2006年7月23日(日)

 

昨夜は新生・高円寺Goodmanでの初ライヴ。EmyuさんとのDUO。 今度のGoodmanは実に狭い空間。セッティンク最中等Emyuさんに ぶつかりながらって感じ。でもステージから客席を見回した風景はいい感じで。

Emyuさんのリクエストで照明を落としての演奏。 音響的にかなり理想的だった。荻窪とは違って少し残響のある空間。 それによって二人の音が絶妙に混ざり合う。好ましいブレンドで。 私は特には意識しなかったが、Emyuさんは常に静かな抑えた演奏 を心がけている事が良くわかった。いつもリリカルな彼女の演奏が より一層静寂になった。又静かになったからこそ、揺らぎが増した。 私も少音演奏であれ、トーンクラスターであれ、アルペジオであれ、 ゆったりと自然な流れて即興する事が出来て、とても満足している。

帰りがけ、Emyuさんとやきとり屋でさしで飲んで色んな事話した。 そういやあ、アメリカ人女性と赤提灯に行くの初めてだな、と思。

 

2006年7月7日(金)

 

七夕。七夕ってのはいい。織姫と彦星が天の川でチョメチョメと云う逸話はさておき「七夕」って文字がいい。笹が決め手になっているのもいい。そして夜が舞台なのがとてもいい。静寂な祭りってのも極いい。

でも今の世の中、竹林が激減しつつある。私が子供の頃は近所に沢山あったと記憶している。武満徹の音楽じゃないけど、竹林の間を通 り抜ける風の音、暫く聴いていないな。どっか近くにいい竹林ないかな。

 

2006年6月27日(火)

 

昨夜、duo仲間の黒井絹さんのソロ・ライヴを聴きに、 荻窪グッドマンに行ってきた。この夜の彼の演奏は、新境地を見い だすべく発進段階の様子だった。今までの彼の演奏は、コード変化 の少ないギターに彼独特のvoice(ホーメイ、地謡、ファルセット、 民謡など)を乗せると云ったものだったが、今回は何曲かの「曲」 として構築しようと試みていた。その前進しようと云う心持ちに 私は感心。そして彼の「声」。唯一無二である事は揺るぎなかった。 彼の声には何というか、地中の虫を呼び覚ます様な力があると感。

この夜はタイバンに千野秀一(pf)が演奏。そうあのダウン・タウン・ブギ ウギバンドのキーボーディストの千野さん。実を云うと彼の生演奏 を聴いたのは初めて。素晴らしかった。その曲が「女の愛と生涯」であれ、ショパンの遺作であれ、「天使のミロンガ」であれ、全て 恐れの無い演奏。クラシックのピアニストではあれ程の揺るぎない 演奏は出来ないと感。そして即興。勿論全てそうと云う訳ではないが、多くの時間に「偶然 即 必然」を見いだすことが出来た。ヘンデルのアリアを弾いている間だけ、彼の背筋がぴっと伸びていたのが印象的だった。

明日、とうとう「荻窪Goodman」が終わりを告げる。

 

2006年6月16日(金)

 

今日はとても楽しい、そしてとても嬉しい一日だった。

朝は遺跡仕事の為広尾の自治大学跡地まで。土砂降りの中メットを 被って現場のフェンスを外し、ユンボを現場の中に入れて 又フェンスを立て直す。びしょ濡れになりながら「これ コンセプシャル・アートに近い作業だな」と思いつつ。約1時間 で今日の仕事は終わり。「俺達男らしいな。ガテンだな。」 などとほざきつつ、みんな大雨の中家路について行った。

吉祥寺に戻ったのは11時過ぎ。マックのハンバーガーを ちょいと食って、良く行くcafe veloceでコーヒー を飲みながら幾多郎ちゃんの「思索と体験」の続きを読む。 顔見知りの店員さん(私は彼女をテンネンさんとひそかに 呼んでいる)にとびっきりの笑顔で挨拶され少々照れた。 コーヒーが旨いのどうのより、行きたいcafeとはこういう処だなと思。そこの雰囲気、そこに居る人が大事だと。

それからは歩いて我が家へ。13時近く。その頃には雨も 殆ど霧状で傘もいらず。そんな道すがらのアジサイは極 美しかった。確かにアジサイに晴天は似合わないなと思。 6月の雨天にアジサイを楽しむというごく当たり前の道楽。

井の頭の森をジブリ美術館に向かい歩き進んでいくと。 なんだこりゃ!この世のものとは思えない風景が眼前に。 いつも毎日の様に見ているのに、一度も観た事のない風景。 なんと井の頭の森に池ができていた。池の中から檜やブナや クヌギの樹が生えている。「幻想的とはこの事な」と感嘆。 童話や小説などでよく出てくる「幻の湖」とはこれの事だ。 明日にも消えてしまうだろうが、たしかに存在した「湖」。

いいもん観たな、といい気持ちで歩いていくと今度は! おお!まだいたんだ!まだ生きてたんだ!何年ぶりだろう! 約8年ぶりで出会えたのは、ジブリ美術館の隣、井の頭公園 西園に住み着いているウサギ。彼(彼女?)がそこに住んで いるのは周知の事実だがもう随分前からの話。ウサギの寿命 からして、もうお亡くなりになっていると勝手に思っていた。 しかし彼は生きていてくれた。嬉しくなって目頭が緩んだ。 折角だから写真を撮らせてもらった。どの位近寄れるかなと 撮影しつつ徐々に接近。結局直ぐそばに行っても彼は大して 怖がらず逆に手の匂いをクンクン嗅いだり触らせてもくれた。 こっちを今日に深げに覗く彼の瞳は、真に可愛らしかった。 ずっとそこに居たかった。でも帰らなきゃ。お名残惜しい。 もう二度と会えないかも知れないな。元気でな。と彼に。 歩き去る私の姿を彼はずっと、ホントにずっと見守っていた。

家に帰って軽い昼飯食ったらちょいと昼寝。目覚めたら16:30頃に。外はとても良い天気。こんな天気で 家の中に居るのは勿体ないと、今度はチャリンコで吉祥寺へ。 本屋に行ったり、ディスク屋にいったり。disk unionにて ずっと探してたMick Goodrik(g)の「In Pas(s)tng」を購入。 彼はあのPat Methenyの師匠。ここでもちょっとした喜び。

ライヴでも展示でもないけど、実にいい一日だった。

 

2006年6月12日(月)

 

昼間ランチを食いに中野の「KANNA」迄。ここは来たる7月に、 私の個展があるbar&kitchen。店主の多民さんが作る料理は ホントに旨い。「チキン・マスタードソース」。ランチタイムの店内も混み合っていてなんか安心してしまった

それから中野駅への途中、久しぶりにある人に会いに行った。 「文化堂」という昭和29年からやっているレコード屋さんの 店主、山丸光子さん。3年ぶり位 だろうか?彼女には以前大変 お世話になった。演奏会に一緒に行ったり、ライヴに来てもら ったり、一緒に食事をしたり。今もお元気そうで安心した。

それから銀座に出た。友人の展示を観に。府川和生くんと、 臼木英之さん。早い時間だったが二人とも会うことが出来た。 府川くんの作品はよりポップに、臼木さんはより軽やかに。 二人とも無理のない自然な進歩があって、いいなと思。

それからいつもお世話になっている画廊を幾つか廻った。小野画廊の 小野さんには新たな提言を頂いた。ギャラリー檜の高木さん には色んな方々に紹介して頂いた。Galerie Solの箕作さん からは展示のお誘いがあった。多くの方に会えてとても嬉しや。

それから8月にコラボがあるPepper's Galleryへ下見に行った。 そこでは3人展が開催されていたのだが、どっかで見た事がある 作家さんが。そうそう、2年前高円寺Haert to Artで一緒だった yuckeさんだった。彼女砂と動物のような立体を使ったインスタ レーションを展示していた。進む砂漠化の警告を現しているとか。

