On Beowulf
『ベーオウルフ』について


はじめに
物語
作品


今日は映画『ベーオウルフとグレンデル』Beowulf & Grendel の基となった古英語で書かれた作品『ベーオウルフ』について話をしよう。

は じめに

1)トールキンと『ベーオウルフ』
J.R.R. トールキン(トルキーンの方が発音に近いのだが。 Tolkien の o の上に強勢があって、ie は長音で [i:])の『指輪物語』に馴染のある人は知っているかもしれないが、オックスフォード大学のトールキン教授はこの作品の研究に画期的な光 を当てたことで知られている。それまでは主に語学の研究対象とか神話的解釈の対象、歴史上の人物との関連としてしか見られていなかったこの作品を、 1936年に行われた 'Beowulf : the Monsters and the Critics' (「『ベーオウルフ』怪物と批評家たち」)という講演(後に論文)で文学として読むことを初めて提 唱したんだよ。トールキン教授はこの論文で「偉大なる人物の生涯における2つの瞬間、興隆と没落を対比的に描いたもの、若年と老齢、最初の功業と最後の死 という昔ながらの強く心を打つ対比を縷々(るる)と綴ったものである」(忍足欣四郎(おしたり きんしろう)訳)と述べている。他にも、勇気と怯懦、美徳と悪徳などの対照が基本構造を成している。

実際、『指輪物語』の第2部に出てくるローハンは、まさしくこの世界を体現しているんだ。エオメルもこの作品から取られた名だ。 1960行にアングル人のオッファの子として出てくる。黄金の館エドラスは『ベーオウルフ』でフロスガール王が建てた館ヘオロットのイメージだ。言葉も古 英語の雰囲気を持っている。また、『指輪物語』に先 立つ作品『 ホビット』に出てくる宝を守るドラゴンの話も、『ベーオウルフ』第2部の物語を下敷きにしているんだ。映画『ロード・オブ・ザ・リング』The Lord of the Rings でアラゴルンが馬のブレゴを宥めている言葉や、戴冠式で歌っている言葉は古英語だ。さらに、'the Lord of the Rings' という言葉自体が、2345行の 'hringa fengel' という言葉を下敷きにしている。シーマス・ヒーニーはこれを 'the prince of the rings' と訳しているが、'prince' は 'lord' と同じ意味だ。だから、まさしくここに 'the Lord of the Rings' という言葉があるというわけだ。

2)写本
英文学史を学んだ人は知っているだろうけれども、英文学史の授業は普通この作品から始まる。
これは古英語で書かれた唯一の現存する3182行にわたる長編叙事詩だ。1,000年ほど前の、ただ1つの写本によって伝わっている。写本というのは、手 で書き写したもの、 ということだ。まだ印刷術 はなかったからね。1文字ずつ手で書き写したんだよ。ヨーロッパで印刷が始まるのは15世紀だ。ちなみに、世界最古の印刷物は日本にある。百万塔陀羅尼が それだ。

Beowulf_MS_page さて、その『ベーオウルフ』写本の第1ページがこれだ。映画の公 式ページに入ると背景に使われているのに気がついているかい。
写本についてのより詳しい専門的な話を知りたい人は、別の部屋で講義しているからそちらを参照してくれ給え。(準備中) next

'Hwaet, we Gar-Dena    in geardagum,'
これが冒頭の言葉だが、写本では2行目の真ん中までがその部分だ。

'Hwaet' は 'indeed' 'behold' 'listen' などの意味の相手の注意を引く言葉だが、『ベーオウルフとグレンデル』の映画で冒頭のナレーションはこの1語で始まっている。残念ながら2語目からは異 なっているけ れど、この言葉を最初に聞くとわくわくするよ。(ちなみにこのナレーションは、公式ページで公開された脚本には入っていない。)しかも、'Gar- Dena' という言葉は 'Spear-Danes' として生かされている。映画冒頭のナレーションを参照してくれ給え。

'Hwæt wē Gār-Dena in geār-dagum
þēod-cyninga þrym gefrūnon.
hū ðā æþelingas ellen fremedon.'

