The Guardian
2008 年9月4日(木)

苦しむトルソ―

彼は剣を振り回す戦士や銃を持ち歩く男を演じて来た。だが、キャサリン・ショアードは、 ジェラード・バトラーには、乗り気でないながらもアクションを何でもこなすヒーローなのだとわかった。

キャサリン・ショアード記


ジェラード・バトラーは、わたしに背を向けて窓辺に立ち、銃の狙いを定めている。彼の樹の幹のような足は大きく広げられている。二の腕はカシミアのジャー ジーをピンと張り、三角筋は彼の耳をかじろうとしている1対のイルカのように収縮している。男性ホルモンが部屋の向こうから滲じみ出てくる。

この角度から見ると、バトラーは実に素晴らしい。あなたはたちまち、「ジェラード・バトラーはわたしの夫なの――ただ、彼は知らないだけ」というフェイス ブック*・グループの1,589人のメンバーに共感す るでしょう。同様に、「ジェラード・バトラーは触れただけで妊娠させられる」や「ジェラード・バトラーは肉体的奇形すらもセクシーにできる」(おそらく、 映画『オペラ座の怪人』での彼の役に触れたもの)に登録している800人余りにも。
* 米国の学生向けに作られたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Facebook

それから彼は振り向いた。銃は持っていない、ただ想像上の銃をぎゅっと握っているだけ。で、彼のターゲットはあっちにあるのかしら? なんてたちの悪い行 為――でなくてはならなかった。結局アッチラやベーオウルフを演じ、高度に滑らかな動きをする300人のスパルタ人を、マントと皮パンツだけを身に着けて 戦いに率いて行った大男は、ちっぽけな蠅なんぞに怒りを無駄にしたりなぞしないわよねえ? ジェラード、そうでしょ? ペルシャ人の大群なの? 実は、一 人きりのいささか落胆したパパラッチが下の通りをうろついていた。「いまいましい、ああいう連中は大嫌いだ」バトラーはどなって、ソファに戻ると、コーク の栓をパシッと開けた。

それほどにバトラーの名声は、彼の筋骨隆々の肉体に基づいている――あの素晴らしい10に割れた腹筋、あの大きな髭もじゃの顔――けれども、スクリーンで は彼の中に沸き返っているあの脅威は、実生活では存在しない。少なくとも、正面からは。もし何かあるとしたら、彼はちょっと戸惑っているようだ。彼の時間 の半分は、「瞑想や会話、1日10分自然と過ごす」ことで「よい心構えを保とうとしている」と、彼は言う。

似つかわしくないことが彼を苦しめている。映画でのいわれのない暴力が、「中身がうつろ」な感じを残した。「ステーキを食べようとしたら、急に吐き気を感 じた時みたいなんだ」と彼は言う。「『これは死んだものだ、それを自分の中に入れようとしている』と思うんだよ。」うげぇ。いずれにしても、むかつきを覚 えている肉食哺乳類、気の進まないアクション・ヒーロは、ガイ・リッチーの最新の風変りな映画『ロックンローラ』を売り込むために今日ここにいる。この中 で、彼はトム・ウィルキンソン演じる昔気質のロンドンのギャングに先んじる煌めく目をした悪党ワンツーを主演している。宣伝広告には彼の最高の ショットが載っている。実際、彼はちょっとやりすぎだ。ガイは「天才」だと彼は言う。アンサンブルとの演技は素晴らしかった。「時々自分をつねってみて、 『なんてこった、タンディ・ニュートンと仕事してるんだぞ!』って思うんだよ」

初期のあやふやな評にもかかわらず、彼はこの映画に熱を入れている。というのも、これは彼の演技の幅を示す機会だからだ、と言う。リッチーの映画が万人受 けするということはちょっとありそうもないが、彼には確かに一理ある。「ワンツーは、ぼくがこれまで演じたきた役よりもずっと多面的なんだ。タフかもしれ ないが、不器用で、虚栄心があり、自意識過剰で、愚かでもある」と彼は言う。これは、多くの点で、完璧なバトラーの役だ。心根は柔らかなしたたか者、荒削 りだが仲間のゲイの口説きに応じるだけの優しさがある。