それから吉祥寺に戻り待ち合わせたかみさんと茶して、晩飯の おかずを買って、ワールドカップ用の茶菓子も買って家路に。

 

 

2006年6月8日(木)

 

私は他人に対して親切になれない人間を好きになることが出来ない。他人にこそ親切であるべきだ、と云うのが私のモットーだからだ。昨日健康診断を受けたのだが、そこで世話になった看護婦がまさに「他人に親切になれない」人だった。ホスピタリティーのかけらもない対応。相手の目を見ようとせず、ただひたすら任務を遂行していく。優しさのかけらもない。聞く人を突きさすような冷ややかさを持った言葉。イヤな気分にならない訳はない。しかし彼女の仕事は正確そのものだった。淀みない手さばき。プロだな、と思った。ああいった人格、どうやって出来てしまったのだろうと、ちょっと哀れに感じた。

ああいった「他人に冷たい」資質というのは、日本人の様な農耕民族特有の当たり前に受け継がれたモノなのかも知れない。NYと東京の電車の中の風景を比較すれば良くわかる。私の中にもそう言った農耕民族気質がきっと少なからず備わっているのだろう。

 

 

2006年6月5日(月)

 

今日は思いがけずポッカリと休みになった。なので今日の大半をPaul Austerの「Moon Palace」を読む事に費やした。文庫本で400頁以上となると結構な長さだが、読みたい欲求が途切れず結局最後まで読み終えた。

名作の誉れ高い作品だが確かにそうだ、と思。苦悩、絶望、悲哀、郷愁に満ちた話だが、常に前向きな何かを孕んでいるのがいい。登場人物達がどんな苦境に立たされ精神世界(らしき処)に逃避したとしても、結局は現実を受け入れる強さ、希望を捨てられないしたたかさを持っているのもいい。終盤はDonald Faganの新譜から流れるNew York Soundに包まれながら物語に埋没していった。最高な時間だった。勿論この作品、NYを主な舞台にしている。音楽に乗せられ読んでいると、話に出てくる場がいちいち懐かしく想い出された。

 

2006年6月4日(日)

 

未だ治っていない、風邪が。症状は咳だけなのだが、その咳が煩わしい。6月も過ぎたし、もうそろTシャツやタンクトップいっちょうで過ごしたしのだが、身体を冷やしちゃいけないだろうからそうも出来ない。突如として咳が出だすから、人に会う約束も遠慮がちになってしまう。酒も遠慮がちに。上手くいかないもんだ。

昨日ユニクロでいいものを買った。ドライコンプレッションジップTシャツ。スポーツタイプのシャツで身体にフィットして気持ちよし。一見ゲイっぽく見えるのも悪くなし。あんまり気に入ったので、もう一着色違いを買おうかと考えている(9日まで半額セール中)。

 

2006年5月28日(日)

 

風邪が未だに治らず。もう3週間に渡っている。現在は微熱と咳だけで何かをやるのに支障がある訳ではないが、身体がすっきりしないのはイヤなもんだ。特に咳は周りに迷惑だしみっともなくて難である。汗ばっかりかいて洗濯物を増やしてしまうのもかみさんに悪いし。


   井の頭donatello'sにて。

そんな今日この頃、有り難い事に色んな処(特に美術関係)からオファーを頂いている。スヶの関係でお断りしなきゃならない話もあり、なんとも勿体ない。で、近い処では7月に又KANNAで展示させて貰う事になった。私の好きな夏時期に展示があるのはとても嬉しい。


donatello'sにて。photo by masami。

私がKANNAで気に入っているのはその雰囲気。85%の安らぎと15%の緊張が巧い具合にブレンドされた空間と感。展示空間も他にはない唯一無二でいい。赤い背景と云うのは普通 やらないだろう。そこが柔軟なアイディアであり面白い。そして多民さんの作る料理が旨いんだなこれが!またKANNAのご厄介になれて嬉や楽しや。


2006.5.19 KANNAにて。みんなありがとう!

 

2006年5月22日(月)

 

風邪が治っていないのに、今度はモノモライである。おまけに家に戻ろうとチャリンコに乗ったら、空気が抜けていた。踏んだり蹴ったりである。これも何かの試練と乗り切るしかない。ああ、目頭が痒くなってきた。

そんな今夜、神垣守さんのピアノ独演を聞きに阿佐ヶ谷ヴィオロンへ。色んな曲を演奏していたが、やはり彼はバルトークがいい。プログレ好きの彼の思考に良く合うのだろう。また伊福部昭の「ゴジラ」をピアノソロ版に編曲して演奏していたが、これがかなりの大作。聴いているとゴジラの色んな映像が浮かんできた。又私のリクエストで彼の自作曲「2つの印象」を演奏して貰った。レントとアレグロ両極面 が聴けるダイナミックな曲だった。彼の演奏は常に曲の構造を強く意識していると感。決して勢いに任せたりはしない。構成を噛み締めているかの様だった。


神垣守 at violon。

 

2006年5月21日(日)

 

今日昼間、KANNAへ絵の撤収に。あっという間の2週間だった。今回は後半、風邪の為になかなか出向く事が出来ずにちょっと残念ではあったが、自分の作風にとても合う展示場所だし、店主の多民さんも「また直ぐやって下さい」なんて云ってくれるし。調子に乗って又近いうちに展示させて貰おうかな、なんて思っている。ともあれ多民さん、ありがとう!

 

夕方その足で池尻大橋にある世田谷ものづくり学校へ。松下美沙作・主演のひとり芝居「また、あした」を観にかみさんと待ち合わせて。学校の教室をそのまま使った演出。開演前は入試試験の様な緊張感。演技は開演時間とともになだれ込む様に始まった。男と女の手紙を主体とした、想念のやりとりや行き違い。離れて行く男と、離れる事を受け入れられない女。その女の切なさ痛々しさがひしひしと伝わって来た(目に涙をうかべるお客さんもあり)。精神を病んでしまうギリギリの処までの苦悩か?雨の状況描写 が一部重要にあったのだが、教室から見える空が雨模様だったら奇跡的な舞台だったろうなと感。45分程の短い作品だったがとても濃密だった。

彼女の役者としての素晴らしさは、その滑舌の良さにあった。小さな身体から強く遠鳴りする言葉が次々と。全てのセリフがしっかり飛び込んでくる。それに手紙と夢想をリンクさせた演出もシンプルかつ的確だった。これで俄然8/12の共演が楽しみになった。

 

2006年5月18日(木)

 

昨夜は野村・黒井DUO Live。風邪ひきの真っ只中のギグ。咳が出ないようにトローチをひたすらなめながら。このデュオは私の意向からこのところ完全生演奏である。電気を介さない演奏。肉体と楽器と魂のみの演奏。

1セット目前半、いきなりマジカルな音時空間が出来た。私の奏するアルペジオ、絹さんの奏するダウン・ストローク。それらは全く違う(合わない)パルスなのに完全に融和していた。「揺らぎ」を生みつつ。偶然が、音の「あそび」が与えてくれた贈り物。ありがたい。その偶然の産物を「必然」へ創り上げていける。これぞ即興の醍醐味。後半には絹さんがブルースを回してきた。ここでどぶるーすも悪くないが、なんか違わないと気が済まない私は、バップ・フレーズを入れたりアルペジオでミニマル化したり。ここでもちょっとした発見あり。ブルースを弾く絹さん、エッジがかかっていていいね。

 

2セット目。私は又しても思いっきりストローク。止まらなかった。思考が吹っ飛んだ。コード・プログレッションは手の向くままだった。爽快そのもの。絹さんは殆どがヴォイス。自分の弾くストロークの彼方に幽かに聞こえる声がこの世のものとは思えなかった。こんな演奏やっていたら、何か呼んじゃうんじゃねえか、と感。

 

2006年5月16日(火)

 

大失敗だ。風邪が大きくぶり返し。3日に渡って38°以上の高熱が続いた。土曜日、雨中の光波測定仕事。そいつがまずかった。早々退散すれば良かった。 全くの判断ミス。自分に腹が立つ。

14(日)午前中、作品を買ってくれた友人に手渡しに吉祥寺へ。ドトールで彼の近況を聞いた。彼、30年ぶりに演奏熱が高まっているらしく、バンドも最近やっている。21(日)には八王子の祭りに出演するらしい。がんばってるね。「野村さんの絵から陽のエネルギーを貰いたい」と。そうなってくれればいいね。


KANNAに行く前「風の駅」にいた猛禽類くん。ワシか?