(So. The Spear-Danes in days gone by and the kings who ruled them had courage and greatness.
We have heard of those princes' heroic campaignes.)
[Seamus Heaney 訳]

「いざ聴き給え、そのかみの槍の誉れ高きデネ人(びと)の勲(いさおし)、民の王たる人々 の武名は、
貴人(あてびと)らが天晴(あっぱ)れ勇武の振る舞いをなせし次第は、
語り継がれてわれらが耳に及ぶところとなった。」
(忍足欣四郎 訳)

見ての通り、各行は真ん中に休止が入っている。
本文を写本に書かれている通りに区切ると、初めの7行はこうなる。
'Hwæt wē Gār-De
na in geār-dagum・þēod-cyninga
þrym gefrūnon hū ðā æþelingas ellen
fremedon.  Oft Scyld Scēfing  sceaþena
þrēatum monegum mǣgþum  meodosetla
oftēah egsode eorl[as],   syððan ǣrest wearð
fēasceaft funden  hē þæs frōfre gebād'

'þ' とか 'ð' とか、何だかわけのわからない文字が並んでいるね。でも、これらは現代でも北欧では使われている文字だよ。現代英語の 'th' の発音になる。 'þ' は息だけの無声音、'think' の 'th' の音だ。'ð' は声のつく有声音、 'this' の 'th' の音だ。(特殊文字が見えない人は、文字コードをUnicode にして見てくれ給え。)

物 語

さて、『ベーオウルフ』という作品は先にも触れたように古英語で書かれているが、物語の舞台は北欧だ。こ ちらの地図を参照してくれ給え。現在の南スウェーデンからデンマークに当たる地域だ。じゃあ、どうしてこれが英文学の最古の物語とされるのかとい う疑問にはこう答えるしかない。当時英語が使われていたのは、ブリテン島のみだからだ。舞台が北欧であろうと、書かれたのは英語でなのだ。シェークスピア の『ハムレット』の舞台がデンマークだからといって、あれは英文学ではないと言う人はいないだろう?

主人公のベーオウルフはイェーアト族、今のスウェーデン南部の部族の王族だ。 ヒューイェラーク王の甥にあたる。注意しておきたいのは、作品の序に出てくるベーオウルフは、この主人公とは別人だということだ。こちらは、デネ(シュル ディング)族の王フロスガールの祖父にあたる。このシュルドの子ベーオウルフがいかに優れた王として統治したか、そして海へと弔われた次第を序として述べ ている。ヒー ニーの訳ではベーオウ Beow となっている。

[第1部:前半]
ついでいよいよ物語が始まる。フロスガール王が広壮なる館ヘオロット(「牡鹿」の意)を建てた次第が語られる。ところが、ここでのさんざめきを疎ましく 思ったカインの末裔グレンデルが、ある晩ヘオロットを襲い、そこで眠っていた家臣30人を殺した。15人はむさぼり食われ、15人は攫われた。夜が明けて その有り様を知った人々は嘆き悲しむが、さら に襲撃は続き、人々は広間で眠ることを避けるようになった。こうして12年がたち、その噂がイェーアト族の許に届いた。かつて父エッジセーオウが苦難の時 に身を寄せていて、ベーオウルフ自身もその宮廷で育ったフロスガール王の災難を耳にして、ベーオウルフは恩返しのために加勢に行くことを決意する。

ベーオウルフらの一行総勢15人は海を越えてデネの国にやって来た。フロスガール王は喜んで一向をヘオロットに迎える。こうして、一向を歓迎する宴が張ら れた。ベーオウルフに栄光を奪われることを怖れたウンフェルスがその場で、かつてベーオウルフがブレカと泳ぎ較べをして負けたと言うと、ベーオウルフは事 の真相を語り、さらにウンフェルスが兄弟殺 しをした事をなじり、彼が口ほどの勇者であればグレンデルが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)することを許しておく訳がない と批難した。そして、自分たちはイェーアト族の勇気の程を示そうと誓う。

