグレイとバトラーは、映画や街、市長についての彼らの印象を話してくれた。

「ナッター市長は、フィリーで一番気持ちのいい男で、素晴らしい寛大な心を持っていて、協力的で歓迎してくれている市民を表しているね」と、背が高くがっ しりとしたスコットランド人で『300』や『オペラ座の怪人』に主演したバトラーは言う。

ナッター市長の難題は、この映画での市長役(『ダウト』のヴァイオラ・デイヴィス)が、フィラデルフィアを跪かせた男に相対した危機と較べたら小さな ものと思えるかもしれない。

バトラーのイーヴィル・ツインズ社の最初の製作で、皮肉にも Law Abiding Citizen と題されたストーリーの背後にある物語は、同じくプロ意識と野心とがぶつかる物語である。

脚本は7年間練られ、初めはこれを監督することになっていた『ショーシャンクの空に』[1994] の脚本家で監督のフランク・ダラボンを含めた数多くの脚本家の手を経てきた。2008年にロケ地を探し、ダラボンは市庁舎に惚れ込み、ロサンジェルスに設 定されていた映画をフィラデルフィアに書き直した。

10月にグレイが加わったとき、彼はもうはまっていた。「フィリー [フィラデルフィア] にはロスにはないものがたくさんある。歴史的なランドマーク、高さ、密度だ」そして、映画を生み出す監獄も。グレイは、デラウェア郡のジョージ・ヒル刑務 所で肝心な場面を撮影した。そこは不気味な石の建物で、彼は城になぞらえた。

「他に市庁舎を撮影の場にできる所なんてあるかい?」と、プロデューサーのルーカス・フォスターは、迅速に許可を出し、街路封鎖をしてくれたグレーター・ フィラデルフィア・フィルム・オフィスの支援について感情をほとばしらせて問うた。

風景と同様に不可欠で、グレイの「ネオ・ノワール」映像を達成するのに役立つのは、ペンシルヴァニアの映画製作に対する税控除であるが、現在 [ペンシルヴァニア州都の] ハリスバーグで立法化が宙ぶらりんで危うくなっている。

撮影が3月29日に終了すると、『市民』は4千万ドルを地元に落とすことになる。それは、ホテルの部屋がたくさんふさがり、車が借りられ、運転手が雇わ れ、料理が配達され、地元出身の250人のクルーや1,000人のエキストラ、45人の俳優、プラス20人のスタント役が払うまだ計算されていない所得税 などに相当する。

映画を生業とする者の人生において、1本の映画はハリウッドの空にある1つのちらちらとまたたく光である。 Law Abiding Citizen に関して素晴らしいことは、その監督と主役たち(グレイとバトラーは共に39歳、フォックスは41歳)が、多作なワーカホリックで、また上昇中の流星でも あることだ。

口調が穏やかで独学で想像力に富むミュージック・ヴィデオ制作者のグレイは、『セット・イット・オフ」[1996] や『ミニミニ大作戦』などの人気作を監督し、ハリウッドで最も成功したアフリカ系アメリカ人の監督の一人となった。

バトラーは、喧嘩好きで荒れていて、舞台と映画のために法律と縁を切ったエジンバラの酒に溺れた弁護士だったが、10年もしないうちに主役に落ち着いた。

フォックスは、クラシックの教育を受けたピアニストからスタンドアップ・コメディアンに転身し、オスカー受賞のドラマティック俳優からチャトーのトップに 立つ R&B のヴォーカリストと衛星ラジオの司会者になって、あらゆるメディアの達人の地位に収まった。

フォックスが市庁舎の地下で仕事をしている間、グレイとバトラーは二人の一風変わった生き方がどのようにしてフィラデルフィアで交わることになったかを 語っていた。

F. ゲイリー・グレイ―― F はフェリックスを表すが、彼のことはゲイリーと呼ぶ――は、ロスのサウス・セントラル近辺の少年の一人で、1983年に家族の友人がイングルウッド・プレ イハウスに連れて行ってくれた。そこは13歳の少年を歓楽街から引き離しただけではなく、照明や役者たちと仕事をする経験を与えてくれた。