その夜は俳優の松下美沙さんが来てくれるとの事で、展示中のKANNAへ。もうその頃には風邪再発を自覚し始めた私。酒は飲まずに美沙さんと二人で仲良くグレープフルーツ・ジュースを頂く。彼女、21(日)に世田谷ものづくり学校にて「また、あした」と云うひとり芝居をやることになっている。そんな忙しい中訪れてくれて嬉しかった。実は彼女とは来る8月に共演することになっている。ともあれ21日、楽しみだなあ。


美沙さんとKANNAにて。

 

2006年5月12日(金)

 

衝撃だ。衝撃デカ過ぎ。9・11以来の衝撃だ。何が?って当たり前じゃあねえかい、松井秀喜でさあ。左手首骨折。連続出場記録ストップ。突然やって来た悲劇。怪我した瞬間の映像もまた衝撃。グラブをはめた左手があり得ない角度でブチ折れていた。あーあ。暫く松井を観られないのか。なんともなんとも。

でも嬉しかったのが、ヤンキースのチームメイトのコメント。ジーターもバーニーも「松井の代わりは誰にも出来ない」と。鳥肌立ったね。松井も今年で確か32才。丁度現役の中間場に来た時。ずーっと休まずに野球に取り組んできたんだ。ここらでしっかり休んで、マンハッタン生活を楽しんで、野球を離れるのもいい気がする。復帰後の松井秀喜はもっとデッカクなっているさ。

 

2006年5月10日(水)

 

風邪がやっと抜けた。色々やりたい事、やるべき事が相変わらず山積。それら出来る順に出来るだけやっていくのみ。個展もやっている最中。ライヴもあるし。読みたい本も多くあるし。読むべき冊子もあり。ギタ練も怠れないし。作曲もしたい。トレーニングもしたいし。旨い酒もたまには飲みたい。そろそろニューヨークにも行きたいし。アジアの行った事の無い国も訪れたい。

そんな日々、多くの友人から個展の案内や演劇のインフォを頂いている。ライフ・ワークをガッチリ持ってそれを実践している人達。「やっている」限り彼ら(彼女ら)は人生の成功者だ。そんな彼ら彼女らを友人に持てて真に幸福。ほんの一枚の案内状から確かに創造的波動を受けるのだ。


2006.5.7夕方の井の頭池。止まっている様な静。極美

 

2006年5月7日(日)

 

今日からbar&kitchen KANNAでの展示が始まった。

風邪ひきの体に鞭打って今日夕方搬入。以前ここを訪れた時とても興味深い展示スペースとステディな雰囲気、店主の多民さんの人柄と旨い料理に惹かれた。特に展示スペース。真っ赤な60cm四方の箱状スペース。作家に対してなかなか挑戦的なスペース。作品によっては場に殺される可能性もあり。でもきっといい感じになるとの予感を持って。

展示して「やらせてもらって良かった」とつくづく思。赤い箱の中に閉じこめられた私の絵達が、閉じこめられる事によって、かえって逆に宇宙観を強めた気がした。ミクロコスモス・パワーが増幅した様な。また赤と云う色、日本建築を連想させる為だろうか、作品に対して和的な「粋」や「寂」を付加させてくれるのだった。同じ壁なのに個々の作品を独立させる展示。そう滅多に無いかも。また展示期間中、時間によって私の音楽(guitar solo)も流して頂ける事になった。さてこれから2週間どんな出会い持てるのか楽しみである。

 
 KANNAの佇まい。          店主の多民さん。

 

2006年5月4日(木)

 

5月2日。狩俣道夫・野村雅美Duo。

彼と出会ったのはカレコレ14年程前。その後暫くPLAN BEと云うハイパワー即興集団を一緒にやっていた。素晴らしいバンドだった。それから何度か共演の機会もあったと記憶しているが、今回は実に久しぶりの共演。彼も私の音を知っているし、私も彼の音を知っている。お互いが持つ慣性を蘇らせながらの演奏。「狩俣さんならきっとこう来るだろう」「野村さんならこう来るに違いない」と言った思惑と、それから脱しよう、離れようとする思惑。

懐かしかった。演奏しながら懐かしがるのも悪くない。音楽家は創造(進化)に苦しみ、郷愁に楽しむものかも知れない。決して常套手段を踏まないのが狩俣さんの手法。ちっとも変わって無くて嬉しかった。私がファズを踏みヘヴィーメタルなリフをガンガン鳴らしても、朗々とフルートを奏でる狩俣さん。やられた!と思。あの異質感、凄まじい。そして私の頭ん中に記憶されていた彼独特のフレーズが次々繰り出される。「こむらがえり*」や「牛舎の子牛*」のフレーズだ!これは!等。
*PLAN BE時代の狩俣道夫作曲の名曲。

2セット目出だしでは、私はやんちゃさせてもらった。ひたすらストローク。狩俣さんもここではブロウ・バイ・ブロウ。身体的にも暴れてスッキリした。ゲストにEMYUさんを向かえてのトリオでは期せずしてフルート2本との共演に。珍しい。ここでは私はミニマル〜トーンクライスターの流れ。2本のフルートの音達が音塊の海で浮かんだり、はねたり、泳いだり、時には溺れたり。EMYUさんの柔らかく繊細な音。狩俣さんのすこし掠れた芯の強い音。心地よかった。

狩俣道夫とPLAN BEをやった過去を持てた幸せ、また共演出来た幸せ、さらに近い将来また一緒に演奏できるであろう幸せ、それらを実感。

 

2006年5月2日(火)

 

さっきグッドマンのギグから帰って来たところ。懐かしさと楽しさとが相俟ってなんともいい気分。狩俣道夫と云う人。音楽家としても勿論尊敬しているがあの人間性の美しさ。再認識したね。ギグも面 白かった!狩俣さんの持つ「野村さんはこう来るだろう」と云う先入観と、私の持つ「狩俣さんはこう来るだろう」と云う先入観のすれ違い。そんなところにこそ即興の醍醐味がある。それを久々に実感。お客さんもいっぱい来てくれて極嬉し。ギグの詳細は後日記載。帰りにSSWのリコとエンジニアの二宮圭太郎くんと焼き鳥食って熱燗飲んだ。リコからひと月遅れの誕プレ貰って、思いがけず嬉し。

 

2006年4月30日(日)

 

今日、井の頭にて。春真っ盛り。

 

2006年4月28日(金)

 

昨夜Duoを組んでいる黒井絹さんと飯を食いながらミーティングをやった。吉祥寺デニーズにて。このユニットも安定軌道に乗ってきたので、そろそろ「野村・黒井DUO」なんて云ってないでユニット名でも付けようか?等、二人の共通 点を探る話に終始した。決して充分では無かったが充実した会話が出来た。

話は色んなファクターに及んだ。グルーヴの事、間の事、ブルースの事、音空間の事...。でも共通 点について非常にシンプルな答えが出た。答えは簡単だった。それはLED ZEPPELIN。絹さんが歌唄いとして強く目標にしているのがロバート・プラントとの事だった。そして私が史上最高のロックバンドと信じて疑わないのがZEP。この共通 点が解って、多くの事がスムーズに流れ出す気がしてきた。勿論私達がZEPの様な音楽をやる訳ではない。強固な個性を持つ黒井絹の音楽と私の音楽を融合させ、さらに唯一無二のグループサウンドへ向かうのみである。しかし実際に音に現れるか現れないか、ギリギリのところでその二人の共通 要素が功を奏す気がしてならない。5/17のギグが楽しみである。

 

2006年4月26日(水)