フロスガール王たちが引き上げた後、30人力で知られるベーオウルフはグレンデルを素手で捕えようと心を決める。
その夜襲ってきたグレンデルは、ベーオウルフの部下のホンドシオーホをいきなり引き裂き、喰らい尽くした。つぎにベーオウルフに手を伸ばしたグレンデル は、 初めて自分に勝る膂力(りょりょく)の持ち主と出会い、恐れを感じ逃げようとした。しかし、しっかと指を掴まれ、砕かれ逃 げることも叶わず、雄叫びをあげる。ベーオウルフの部下たちは剣を取って切りつけるが、刃は痛手を与えることは出来ない。だが、ベーオウルフはグレンデル の腕をもぎ取る。深傷を負ったグレンデルは己が栖へと逃げ帰った。戦士らはその腕をヘオロットに飾った。

沼地の隠れ家へと逃げ帰ったグレンデルはそこで命を落とした。
翌朝、集まってきた人々は驚くべき光景を目にして、口々にベーオウルフの勲を語った。伶人(れいじん)たちはベーオウルフ の手柄を歌にして吟じた。また、シイェムンドのドラゴン退治の話も語られた。ベーオウルフは、グレンデルを取り逃がしたことを悔やむが、命永らえることは あるまいと語る。前日難癖をつけたウンフェルスも、 さすがに言葉少なであった。

ベーオウルフとグレンデルとの取っ組み合いで破損した館を修理し、宴が催される。フロスガール王は、ベーオウルフとその一行に数々の褒美を下す。王の伶人 がかつてあったフリジアとデネとの争いの物語を語る。その後、王妃ウェアルフセーオウからもベーオウルフに財宝が下される。王妃はベーオウルフに、王子た ちの力となってくれるよう頼む。こうして夜になると、またデネの戦士たちが昔のように館で眠った。

[第1部:後半]
人々が眠りについたヘオロットに、グレンデルの母親が復讐にやって来る。女怪はそこで眠っていた1人を手にかけた。それは、フロスガール王が目をかけてい たアッシュヘレで、女怪はグレンデルの腕と共に持ち去った。その晩ベーオウルフらは別の場所に宿舎をあてがわれていたので、館にはいなかった。夜明けと共 に王の御前に召し出されたベーオウルフは、ことの次第を聞かされ、再度の怪物退治を乞われる。ベーオウルフは必ず討ち果たすと約束をする。
甲冑を身につけ、ウンフェルスの貸し与えた名剣フルンティングを佩(は)き、女怪の棲む湖へ向かう。

1人湖底に潜ったベーオウルフは、女怪に掴みかかられたが、鎖帷子がベーオウルフの身を守った。すると、女怪は彼をその栖へと連れ去った。そこでベーオウ ルフは剣を手に相手に打ちかかったが、刃は役に立たなかった。そこで、剣を放り出したベーオウルフは女怪を投げ飛ばす。女怪も彼に掴みかかった、倒れた ベーオウルフにのしかかって、女怪は短剣を振るうが、鎖帷子が刃を妨げた。

ベーオウルフは、洞窟の中にかつて巨人が鍛造した巨大な太刀を見つけ、それを振るって相手の首を切り落とす。すると、不思議な光が洞窟の中にあふれた。 ベーオウルフはグレンデルの骸を見つけ、その太刀でグレンデルの首を刎ねると、湖水はたちまち血に染まった。その血を見て、待っていた戦士たちはベーオウ ルフがやられたのだと思 い、シュルディングの人々は去って行ったが、ベーオウルフの仲間のイェーアトの人々はまだベーオウルフの戻るのを待ち続けた。

かの巨人の鍛えた太刀は、グレンデルの毒血に濡れると、氷が溶け去るように溶け、柄のみがベーオウルフの手に残った。ベーオウルフは、その柄とグレンデル の首を持って湖底を後にした。戻ってきた頭領の姿にイェーアトの戦士たちは歓び神に感謝する。こうして、グレンデルの首を槍の先に掲げて4人がかりで館に 運んで行った。

ベーオウルフはフロスガール王に戦いの次第を語り、黄金の柄を王に差し出した。それには巨人族が洪水で滅びた模様が彫られていた。また、ルーン文字でその 剣が誰のために造られたのかも刻まれていた。ここで、フロスガール王は昔の残忍で吝嗇(りんしょく)な王ヘレモードの行状 を語って、ベーオウルフに対して、世の栄華には終わりがあること、心の傲りを戒めること、いずれは誰もが老いて死を迎えること、など様々に訓戒をする。そ して、また宴が催された。翌日、ベーオウルフらは帰国の支度をし、ベーオウルフはウンフェルスにフルンティングを返させる。こうして、デネとイェーアトと の間には友好関係が築かれる。