高校には、イリノイ州のハイランド・パークにある上流なシカゴ郊外にいる父の許へ母が彼を送った。そこには映画製作の機器があり、高校TV番組がケーブル で放映されていた。

彼は映画を作り、編集し、放送した。彼はそれらを高校時代の製作だとは触れずに履歴書に載せた。

「ライフ・スキルの授業で、目標を設定することの大切さを学んだんだ」と彼は言う。彼には3つある。映画を監督すること、牧場を買うこと、そして、40歳 になるまでに母に家を買ってあげることだ。経済的に、大学は選択肢にはなかった。

ロスで、グレイは自分の映画によって「映画産業に押し進んでいく」ことが可能になった。彼は1990年代に[映画会社の] フォックスFoxでフォックスFoxxと出会った。そこで役者[の フォックス]In Living Color のアンサンブルの一人で、監督 [のグレイ] はラップ・ショウ『ポンプ・イット・アップ(ガッツポーズをする)』のアシスタント・カメラマンだった。

彼はだんだんと出世し、こつこつとお金を貯めて、監督としての名刺になる短編映画を作った。友人のラッパー、アイス・キューブに貯め終えたお金についてど うしようか聞くと、「キューブは『長編を作ったらどうだ?』と言ったんだ。」そこでグレイは、アイス・キューブを主演に、のどかなマリファナ常習者のコメ ディFriday [1995] を監督することになった。

手短に言うと、その成功でグレイは、引き続きSet It Off [1996] (クイーン・ラティファを登場させる)のような映画が可能になった。30歳までには、グレイは10年早く目標を達成した。その当時、彼はワッツにある 112番街小学校に設備と時間を寄付した。彼が熱を入れている別のプロジェクトがある。ソウル歌手、マーヴィン・ゲイの伝記映画で、取りかかっているもの の1つだ。

グレイは大学に行く余裕はなかったがハリウッドで出世したのに対し、バトラーは大学とロースクールに行った。「でも、法律はぼくにとっては意味をなさな かった」とTシャツを着てココナツの大きさの二の腕を持つ俳優は振り返る。

『オリバー!』に子供劇場で出演したことしかないが、25歳でバトラーはロンドンに向かい、そこでウエスト・エンドの劇場で役を勝ち得た。バトラーはヴィ クトリア女王の召使いの弟として『クイーン・ヴィクトリア/至上の恋』にちょっと出演を果たした。それ以来、バトラーのキャリアは全速力で進んでいる。

役者たちが相互基金であるとしたら、バトラーは最も多彩なポートフォリオを身の回りに持っているだろう。『300』といったアクション映画、『P.S. アイラヴユー』といったロマンス、『オペラ座の怪人』といったミュージカル、『幸せの1ページ』といったファミリー映画だ。

「ぼくの直感は何をやって来ていないかと問うんだ、そしてそうやって映画を選択するんだ」と彼は言う。

グレイがドアーズを聞いてやる気を出しているのに対し、バトラーはスコットランドのグループ、[グラスゴー出身の]モグワイの瞑想的なロックで気を落ち着か せている。バトラーは別のミュージカルに出る気があるのかもしれない。彼のマネジャー(で、イーヴィル・ツィン[ズ]のパートナー)アラン・シーゲルは、彼が『野郎どもと女た ち』Guys and Dolls* のスカイ・マスターソン**か、『ミュージック・マン』The Music Man[詐欺師]ハロルド・ヒル役に素晴らしいだろうと思っている。 反対する人なんているだろうか?
* 作品紹介はこちらを 参照。
** 最初、ジーン・ケリーが予定されていたが、契 約上の関係から出演できず、マーロン・ブランドが演じた。

バトラーは「フィラデルフィアの安らぎ」を楽しんでいる。そこでは、劇場にちょっと顔を出し(The Odd Couple の上演がとても気に入った)、ステーキ・ハウスを試し、「博物館でロッキーの足跡を行脚した。」彼が熱を入れているプロジェクトは、スコットランドの詩人 ロバート・バーンズの伝記だ。彼が『ねずみに寄せる頌歌』を朗誦するのを聞けば、実現すると感じるでしょう。

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