 

遺跡の仕事が忙しく、帰り道の不忍池を歩くのはもうすっかり夜空になってから。水面 にゆらゆら浮かぶネオンサインがかえって静けさを際だたせる。池之端を歩いていると、頭の上をヒラヒラ軽やかに旋回するものが幾つも。コウモリ達だ。暗闇だから決してハッキリとは見えない。しかしたまに頭をかすめる程接近するやつもあり。ユラユラ、ヒラヒラ。見えるようで見えない、でも確かに存在はしている、そんなコウモリ達。いいなあ。

 

2006年4月24日(月)

 

今日のウルトラセブンはカナン星人の話。古橋隊員扮する毒蝮三太夫の渾身の演技が観られる名作。操縦不能になり、後僅かで旅客機と衝突するウルトラホーク3号。その死の間際のコックピット内で、基地にいる母親と通 信する古橋隊員の何とも言えない諦念と悲しみを浮かべた笑顔。みんな息を殺して見入っていた。そしてフィナーレでは拍手がプレハブ内に響いた。ウルトラセブンの話の内で最高傑作だ。

 

2006年4月22日(土)

 

20日。東京即興許可局東京即興許可局東京即興許可局。

1セット目=幻蝶・鎌田・野村トリオ。3人それぞれが全く違うベクトルへと向かった演奏。特に私と鎌田さんは決して「合わせる」方向へは行かなかった。それだからこそ成立した広い音時空間。幻蝶さんの静的な揺らぎがひしひしと伝わってきた。

2セット目=幻蝶・晶・鎌田トリオ。出だしから約10分間のスカスカなインタープレイが素晴らしかった晶と鎌田さん。「間」の持つ霊的な美が微細に表出していた。

3セット目=幻蝶・晶・野村トリオ。私は終始ディレイをかけてミニマル〜音塊の流れを創った。晶は30分間ずーっと「音のかけら」を奏で続けた。幻蝶さんはミニマルのパルスに合わせてかなり激しい運動。衣装の絹連れの音がもう一つの楽器と化していた。終演後「野村さんの音宇宙でずーっと泳いでいました」と晶。極嬉し。
*音のかけら=石で出来た鉄琴の様な珍しい打楽器であり美術品。晶はその数少ない保有者でもある。

4セット目=晶・鎌田・野村トリオ。幻蝶さんが抜けて視覚的要素が消えた為か、極めて音楽的な時間になった。ここでは3人が近づいたり離れたり、各々が自由自在にその場の音を楽しんだ。特にノイズの固まりと化したフリークでは、何とも言えない爽快感で満たされた。

今回は前回の様に立ち見が出るほどではなかったが、それでもチケット完売御礼。嬉し有り難し。様々な芸術家達に再会できたし、新たな出会いも持てた。これから先も色んなコラボを展開出来そうで楽しみだ。

 

2006年4月20日(木)

 

さっきGOODMANから戻ったところ。「東京即興許可局 東京即興許可局 東京即興許可局 」のライヴを終えて。前回程ではなかったけど、今回も多く人達に聴いて観てもらえて嬉しかった。ライヴに内容については後日記載。幻蝶さん、晶、ベーシストのしゃあみん、映像作家の寺島真里さんらとお茶してから帰ってきた。

 

2006年4月18日(火)

 

二三日前から上野の遺跡現場に多数のツバメ達がやって来るようになった。多い時には10羽程も私達の頭の上を旋回したり。彼らがやってくる度に、その飛行に目を奪われて仕事にならなくなってしまう。

真に美しい飛び姿。彼らが飛んでやってくるのには何かの目的があるのかも知れない。でも、かもめのジョナサンじゃあないけど、きっと彼らは飛行そのものも楽しんでいると感。 一羽のすぐ後を飛行ラインをなぞるように旋回したり、きりもみしたり、急降下したり。有り難い事に、私の直ぐ近くまで飛んできてくれる事が多々。目があったり、燕尾の美しい白い模様が見えたり。どうやら私が操っている光波測定機が発する「ピピッ」と云う音が気になるらしい。近くで観るとツバメの黒は決して黒じゃなく、とても濃い紫だった。

なにせよ、観ていて羨ましくてしょうがないツバメ達。生まれ変われるのならツバメになっても最高だなと思。

 

2006年4月16日(日)

 

昨夜、Nile Rodgers&CHICのライヴに行ってきた。処はブルーノート東京。21:00頃到着すると、そこにはちょい悪オヤジ、ちょい悪オバサン達がぎっしりと犇めいていた。みんな、思いっきり洒落込んで、思いっきりセクシーに着飾っている。流石はCHIC。ディスコ世代の憧れのバンド。たまにはこう云う週末も良いな、と。

演奏も素晴らし。1曲目からみんなスタンディング。と云うよりダンシング。ジャズ倶楽部のはずのブルーノートが一瞬にしてディスコと化した。オマー・ハキム(ds)を中心としたバンド・グルーヴは当たり前だけど強烈。次々繰り広げられるヒット曲の数々。「よくもまあ、こんなに世界的ヒットを創ったなあ」とつくづく感心。そう云えばこないだの冬期五輪の入場行進ものっけからCHICだったっけ。こんなバンド=音楽を創ったNileってホント天才だなと思。彼の創る曲達は常にグルーヴを保ちながら、極斬新なアレンジが施されいるのが凄い。常人ではとても思い付かないアレンジなのだ。シンプルなのに「ここでコレか!」と云う、まるで「音楽のツボ」を知る尽くしたかの様なセンス。全くもって羨ましい。CHICの曲も良かったが、ダイアナ・ロスやシスター・スレッジの名曲もメドレーで演奏され、すっかり乗れられた私だった。2人の女性Voや鍵盤奏者の女性も超SEXYで、観ていて天国的な気分に。

でも少々残念な点もあり。先ずは音が良くなかった。いい音が創れるはずのハコなのに、分離の悪いまぜこぜな出音。肝心のNileのギターがすっかり埋もれてしまっていた。また今回はバンド・メンバーが馴染みきっているせいか、楽しもうとお祭り気分が過ぎた気もした。もうちょっと音楽的に締まった演奏も聴きたかったなあ、と。

でもやはり凄いNile&CHIC。世界的にも稀少な音楽家達である。こういう音楽に生で接する事が出来る時間、これこそ「この世こそ天国」と云える時間だ。

These are the GOOD TIMES !


左端がNIle。赤毛のシルバーさん、ハッスルし過ぎて
衣装が脱げてしまった。でBNのTシャツを着ている訳。
Nileに「ジャネット・ジャクソンっだ」と云われてた。


右端の鍵盤奏者のねえちゃん。せくしーっ!最高!


私もちょい悪の格好で失礼っ


これは心霊写真か?手前のヒトの首が無いっ!

 

2006年4月14日(金)

 

昨日は、ゲスラとグリーンモンスだった。
今日は、メトロン星人とペガッサ星人だった。
明日は、ガッツ星人らしい。

 

2006年4月12日(水)

 

仕事疲れだろうか。体調を崩して久しぶりにたっぷり寝た。寝過ぎて腰が痛くなった。最近は短い睡眠時間に体が慣れているせいか、長く寝たからってすっきりするって事にはならなかった。体が動きたがってしまう。早く仕事に行きたい、と。

今日やった事と云えば、小泉八雲の「怪談」を何編か読んだ事くらい。これがとてもよろしい。不思議であり、懐かしくもあり。「これって少年時代に体験しているのではないか?」と云う感覚に。鈴木大拙の云った「日本的霊性」が視覚的に(文章であるにも関わらず)伝わって来た。昔の日本は美しかったんだろうな。そして俺の生きている間には、その美しさには戻れないんだろうな、と思。

 

2006年4月10日(月)

 