帰国したベーオウルフはヒューイェラーク王の許に宝を運ぶ。歓迎の宴が開かれ、その席でベーオウルフは、賜った宝を王と王妃とに献上する。その見返りに、 王はフレーゼル公の名剣と、土地・屋敷・統領の地位を与える。

[第2部]
長年のうちにヒューイェラーク王も、その子ヘアルドレードも討ち死にした。こうしてベーオウルフは王となり、50年の歳月がたった。
折しも、ある者が主人の勘気を被り逃亡して、ドラゴンが300年間宝を守っている塚に潜り込んだ。その者はドラゴンの眠っている間に宝の中から金の杯を盗 み出した。それを主人に献上して、勘気を免れようとしたのである。眠りから覚めたドラゴンは、宝が盗まれたことに気がつき塚の回りを探し回ったが、人っ子 1人見つからなかった。怒り狂ったドラゴンは、塚から出て炎を吐いて近隣を焼き払う。

ベーオウルフ王の許にこの報がもたらされると、彼は鉄で楯を造らせ、11人の手勢を率いてドラゴン退治に行くことにする。杯を盗んだ男を道案内として塚へ 向かった。ベーオウルフは、1人でドラゴンと戦うつもりであるから、塚の上で見守っているようにと手勢に指示すると、死の予感を抱えて塚に進む。塚の入り 口にてベーオウルフが大音声(だいおんじょう)で呼ばわると、ドラゴンは炎を吐きつつ襲いかかってきた。ベーオウルフは剣 を振るうが、深傷を与えることは出来ない。傷を受けてますます哮り狂ったドラゴンは炎を吐き、ベーオウルフは炎に包まれる。部下たちは怖れて逃げ去った が、1人ウィーイラーフのみが主君の身を案じて古剣を手にして、ベーオウルフの許へ駆けつける。

ウィーイラーフがドラゴンの頭のやや下に切りつけると、炎の勢いが弱まり、ベーオウルフ王は短剣を振るってドラゴンを仕留めた。しかし、炎で致命傷を負っ た 王は、塚の傍らに腰を下ろすと、ウィーイラーフに塚の中の宝を運び出すように命じる。ウィーイラーフが戻ってみると、すでに王は虫の息であった。息も絶え 絶え のベーオウルフは、ウィーイラーフに宝を民のために用いること、自分のために岬に大きな塚を築き、海を行く船の目印となるようにするよう遺言する。

戻ってきた10人の部下をウィーイラーフはなじり、戦いの様子を知らせる伝令を送る。人々は戦いの場に来て、事切れた王と仕留められたドラゴンを見る。ま た、古の人が呪いをかけて隠しておいた宝が運び出されるのを見る。ウィーイラーフは7人の手勢と共に塚に入り、ドラゴンの死体を引きずり出して海に突き落 と す。
イェーアトの人々はベーオウルフ王を荼毘に付し、1人の女性(おそらくヒューイェラーク王の未亡人)が挽歌を謳った。人々はベーオウルフ王を偲んで崖の上 に塚を築き、宝を副葬品としてそこに収めた。

作 品

以上が、『ベーオウルフ』の物語だ。見てわかるとおり、映画はこの物語の第1部を扱っている。映画では、固有名詞は現代英語読みになっているので、 Geats 「イェーアツ」は「ギーツ」、Unferth「ウンフェルス」は「アンファース」、Hondscioh「ホンドシオーホ」は「ホンドショー」と発音され てい る。なお、古英語(アングロ・サクソン語)の Gēat- という形は、Götaland という地名に含まれる現代スウェーデン語のGöt- に相当する。
また、フロスガール Hrothgar の名は「栄光」と「槍」を組み合わせた名だ。この作品にはこうした合成された名が多く出てくる。ベーオウルフの名は、beo (bee) + wulf (wolf, wild animal) で「蜜を好む野生の獣」、すなわち「熊」の意味だと捉えられてもいる。このことは、彼が素手で敵を掴み殺す30人力の持ち主だとされる所にも見られる。こ れは、熊の用いる技だからだ。