愛嬌のあるスコットランド人らしさが、バトラーの持ち味で、特に大西洋の向こう側 [米国] ではそうだ。『300』は結局の所、一種のギリシャ版ブレイヴハートだ。彼のレオニダス王は、聴衆がいささかの不調和を感じることもなく、流暢なスコット ランド訛で命令を下した。米国では明らかに、人々はその訛りを [ス コットランド人の状況喜劇の役者] ラブ・C・ネズビットとよりも、剣を振り回す戦士と結びつけている。「スコットランドでは、ぼくは他のやつらと変わらないよ。でも、米国ではすごく強くて 男性的なやつだと見られているんだ」と彼は言う。

男を男たらしめているものが、ロスとグラスゴーでは違うと思っているのだろうか? 彼は考え込んだ。「グラスゴーでは、たぶん成長するのが早いんだ。もっ と厄介事や現実主義に向き合わなくちゃならない。ロスでは、それは上っ面だけの完璧な世界だ。グラスゴーでは、一人前の男であることを求められる――でも それで完璧な男になる訳じゃない。それで、自分の感情について語ることの出来ない男になるんだ」

バトラーは、父と母が離婚した後、母に育てられた。父はモントリオールに残ったが、そこでバトラーは人生の最初の2年間を過ごした。それ以後父との接触は なかったが、16歳の時二人はカフェで会った。バトラーは言葉が出ず、家に帰って3時間ずっと泣き続けた。二人は親密になり、バトラーが22歳の時に父は 癌で亡くなった。

彼はグラスゴー大学で法律を学び、エジンバラでの司法修習を得たが、あまり好きになれず、仲間と飲んだくれている方を好んだ(特に、走っている車の前に飛 び込んだり、頭で瓶をカチ割ったりすることに熱中していた)。28歳の時、きっぱりと断酒し、それから法律事務所をクビになった。そこでロンドンに出て、 いくつか片手間仕事をし、あてもなくふらふらしていた。ある日、カフェでスティーヴン・バーコフが近づいて来て、芝居をしようと思ったことはあるかと尋 ね、彼に [シェイクスピアの]『コリオレイナ ス』の役を持ちかけた。映画作品がそれに続いた。『クイーン・ヴィクトリア/至上の恋』での端役、それから『ドラキュリア』『騎馬大王アッティラ』『 トゥームレイダ−2』『300』。これらの度し難い男たち(ハードメン)の合間に、『Dear フランキー』のようなお涙頂戴物がはさまり、そこではエミリー・モーティマの耳と口が不自由な息子の夢見る父親代理を演じた。

そして、今度は『ロックンローラ』だ。バトラーはしっかりとした演技をしているが、彼のキャリアにはあまり足しにはならないけばけばしい下らない映画だ。 おそらく、バトラーは停滞期に達したのだろう。注意深く肉体を維持しているにもかかわらず、彼は少しも若くならないし、アイデンティテイ・クライシスにも がいているようだ。彼のロール・モデルは誰か、5年後はどうしていると思うかと尋ねると、本当に詰まってしまった――てんで不意打ちの質問ではないのに、 彼には答えがなかった。自分のキャリアを受け入れている、精神的な旅を続ける、子供を持つことを急いではいないとか何とか曖昧なことを言う。ニュー・ヨー クに一人で暮らしているが、ナオミ・キャンベル、キャメロン・ディアスを含んだ数多くの女性たちと噂になったが、誰一人長続きしていない。

彼は孤独なのだろうか? 「はっきりと自分の時間を持っている。それはスコットランド的なもので、ケルトの霧だ。ぼくはあまりにもぼーっとしてしまいがち なんだ。それを時々すごく重苦しく感じる。この仕事では、その機会がとてもあるんだ。いつもじゃない、95%だ。どうかぼくを一人にしないでくれ、って感 じだ。」おそらく、この脆さがファンをつかんでいるのだろう。内側の深い所では途方にくれた少年である度し難い男(ハードマン)。 ネット上のとてつもない感情のほとばしり(「どうかわたしの裸体とやって、ジェラード・バトラー」とか「ジェラード、あなたのバトラーに触りたい」などを 含む他のフェイスブック・グループ)は、単に胴体にだけ反応しているのではないようだ。

たぶん、あまりにも内省的すぎるのだろう、と彼はある時点で言う。「ぼくはグラスゴーのまさに労働者階級の地域で育った。それから、エジンバラですごく裕 福な法律事務所で働いた。そして、ロンドンで俳優になった。今はニュー・ヨークとロスを行ったり来たりだ。とてもたくさんの場所で暮らして来たから、自分 が何者なのか時々すごく混乱するんだ」


『ロックンローラ』は明日公開になる。


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