Donald Fagenの新譜CDが出たので即買。「Morph the Cat」というタイトル。彼の事だから悪かろうはずがない。いつもと変わらぬ 素晴らしい出来上がり。ゆっくりとしたグルーヴに乗せられながら、体にじんわりと染み込む和音を存分に楽しませてくれる。音楽家魂を又しても揺さぶられた。特に今作はNew York臭くていい。そのリフが、そのオブリが、そのリズムが、いちいちマンハッタンの街並みを想い出させる。それも当然だった。参加しているプレイヤー達が、こないだNYに行った際に会っている奴らばかり。ああ、また行きたくなってきちまったなあNY。兎に角、とてもルーズな魅力たっぷりなアルバム。必聴であります。


こんなに足をつっぱって疲れないのだろうか?
日曜日午前中、井の頭池にて。甲羅干しの亀 。

 

2006年4月8日(土)

 

今日はウルトラセブンだった。もちろん遺跡現場の休み時間、DVD鑑賞会での話。登場した怪獣はエレキングにキングジョー。最高だったエレキング。私はずっと怪獣の最高峰はエレキングだと信じ続けて来たが、それが正しい事が解った。なんとも格好良く美しい怪獣だ。最後は角を折られ、アイスラッガーで八つ裂きにされる断末魔も凄まじくていい。キングジョーも凄えロボット。カッコ良し。ウルトラシリーズを良く鑑賞していると、その芸術性の高さに驚かされる。音楽を良く聴くと、R・シュトラウス、ストラヴィンスキー、それに現代音楽の手法が随所に現れる。特に具体音楽の手法がやたらに多く出てくる。それに怪獣や宇宙人のデザインときたら尋常ではない。とても正気でデザインしたとは思えないぶっ飛び方。そして哲学がある。怪獣や宇宙人の存在そのものが哲学、である。

今日の現場仕事も超多忙。晴れたり曇ったり雨降ったりの中、暗くなるまで残業。でもセブンを観たり、ラジコンカーを走らせたり、携帯カメラで盗撮ごっこしたり。まるで学校の様なプレハブ・ライフだった。

 

2006年4月6日(木)

 

現在の遺跡現場は上野池之端。急がされたり、雨の中測量 をやらされたり、なかなかシビアな仕事が続いているが、最近になく楽しい。同僚のみんなも、疲れた疲れたいいながら、なんだかんだ云って現場生活を楽しんでいる事が皮膚感覚で解る。休憩時間にはみんなで持ち寄った菓子を食べながらバカ話したり、ウルトラマンのDVDを食い入るように観たり、春の日差しの下で昼寝したり、マッサージをしてもらったり...。真にいい仲間に会えるから。

 

2006年4月4日(火)

 

42と云う数字が好きだ。4月2日生まれだからそうなった、と云われても否定は出来ないが、理由はともあれ。たまに飲み屋などで下足入れがある時などには、大概42若しくは3(もう一つの好きな数字)の札を探してしまう。42=「死に」という当て字がはまるせいか不吉と取られやすいが、死が決して悪い事ではなく快く受け入れるべき境地と考えている私には、かえって心地よい響きである。

「42才になったら何かが変わる」と云う漠然としたイメージが、かなり前から私の中で保たれていた。で、42才になって2日経った訳だが、特に何かが変わったでもない。しかし、何と云うか「いい感じ」がする。これまたスゲエ漠然としているのだが。早起きして中央線に乗り、上野駅のドトールでP・オースターを読み、暗くなるまで(残業)発掘やって、不忍池の夜景や桜を観て、ついでに叶美香のヌード写 真も見て...。それらひとつひとつがやんわりと楽しく、目に映るモノ達もじんわりと美しく。 特別な事が無くても充分に幸福だった。


今日美しかったモノの一つ。
ライトアップされた桜の木。

 

2006年4月2日(日)

 

今日、42才になった。バカボンのパパのいっこ上だ。


今朝の井の頭の桜。

 

2006年3月31日(金)

 

今日グッドマンに作品の搬出に行った。便所の中で林栄一さん(sax)の演奏を聴きながら撤収作業 。なんとも不思議で贅沢な時間だった。って事で、便所個展より。

 

2006年3月30日(木)

 

今日は...。上野の遺跡にて寒風吹き荒ぶ中、光波測定器の操作。体の芯まで冷えきった。帰りは同僚の女性と上野の森の桜を見ながら。イカ焼き屋台の匂いにそそられつつ。今日あたりが満開か。それから吉祥寺に帰って今日はかみさんが京都に行っていて留守なので、外食で晩飯とする。それからCafe VeloceでP・オースターの「偶然の音楽」の続きを読む。これが面白い作品。それからチャリンコで井の頭の夜桜を見て廻る。こっちはもう二日程でピークか。ライトアップされていない夜桜は少なからず不気味。それから家に帰って、新聞を見て、TVニュースを見て、風呂に入って、洗濯物たたんで、メールをチェックして、そして今ポテトチップスを肴にバーボンを飲みながらこれを書いている。

なかなかいい一日。


上野の桜


これも上野の桜


こっちも上野の桜


これは上野のアカシア〜の雨に打たれてこ〜のまま〜

 

2006年3月27日(月)

 

遅ればせながら、野村雅美展No.8より。

 

2006年3月26日(日)

 

今日の夕方。井の頭にて。

 

 

2006年3月23日(木)

 

昨夜は橋本英樹さん(tp)とのデュオ・ライヴ。なんとも気持ち良かった。音に酔いしれた。勿論、橋本さんのペットの音にである。暖かくて、柔らかくて、そして「哀」を秘めた彼の音。大体が橋本さんの音は聴いているだけで「即快楽」である。なにも共演というカタチで接しなくとも聴いていればいいのかも知れない。でも私はプレイヤー。素晴らしいプレイヤーとなら共演したくなるのが必然である。それに今回は橋本さんの方から依頼が来た。この上なく光栄だった。

2ステージとも完全即興演奏。しかしなんとも自然な音の流れそして感触。私はどんな演奏形態に移行しても常に自由だった。それがミニマルであれ、音塊であれ、無音であれ。自由と快楽が同時だった。橋本さんも自由だったと私は確信した。そうでなければ、あの様な音の泉から止めどなく湧き出るようなソロはあり得ない。私と橋本さんとでは、全く違う形態の音楽を演奏していたと云える。決して私達は所謂「Call and Response」は全くやらなかった。しかし融合していた。決して近すぎない距離を保ちながら。そしてただただ音楽の中に「在」する事ができた。

改めて驚嘆したのが橋本さんの演奏技術の高さ。私がどんなに優柔不断に、曖昧に、無節操に転調しても、ちゃんとピッタリ乗せてくるのだ。しかも切れ目無く、極々自然に。凄すぎる。 そんな橋本さんから「また共演しましょう」と嬉しいひと言を頂けた。お客さんとしても多くの友人に再会できて、いい一夜だった。

 

2006年3月21日(火)

 

WBC(ワールド・ベースボール・クラシックス)について私が何も書かない訳がない。先ずは今日の決勝。日本が世界一になれた事、掛け値なしで嬉しい。野球が体に染みついている人間にとって、待ちに待った本当の世界一決定戦。そして日本が優勝。テレビの前で目頭を熱くしている自分がいた。なんと云ったって初代チャンピオンである。

そして更に嬉しかったのが、野球が自分がいままで思っていた以上に素晴らしいって事、それを体感出来た事。強いからと云って必勝と云う訳にはいかない。運に左右されやすく、そしてムードと云うモノが強く影響するスポーツ。結局決勝に行ったのはキューバと日本だった。アメリカでもドミニカでもなく。

日本が優勝したからと云って即日本が世界一強いとはならない。それは今大会のプレイを比較してみれば良くわかる。借りに今回大会のチームが120試合程のリーグ戦をやったならば、日本は良くても3位 だろう。まだまだ日本よりアメリカがドミニカが強い。日本人プレイヤーには未踏の域のプレイをキューバ、アメリカ、ドミニカ他の選手から見ることが出来た。

野球独特である「静から動」の身体運動。動作の前に必ず静止して考察するわずかな時間(しかもプレイ中にである)を持てるのが野球。その時間が素晴らしいのだ。守っていて打者の打球の行方を読んだり、芝の匂いを嗅いだり、観客のヤジを聞いたり、野球とは全く関係ない事を想い出したり....そう云う時間が。