この作品で、グレンデルとその母親は「カインの末裔」とされている。「カイン」とはアダムとイヴの息子で、神が弟のアベルの捧げ物だけを嘉(よ み)されたことに嫉みを覚えて、人類で最初の殺人者にして兄弟殺しとなった。そのために、神からその徴をつけられ、だれも彼を打ち殺すこ とのないようにされた。その徴は額についていると言われる。そして、エデンの東のノドの地に住んだ。これは「創世記」第4章1〜16節に述べられている。
映画の中で、キリスト教に改宗した吟唱詩人のソルクルが帰りの船の中でグレンデルのことを「カインの末裔」と謳っているのは、アングロ=サクソンの異教時 代の物語がキリスト教化されていく過程を表わしているようで、興味をそそられたよ。もっとも、ソルフィンに「ソルクルの話なんてくだらん」と片づけられて しまっているけどね。

ところで、今言った通り、もともとはこれはキリスト教以前の時代のおそらく8世紀頃にできた話なんだが、10世紀頃に文字として書き記された時、当時読み 書きが出来たのはほとんど僧侶だけだ。だから、それを書いたのはキリスト教の僧侶だっただろうから、必然的にキリスト教的な視点が入り込んでいる。ベーオ ウルフがグレンデルの母を仕留めた剣の柄に彫られた巨人族が洪水で滅びた話は、「創世記」第6章〜7章のノアの洪水に先だって巨人が神に反逆した話に言及 したものだ。巨人は「神の息子」と「人間の娘」との間に生まれたとされる。こうした言及は、物語の聞き手がキリスト教徒であるということを前提にしてい る。だが、だからといって、この作品がキリスト教の詩であるとは呼べない。

しかも、登場人物の多くは歴史上の人物で、歴史書としての性格も持ち合わせている。それは、事実と伝説との綯い合わさったものではあるが、たとえばヒュー イェラーク王の死について『ベーオウルフ』で述べられることは、歴史的事実に基づいているに違いない他の複数の素材と共通している。また、物語の中で伶人 の語る1070〜1158行のフリジア王フィンとデネ族との戦いは、今は失われた写本にあった『フィンズバラの戦い』に述べられていることと重なる。
しかし、ベーオウルフの偉業は歴史というよりは伝説の部類だ。そして、イェーアトの王家の家系に挿入された架空の人物と思われる。スカンジナヴィアの過去 について語った他の素材にはベーオウルフの名はない。大抵の歴史上の人物の名は、頭韻(語の頭の音を揃える韻)を踏んでいるのだが、ベーオウルフの名は父 のエッジセーオウとも他のイェーアトの王の名とも頭韻を踏んでいないので、歴史的人物ではないだろう。

トールキン教授は、この詩はもともとは古代スカンジナヴィアの民間伝承に基づく神話で、3回にわたる戦いはほとんど区別のつかないものだったが、ベーオウ ルフ詩人がそれぞれ別のものにしたと考えた。ヘオロットを襲う怪物は、宝を守るドラゴンとははっきりと異なっている。しかも、この区別は詩の2つの部分、 ベーオウルフの経歴の2つの段階に反映されている。つまり、彼の上昇と最後の転落だ。詩人は意図的にベーオウルフの若き栄光の時代と、避けがたい晩年を対 照している。だからといって、この詩が真ん中でぽっきりと切れている訳ではない。それは、詩が行の中に休止があっても、行の前半と後半が頭韻によって結ば れているように、全体で1つのまとまりを成している。この詩は一続きの物語というよりは、主題によって構成されている。だから、話の中に話が入って脱線し ているようないくつもの話が織り込まれているのだ。

「序」でデネ族のシュルド王の話が語られるのは、本筋とは直接の関係はない。しかし、ここでデネ族が勇敢で輝かしい時代を持っていたということを忘れてし まうと、グレンデルにやられ放題になっている彼らが腰抜けに見えてしまうのだ。しかしまた、ここは詩の悲劇的な結末を予兆する部分でもある。そして、この 作品にはそうした多くの予兆が盛り込まれている。たとえば、ヘオロットが完成したことを述べた途端に、詩人はこの館が後に炎に包まれることを述べる。それ はまた、後にベーオウルフの館が炎に包まれることの予兆でもある。

