Scotsman
2005 年12月20日(火)
靴下一杯のスコットランドのクリスマスの伝統
ダイアン・マックリーン

グリンチはクリスマスが大嫌いだ!
クリスマスの季節全部が!
いや、どうしてかって聞かないでくれ。誰にもその理由はわからないんだ。
ーー『いかにしてグリンチはクリスマスを盗んだか』*スース博士
 [*訳注:米国の絵本作家スース博士の作品。主人公グリンチは緑色をしていて、意地が悪く、クリスマスを台無しにする人物]

スコットランドのクリスマスの伝統はーー控えめに言ってもーーいくらか継ぎはぎの面がある。偉大なる異教の概念、第一級の中世の楽しみがあるが、その後、 巨大な亀裂が口を開け、20世紀の半ばにすっかり元の通りに流行るようになるまでクリスマスがない時代があるのだ。

このクリスマス気分が欠けている訳は、スコットランドには16世紀半ばにまさにそのグリンチがいたせいなのだ。そう、スース博士の本のクリスマスを盗んだ キャラクターのように、ジョン・ノックス**と改革されたばかりのスコットランド教会が祝祭の季節をちゃらにしたのだ。彼らは、かつての善意の季節を祝う ことを誰であれ禁じ、禁止を破った者は追い詰め、数世紀にわたって陰鬱な12月の影を投げ掛けた。
 [**訳注:ジョン・ノックス。1514?〜72。スコットランドの宗教改革者。1560年にスコットランド長老派教会を設立した。]

しかし、わたしたち抜け目のないスコットランド人は、楽しいパーティをやめる気はないので、ただその伝統を1週間ずらした。ここから、ス コットランド人が大晦日のお祝いを重視することになった。クリスマスはスコットランドでは1958年まで公の休日とは認められず、それまで人々は働き続 け、お楽しみは大晦日にとっておいた。そこで、簡単に言うと、伝統的なスコットランドのクリスマスを望むのであれば、いつも通りに仕事に行き、家に帰って きてスープを一杯飲み、早く寝ることだ!

でも、それではあまり面白くない。そこで、わたしたちはスコットランド人が大昔にはどんなだったのかを見つけ出そうと遥かなる昔を漁り回ったので、善きス コットランドのクリスマスをどう祝えばいいか、秘訣をお教えしよう。

異教のクリスマス
その昔、ドルイドと異教徒がこの素敵な地に住んでいた頃、彼らがこの時期に祝わっていた祭りが冬至の印となっていた。この日は一年で一番夜が長く、冬の厳 しさを示していた。ご先祖様たちが何を信じていたのかは正確にはわからないが、この祭りが神々の怒りを鎮め、太陽が戻ってくることを願うために行われたと 考えることは、理にかなったことだ。

その助けとするために、深く暗い夜に生命の象徴として家の中に緑の木を持ち込んだ。その繁殖力の故にドルイドたちによって崇められた宿り木が聖なるオーク の木から切り取られた。わたしたちがこの枝の下でキスをする習慣がここから来ていると推定するのは造作も無い。

闇を追い払うために、異教徒たちは家の中に火を持ち込んだ。ある時点で、一年のこの時期はユールとして知られることとなり、祭りの間にユールの薪(ユー ル・ログ)が集められた。わたしたちの [ユール・ログという名の] チョコレートのお菓子とは違って、この薪は特別に選ばれ、古い火から燃えさしを使って火をつけられた。この火の燃えさしは一年を通して、家を守るのに使わ れることになる。この薪として人気のあった木には、柊(ひいらぎ)、オーク、樺がある。

木を飾るという初期の伝統を作り出したとされるのも異教徒たちである。彼らは家に持ち込んだ常緑樹から様々な形のものをぶら下げて、生命の象徴としたと思 われる。

ケルト人
ケルト人はクリスマスをNollaig Beag -- 小クリスマスとして知っていた。この時までには、お祝いはキリストの誕生にしっかりと定着していたが、異教徒の伝統と一体となっているのがはっきりとわか る。彼らはCailleach を燃やしたーーいつまでも跡を引いている不運を取り去るとされている老女の顔を彫り込んだ薪である。

ケルト人は、またいかなる未知の人のためにも道を照らすためにクリスマスの時期にローソクを灯した。スコットランドでは、その習慣はOidche Choinnle 、すなわちローソクの夜として知られていた。そして、これらは道を行く聖家族の案内をするために窓に置かれた。

中世
この時までに、クリスマスは本当に古代とキリスト教の慣行の寄せ集めを表わしていた。伝統の中の筆頭は、ミンスミート・パイを準備することだった。今日の 果物と香辛料を利かせた焼き菓子を期待すると、がく然とするだろう。というのも、当時はミンス・パイには肉、果物、香辛料、と手に入るものは何でも含まれ ていたからだ。これは巨大な炉の中で焼かれて、隣近所の人や訪問者に食べさせられた。

1583年までには、スコットランドの教会はパン屋がこうしたパイを準備することを禁じた。それを焼いているのを見つかれば誰であれ罰せられるか、もっと しばしばあったことだが、それを注文した客を通報するように勧められた。教会を出し抜くために、ミンスミート・パイはより小さく、もっと隠しやすくなっ た。

クリスマスを禁じたのはスコットランドだけではなかった。イングランドも祝いを奪われた果てしのない12月を耐え忍んだ。しかし、スコットランドが厳密に 裏をかき続けたのに対し、イングランドはもっと速やかに祝祭がそっと戻ってくるのを許した。

クリスマスは、今日わたしたちが認め始めたように、実際にはヴィクトリア朝時代に[ヴィクトリア女王の] ドイツ人の配偶者アルバート公が、ドイツからたくさんの儀式をこの祝祭に持ち込んだところから来ている。

しかし、こうした後期のヨーロッパの慣習をわたしたちの国 [スコットランド] の古代からのものと置き換えるのは難しいことではないだろう。丸いショートブレッドを用意している時、これが陽の光が射し出でているのを表わしているサ ン・ケーキを表わしているのだと思い出してご覧なさい。ミンスミート・パイに齧り付く時、このご馳走を作っているパン屋を嗅ぎ出そうとして、教会で働く者 が鼻をひくひくさせているを想像してご覧なさい。

宿り木を集め、真冬にそれがなんと美しいことか感嘆してご覧なさい。おばあちゃんの顔をユールの時期の薪に削ってご覧なさい。そして、思い出せる限り昔か ら、ユールの時期、クリスマスまたはそれを何と呼ぼうとも、それは家族や友人を巡るもので、共に感謝を捧げるためのものだったのです。

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