そして更に更に嬉しかったのが、王さんにその栄冠を掲げて貰えたッテ事。世界では神格化されていても、どういう訳か日本では過小評価の王さん。でも真の日本の野球王は王さんである。決して長嶋ではない。それに値する誉れをやっと授けてあげられた気がする。

 

2006年3月17日(金)

 

今日はカナヘビに会えた。カナヘビ、という名だけど蛇じゃあ無い。トカゲの一種。今日も芦花公園は東京都住宅供給公社での話。昨日のギントカゲといい今日のカナヘビといい、なんだかトカゲづいている今日この頃。

折角だから又捕まえてみた。手のひらの中の彼(彼女?)は動くミニチュア恐竜だった。トカゲというのは諦めの早い奴らなのだろうか?又彼も直ぐに動かなくなった。安全な処に放してやっても暫く動かなかった。

それより自分で自分に驚いてしまったのが未だにトカゲの捕まえ方を憶えていたって事。カナヘビ君は、実は俺より先に同僚に捕まるはずだった。でも同僚はどうやらトカゲ捕獲テクを知らないらしく、掴もうとするもことごとくすり抜けられてしまう。ところが私は一発捕獲。ちょっと驚嘆の同僚。コツがあるんだよね、コツが。

 

2006年3月16日(木)

 

昼休み。弁当を食ってペットボトルのぬ るいお茶を飲んだら、枯れた芝生の上で昼寝。片腕で日光を遮りながら空を眺める。視界には葉が全て落ちた銀杏の木、蕾が膨らんできた桜の木、今月いっぱいで取り壊される住宅供給公社の建物の一片、そして空。

雲ひとつなかった目の前に徐々に白い雲が差し掛かる。空の青い部分が50%に。続いて薄い灰色の雲が急速にやってくる。青が殆ど隠される。体を包んでいる空気もひんやりしてくる。続いてややゆっくりと濃灰色の雲がドロ〜ンとやってくる。青が全く隠される。「そろそろ雨か」と思ったがそうではない。空が暗くなっただけ。眠っているか、眠っていないか、境界線の意識の中で、とても美しく大切な時間を持てたと思。

それから暫くしたらギントカゲに会えた。子どもの頃は家のまわりにいくらでもいたギントカゲ。背中にある虹色の縞模様、懐かしかった。丸々太っていて可愛らしい瞳だった。私に捕まえられたら直ぐに観念してしまって動かなくなった。放してやっても暫く動かなかった。

それから間もなくポチポチと雨が落ちてきた。

 

2006年3月14日(火)

 

10日ぶり、やっとここを更新できる。超必殺目まぐるしい毎日。ああ忙しい忙しい。

昨日グッドマンに作品を展示しに行った。お便所個展の為に。今回は油性マジックで描いた小品を24点。約2日間で一気に描いた。普段私の創作は殆どがイメージさえも介入させず行われるのだが、今回は違った。考えてみれば、白地に黒の画材の作品を世に出すのは初めて。モノクロとなるとマチエールだけで成り立つワケはなく、どうしても歴然とした「かたち」が要求される。となるとどうしても必要なのがイメージ。だから今回は描く前にちょっとしたイメージの時間があった。何を見るでもなく何を聞くでもなく、唯ひたすら頭中に浮かんでくるであろう「かたち」を待つ。その時間が極楽しかった。

 

2006年3月4日(土)

 

野村雅美展最終日。

開廊と同時に入廊。いい天気が幸いしてか今日は昨日をはるかに上回る来客。それが16:00迄の短時間なので大忙し。常に複数の来場者がいる状態。こうなると、こんな私でも下手なホスト精神が目覚めてきて、なんとかみんなといい会話が出来る様に心がけたりなんかする。でもなかなか上手く対応出来ないんだよな。銀座の画廊は土曜日が最終日でしかも早閉めが多いのだが、こうなると期間についてもうちょっとなんとかならないかと思ってしまう。日曜日に開けろとは云わないが、土曜日もうちょっと長く開けられないものかと。今日も閉廊寸前で来る方や間に合わなかった方もあった。

今日も大勢の人から様々な感想、イメージ、意見等を聴かせて頂いた。それらのどれもが興味深く身に浸みるモノだった。彼らの思い描いた様々なイメージのどれもが正解である。 特に複数の方からあったのが「確実に(着実に)進化してますね」という言葉と「絵と云うより絵を超えた何かって感じがする」というお言葉。アーティストにとってこれ程の賛辞は無い。この上なく嬉しかった。そう、音楽家も美術家も進化しなければいけない、進化しようとしなければいけないと私は思。人がやらなかった事が出来てこそ、だ。

正直結構疲れたが、とても充実したし楽しかった。本当に楽しい事は疲れるものだ。当たり前の事だが。今回も個展やって良かったと心から思えた。

 

 

2006年3月3日(金)

 

野村雅美展五日目。

今日は12:10頃入廊。昨日とうって変わって今日は来客が非常に多くて大忙しだった。芳名帳の署名をチェックしてくるのを忘れたので、どんな人達が来てくれたか把握しきれないが、兎に角大勢。有り難し。おみやげもいっぱい貰ってしまった(ほんと申し訳ないです。今度は皆さん是非手ぶらで来て下さい。観て頂けるだけで充分嬉しいのですから)。

今日来てくれた方々、私の作品を何度も観てくれている人も多かったが、初めての人も多く、その方々から驚嘆や感激の声を聞けたのが非常に嬉しかった。女優・鈴木清乃さん(紫色の着物で登場!)は「DMの写 真ではどうしてもCGとしか思えなかったけど、実物を観ると本当に絵の具なんですね。とても不思議です」と。個展の一番良いところは、多くの出会いが持てる事と、知った人と友情を深めあえるって事かも知れない。

多くの親しい友人達も集まってくれて、茶を飲みワインを飲みながら楽しい時間を持てた。「幸せだなあ、俺」と実感。帰りにSSWのリコとレコーディング・エンジニアの二宮圭太郎くんと一杯やって気持ちよく帰途に。

 

2006年3月2日(木)

 

野村雅美展四日目。

今日も12:30頃入廊。と同時に次々来客。その中のひとりに長身で綺麗な歩き方の女性がいた。「モデルさんですか?」と尋ねたら「まあそうです」と。近くで草月流華道をやっていて、そこに向かう道すがらとの事。と云いながら結構な時間鑑賞してくれて、そして一枚購入してくれた。また美女のコレクターさんが出来て嬉や。

幸先は良かったのだがその後客足がいまひとつ。もっと宣伝せにゃいかんな、と思っていると、等間隔でお客さん達が来てくれた。ピアニスト・神垣守さんが美味そうなプリンを持って。最新作を讃えてくれた。画家・朝倉京市さんがマスクドで。彼女も私と同様花粉症らしく。今日はロングブーツで格好いいおねーさんって感じ。続いて最近知り合った画家・三浦充訓さんが。これから裸婦デッサンの講師の仕事に行くと。彼とはこの夏コラボをやろうとの計画がある。続いて画家・柳賢男さんが赤ら顔でやって来た。作品について色々提言を頂いた。

今日もお客さんのひとりにアドバイスをもらったのだが。「絵が壁紙になってしまっている。もっと多くの色を使って、マチスの様に」と。有り難いが受け入れ難しであった。

夕方ちょっと画廊を抜け「イラストレーター展」をやってるギャラリーG2を訪れた。月曜日に観に来てくれた田中うささんの新作絵本が置いてあって見本をぺらぺら眺めた。素晴らしい絵本だった。優しさが力強かった。人間にとって最も大切な「核心」が言葉を一切使わずに描かれている。いや言葉と云う虚飾が無いからこそ、その核心が優しさがリアルに伝わってくる。あんな完璧な絵本めったに無い。即購入。田中うさ著「おくりもの」新風舎、皆さんご一読あれ。