874〜97行で語られるシイェムンドのドラゴン殺しの話も、北欧のヴォルスンガ・サガとそっくりだが、サガでシイェムンドに相当するのはシグムンドだ が、その息子のシグルズがドラゴン退治をする点で異なっている。この話はドイツの「ニーベルンゲン伝説」としても知られているね。そこでは、ドラゴンを仕 留めるのはジークフリートだ。また、この話は第2部でベーオウルフがドラゴンと戦うことの予兆にもなっている。しかし、 シイェムンドと異なり、ベーオウルフはドラゴンを退治した後亡くなる。

このように、詩の中の出来事は特徴的な循環構造を成している。王の館が建つと、怪物に襲われ、ベーオウルフがそれと闘いに行く。ペンギン版の訳をしたアレ クサンダーは、この物語は英雄の3頭の怪物に対する運命ではなく、その敵に対して人類を守った物語であるとして、これを次のように解説している。

怪物
英雄
社会が形成される


フロスガールの館



グレンデルが館を損なう



ベーオウルフがグレンデルを退治する
フロスガールの館


グレンデルの母が館を損なう



ベーオウルフがグレンデルの母を退治する
ベーオウルフの館



ドラゴンが館を破壊する



ベーオウルフとドラゴンが互いに殺し合う
社会が崩壊する



これによると、館は人々の社会の象徴である。ベーオウルフが亡くなるのは老年のせいではなく、今や王となった彼のために闘ってくれる者が誰もいなかったか らなのである。それ以前の闘いでは、彼は王とその人々の「ために」闘った。この最後の闘いにおいては、彼は自身が王となっており、民のために闘うのであ る。しかし、民は彼のために闘ってはくれない。ウィーイラーフが逃げ去った者たちを責めたように、王が武具や蜜酒をふるまったのは戦いにおいても一緒にあ る ためであったのに、それは無となってしまった(2865〜2876行)。

この見解によれば、王の館の破壊と王の死がイェーアト族の終わりを暗示しているので、悲劇的な結末に一層の深みを与えることになる。実際、歴史上6世紀に イェー アト族は不倶戴天の敵スウェーデン族により壊滅されるので、ベーオウルフがドラゴンを倒す手助けをするのが、スウェーデン系でベーオウルフの家系にも連な るウィーイラーフであることは注目に値するね。このようにしてキリスト教徒の聞き手に対して詩人は、血の繋がりと主君の仇を討つことのゲルマン的な価値の 尊 さを伝えることに成功している。

さて、1939年に東イングランドのイプスウィッチからほど遠くないサットン・フー Sutton Hoo で発掘されたものは、『ベーオウルフ』に現われる要素を理解するのに大変役に立った。たとえば、シュルド王の葬送の場面などだ。サットン・フーの埋葬は明 らかに王のもので、そこはエセックスのアングロ・サクソンの王国の支配者の住まいからたったの4マイル(6キロ強)だった。その中でも650〜670年頃 の剣と楯と 兜、戦旗、竪琴、金貨は最も驚くべきものだ。ここで発掘された兜は『ベーオウルフ』に描かれているフロスガールがベーオウルフに与えたものとそっくりだ。 これがそれだよ。

sutton_hoo_helmetBLSattonHoo右は大英博物館に飾られている様子だ。

兜と楯の文様や装飾も、スウェーデンで発見されたものととても良く似ている。イングランドと南スウェーデンが極く初期から接触があったことを示している。 このことから、どうしてデンマークと南スウェーデンを舞台とした物語がアングロ・サクソン時代のイングランドで最も重要な文学作品となったのかということ の説明がつくかもしれないね。

ところで、2005年9月に『ベーオウルフとグレンデル』の作品発表がトロントであったとき、記者会見の行われたホテルの名がサットン・プレイス・ホテル Sutton Place Hotel だったのを見て、なんと最適な名の場所を選んだことかと感嘆したんだよ。その理由はもうわかるね。


さて、長くなったから今日の講義はこれでお終いだ。図書室の講義部門に少し関連する本があるから見てご覧。
それから、映画と原詩を較べてレポートを次回までに書いてくるように。

それでは、ここまで。That's all for today.

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 9 Nov 2006