 

2006年3月1日(水)

 

野村雅美展三日目。

一日中すっと雨が降りっぱなし。今日もお客さん少ないかな?と思いながら12:30頃入廊(予定変更して)。するとどうでしょう。予想に反して次々お客さんが来るではないですか。昨日の反動だろうか。嬉しい限りだ。

今日は様々な方面の方々が来てくれた。今日も作家さんから多くの賛辞を頂く。「そうですか。こういうやり方が残っていたんですか。他にないですね。新しいです」とグラフィック・デザイナーの石原輝雄さん。嬉しかったなあ。「私も創作したいって欲求が沸いてきました」とアーティストの伊藤香代さん。嬉しかったなあ。また他の画廊での同時期開催の作家さん達も挙ってやってきた。みんな素晴らしい人柄の方々で(それに美人の方も多くて)出会えて良かったな、とつくづく。

夕方以降はひっきりなしで大忙し。対応に追われたが、色んな方に再会出来たし、色んな楽しい話が出来た。そしてDM写 真の作品が売れた(輝美さん、繭華さんありがとー!世界の街の話も楽しかったです)。目出度し目出度し。

帰りは中野にあるバー&ギャラリー「Kanna」にちょっと寄った。先日のSARABANDE Liveに来てくれた多民さんがやっているお店。とても落ち着くいい雰囲気の店内。知り合ったばかりの彼女と色んな話しをしていると、気分が安らいできた。そして5月に同店に展示させてもらう事になった。いい流れだなあ。

すんげえ充実した一日。

 

2006年2月28日(火)

 

野村雅美展二日目。

今日は朝みんなでメットを被って、ラジオ体操をやって、旧石器時代の土をひたすら掘って、弁当を食って、また旧石器を掘って、それから小野画廊に向かった。17:30頃画廊に到着。

今日の来客は少ない様だった。画廊オーナーの方々が何人か来てくれた様で、会いたかったと思。静まりかえって空間で、自分の作品とゆっくり対峙するのも必要な時間だな、と実感。同時期開催(京橋・ギャラリー小野にて)の松岡さんからワインを頂いた。

 

2006年2月27日(月)

 

野村雅美展初日。

いつもそうだが月曜日の個展会場は忙しい。今回も多くの方々の来場があった。特に作家さん達が次々とやって来た。知っている人も、初対面 の方も。そして彼ら彼女らの大多数から、嬉しい評を頂いた。長い時間をかけてゆっくり鑑賞する方が殆どだった。今日知り合った作家さんの「さっきまで鬱々としていた心が、絵を観ているうちに晴れてきた」と云うお言葉、嬉しかったなあ。また、次はこうした方が楽しい、こうすればもっとかっこいい、等前向きな具体的なアドバイスを多々頂けるのも作家さんならでは。これも有り難い。創作の苦しさを知っている作家さん達の話はやはり聞きのがせないものが多いし、互いに刺激しあえると云うのも素晴らしい。

また月曜日は美術関係者やコレクターさん達の来場も多い。多くのコレクターさんから顔を見ただけで「ああ、野村さん。おめでとうございます」と声をかけられた。私も美術家としての顔が出来てきたんだな、としみじみ実感した。

ひとりのお客さんから作品に対する苦言があった。そういう言葉もたまにはしっかり聞いてみようと耳を傾けたのだが、やはり飲めるものでは無かった。形が決定的でない(決まった図形がない)との事だが、それは私の資質ではないと返答しておいた。

多くの作家さんとの出会いがあって、知り合ったばかりの方々と交友を深める事が出来て嬉しかった。

 

2006年2月25日(土)

 

来週の個展の搬入を終えてきた。作品と作品がうまく共鳴し合い、有機的なリズムを発生しだした。私の作品達が、私からどんどん離れて行くのが解った。喜ばしい。


展示作業後の野村雅美。

 

2006年2月20日(月)

 

昨夜のサラバンド・ライヴはギター、ピアノ、ドラムスと云う変則トリオ編成。ボトムレスの演奏となると、正直云ってスカスカになってしまうのが心配ではあった。でもさすが拓ちゃん(ds)、三浦さん(pf)。創造的で多様な音時空間と創る事が出来て大成功だった。

この成功の主要因は、メンバーみんなが「即興を歌わせる」事が出来るからだと確信した。拓ちゃんも三浦さんも、即興演奏であっても、音楽の根幹であるリズム、メロディー、ハーモニーをしっかりと意識している。決して音の垂れ流しではない。それどころか、まるで曲として成立しているかの様なメロディー達が、次々と現れるのだ。全く素晴らしいし、全く楽しい。

ゲスト出演のRIQUOも彼女の自作曲のように、柔らかく、透明感があって、素晴らしかった。なにより演奏している4人の、心から楽しんでいると云った表情を伺えたのが最高に嬉しかった。

 

2006年2月12日(日)

 

今日午前中、井の頭公園にて。


カイツブリ2羽。


マガモ。マルガモじゃないよ。


店番猫。今日のベスト・ショット。


「風の駅 」の鷹の名前はネテルだった。

 

2006年2月7日(火)

 

2/27(月)からの個展に向けてまた新作を描き始めているのだが、音楽と美術の大きな違いを、ふと思いついた。と云うのは「失敗」についてである。

音楽特にライヴに於いては、失敗は限りなくそのまま失敗に近い。勿論失敗を糧に研鑽を積むなどという前向きな精神は生まれたりはするが、音楽が創られたその場ではあくまでも失敗である。

ところが美術(私の場合絵画だが)の場合、失敗はかえって成功に近い気がするのだ。それは時間さえあれば描き直しがいくらでも出来るって事が、かなり大きな要因と云えるかも知れない。気力さえあれば近い将来必ず成功がやってくる。自分の作品としての成功が。

少し前、画家である友人のサイト日記で、失敗作を塗りつぶすというエピソードを読んだ。それからは苦悩と云うよりも、かえって前向きな「楽しさ」とも取れる感覚が伝わって来たのだった。

 

2006年2月3日(金)

 

昨夜は黒井絹さんとのデュオ・ライヴ。いやー楽しかった楽しかった!乗った乗った!鳴らした鳴らした!揺らした揺らした!

昨夜は二人ともアコースティク・ギター。絹さんはスチール弦、私はナイロン弦。所謂フォークギターとクラシックギター。それら2本のギターがひたすらかき鳴らされた。時には後ノリで、時には前ノリで、時にはズレを生じさせながらも。key of E だったり、D drop tuneだったり。でも要はグルーヴだ。昨夜のギグには歴然と私達のグルーヴがあった。なぜそう云ってしまえるのか?答えは簡単。「止められなかった」からである。「結局音楽は止まったじゃないか」なんて野暮な事を云う人はここの読者皆さんにはいないと思うけど、つまり理由はそういう事だ。音楽が止まったとしても、それは私達が止めたのではない。音楽が私達を止めたのだ。この境地、解ってもらえる方も多いと思う。

二人のストロークが続けられる事により音達がどんどん空間に継ぎ足される。グッドマンの空間に「音の対流」の様なものが出来上がる。止められない反復、パルス。「私」が消えていく。私は決して宗教には関係がないが、あの音時空間こそ、空海の修行の場では?親鸞の南無阿弥陀仏の境地では?と直感。

兎に角サイコー!だった。そして私達はもっと乗れる。もっと揺らせる。もっと進化出来る。

 

2006年2月1日(水)

 

最新作。Goodman冊子3月号のおもて表紙

裏表紙は未公開と云う事で。

 

2006年1月30日(月)

 

guestbookにも記したがとうとう荻窪グッドマンが無くなってしまう。一昨日インタビューの為我が家に訪れたマスターの鎌田さんから直接聞いた。6月一杯であのビルが解体されるのだそうだ。そうなるって事は随分前から解ってはいたが現実化となるときついものがある。

私が初めてグッドマンに出演したのは確か1996年。当時定期出演していた狩俣道夫さん(伝説のバンド?Plan Beのメンバー仲間でもあり)のゲストにて。それから10年あまりもう数え切れないほどあのステージに立った。その一回一回が実験であり、エンターテイメントであり、挑戦であり、快楽であった。そして私の即興体質を育んでもらった。言葉に出来ない程感謝の念で一杯だ。

グッドマンの音楽空間は自由で厳しい。と云うより自由というのは実際厳しいモノだと云う事を否応なく体験させられるのである。自由というのは「わがまま」とは決してイコールではない。他人の自由があってこそ、他の自由を尊重してこそ真の「自由」が成立するのである。それは理想主義に似た困難さを持っている。それを音楽そのもので知る、いや体得するのである。

グッドマンはPAがない。アンサンブルの出音バランスは奏者同志がやるしかない。クラシック奏者の様に。そして極々デッドな空間。残響などこれっぽっちも無い。故に誤魔化しきれない生音丸出し。それを間近に座るお客さんに聴かせる訳である。鍛えられない訳がない。

勿論鎌田さんは次の店を探して新たな音楽空間を提供してくれるだろう。でももう二度とあんな音楽空間は得られないだろう。残り僅かとなったグッドマンの音時空間を、大切に噛み締めるように過ごしたいと思。

 

2006年1月25日(水)

 

昨日、小野さん(小野画廊)から電話あり。ありがたい事にまた企画展示のオファー。2/27からの一週間との事。私にしては急な話ではないが、スケジュールが結構きついし、新作もさほど有るわけじゃなし。でも他ならぬ 小野さんからのお誘い、快く引き受ける事に。それにしても小野さん、企画展示を電話一本でちょいっと決めてしまうなんて、なんと清々しい。面 倒な手続きは一切無し。気楽でいいね。勿論制作は真剣だけどね。今度の場所は「小野画廊・京橋」。いままでで一番広いスペース。だからといってデカイ作品創ろうってもんじゃない。今回は自分でもコントロール出来ないであろう「創作の流れ」を大切にしようと思。出来る限り思考を排除し、自我を排除し。まあ、兎に角take it easyだな。

 

2006年1月23日(月)

 

今年初めて、今朝早くも片頭痛がやって来た。

朝布団の中でうごめいていたら閃輝暗点(片頭痛の前兆)が出ているのを知覚。閃輝暗点とは、視野に光のギザギザが現れそのギザギザの部分が見えなくなるといったもの。それが今回かなり激しいのだ。それが激しい程その後必ずやってくる片頭痛の症状も重くなる。申し訳ないと思いつつ今日の仕事は休ませて頂く事に。休ませて貰って大正解。今日程痛い頭痛は何年ぶりだろうか?20代後半以来と思。聴覚、嗅覚が妙に敏感になり、内臓の調子も悪くなった。半日寝たおかげで現在は復調。といっても咳をすると頭にひびくと云った具合だが。

週の初めに、なんか調子狂うなあ全く。

 

2006年1月22日(日)

 

今日午前中の雪見散歩にて。動物の写真ばっかだが。


雪の木?ジブリ美術館前。


井の頭公園西園にて。


井の頭の森。


雪の花?


水鳥達にパンをやるの図。


オシドリ達。


自販機の上のローリー。


未だ名前を知らぬキジトラ。cafe donatello'sにて。


今日名前を教えて貰ったユウ。cafe donatello'sにて。


「風の駅」の番鳥?フクロウ。


フクロウの目は人間よりも大きかった。


もう一羽の番鳥、鷹。


鷹に乗っかられるの図。スゲエ爪の力だった!
ダウンジャケットに大穴空けられてしまった。

 

2006年1月20日(金)

 

昨夜ライヴハウス「梅島ゆーことぴあ」に行ってきた。遠かった!お目当ては二人の遺跡仲間にして音楽家の弾き語り。沖本巡さんと中島良太。

中島は事実上のソロ・デビュー。オリジナルとRadio Headの曲を演奏。総じて感じたのが「音楽センスあるなあ」と云う事。ギターのパルスがかなり正確。チューニングもしっかし出来ている(ちゃんとチューニング出来ている弾き語り、実はかなり稀少である)。何より音に生命力、エネルギーが強く宿っている。決して荒げずしかし熱く。まあ課題もいろいろあるが、これからどんどん進歩していく事間違いなし。楽しみである。

沖本さんのギグは今日まで少なからず聴いてきたが、昨夜が今までのベストと感。彼は渋谷アピアでも毎月演奏しているが、繊細で柔らかみのあるアピアの音作りより、ゆーことぴあの少々ソリッドでエッヂの効いたサウンドの方が彼の音楽により適している様だった。それにしても沖本さんの声、艶っぽいねえ。「俺には一生あんな風には歌えねえんだろうな」とシミジミ感。今日一日中、私の頭ん中でずっと彼の歌が鳴りっぱなしだった。「ここの〜石炭は〜♪」。

 

2006年1月15日(日)

 

2006富士展。作品及び展示風景などなど。

 

2006年1月12日(金)

 

昨夜は急遽橋本秀樹・Nemoさんのデュオ・ライヴにゲスト参加。荻窪グッドマンにて。トランペット奏者の橋本さんは私がグッドマンに出入りする様になった10年程前からのお付き合いで、度々一緒に演奏させて頂いていた。とても柔らかい音色で、リリカルで、テクニックも極素晴らしい。トランペットであれだけ心地よい即興を聴かせてくれるのは、日本では彼だけかも知れない。

「さて、橋本さんとヤワラカーイ演奏をしよう」と考えていたら、ベースNemoさんから「カッティングを弾いてください。フリー・ファンク風に」とのご注文。となると調子に乗ってしまうのが私。途中からはひたすらストローク。「橋本さんやりにくいかな?」なんてアタマの片隅で考えつつ、私の腕はひたすらストローク。もう止まらない。1時間でも2時間でも弾いていたかった。どうかな?とプレイバックを聴き返したら、なんのなんのいい演奏じゃないですか!橋本さんの対応力、広い音楽性に再感激。

更に嬉しかったのが橋本さんから共演依頼を頂いた事。勿論引き受け3月に共演できる事に。楽しみだなあ!

 

2006年1月6日(金)

 

「2006富士展」at 銀座Gallery G2が昨日から開催されています。私はF6号2点出展。出だしから好評で嬉しい限り。昨夜はオープニングと云う事もありとても多くの方に観に来て頂きました。ありがとうございました。

参加している作家の方々は、みんな初対面の方だったのですが素晴らしい人達ばかりで、そして作品も素晴らしく、参加して良かったなと心から思いました。面 白いのが、参加作家の技法が全て違うって事。 アクリル画(私)、油彩 画、シルクスクリーン、日本画(岩絵の具)、七宝焼き、切り絵、発泡スチロールによる平面 作品、彫金、と云ったラインナップ。皆がただ富士山を現したに終わらない個性派揃い。

帰りにオープニング飲み会に参加。G2の代表狩野珠生さんのお父さんは、世界を股にかけて活躍しているアーティストの狩野炎立さん。炎立さんを中心にとても有意義で楽しい話が出来て、ついつい酒が進んで今日はちょいと二日酔い気味でした。

 

2006年1月1日(日)

 

2006年、明けましておめでとうございます!

私の元旦はこんな過ごし方でした。

・野村実家にて両親と紅白歌合戦を観ながら迎春。
・我が家に戻りビデオで「K1 Dynamite」を観戦。
・初聴きは毎年通り武満徹「November Steps」。
・朝遅く起きてラジオで謡曲「高砂」を聴く。
・年賀状を眺めたり、新たに書いたり。
・昼に雑煮を食う。
・ビデオにて「PRIDE男祭」を観戦。
・ちょっと昼寝(と云うより夕寝か?)。
・ウィーン・フィル「New Year Concert」鑑賞。
・遅い晩飯に、またもや餅それにトースト。
・鉄亜鈴でトレーニング。
・ギター・ストロークの練習。
・風呂。

とまあ、こんな感じでした。

 

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