折笠先生のこと


<平成17年8月29日付メーリングリスト送付メール>

3−Cの皆様へ

大変ご無沙汰いたしております。松倉です。

本日、折笠先生の告別式に出席させていただきました。

昨日は不覚にも在京しておらず御通夜に出席することが叶わず、本日年休を取り告別式に参列させていただいた所存です。

出遅れたことが幸いし(?)、ゆっくりと先生にお会いすることができました。
出棺の折、御花を手向けさせていただきましたが、眠っておられるような安らかなお顔を拝することができました。
正直、おやつれになっているのでは、と心配しましたがそんなことはありませんでした。
「先生、早すぎるよ」と声をかけるつもりでいましたが言葉になりませんでした。

式の直前に奥様より「松倉さんですね。いつも素敵な年賀状を拝見していました」と存外なお言葉をいただきました。恥ずかしいことですが、奥様にお会いしたのはこれが初めてでした。それに引き替え顔さえ知らないはずの私をすぐに見定められた奥様のご配慮には深く頭が下がる思いがしました。私のくだらない賀状を心に留めていただいていた先生と奥様にまったく返す言葉もありませんでした。

思えば先生の賀状の似顔絵を書いたのは私です。当時も今も決して自慢できるようなシロモノではなかったにもかかわらず、先生はあの似顔絵を28年も使ってくださいました。我々中野九中3−Cの生徒だけではなく、先生のすべての教え子たちにあの似顔絵で賀状を書かれていたのか、と改めて思い身が切られるような痛みを覚えました。
私はソフトウェア開発に携わっていますが、何億円もかけて作ったシステムも用途がなくなれば捨てられてしまいます。今の世の中では持ってせいぜい5年といったところです。それを28年も使っていただいたということは、本当にありがたく名誉なことであると思います。同時に先生には深くお礼を申し上げたいと思います。

祭壇のお写真の中で先生は飛び切りの笑顔をされていました。誰か参列者の方が「随分、お若い頃の写真ですね」と訊かれ、奥様が「いいえ、12日前の結婚式での写真なんですよ」と応えておられました。
弔電の中で「折笠先生はお嬢様のご結婚式でバージンロードをお嬢様の手を引かれてお歩きになり...」云々のお話がありました。それと奥様のお言葉との間に関連性があるのか否か事情を知らない私としては推し量るしかありません。
しかしもし私の想像通りのことであったとすればひとこといいたい。
「先生、似合わないよ。カッコよ過ぎるじゃないか!」

告別式は1時間ほどで滞りなく終わりました。
奥様の参列者への謝辞があり、ほどなく出棺。
なにかひどく寂しく感じたのはそのときでした。

「あまり急だったので...。恐らく本人が一番ビックリしたと思いますよ」と奥様が式の前にお話してくださったことが今更ながら心に染みました。

何かまとまらない文章で大変申し訳ありません。
先生の不出来な生徒のひとりの小さなつぶやきと思ってお許しください。

添付に写真と卒業文集(注:卒業アルバムの間違え)に載っていた絵を添えます。

写真は2003年5月30日に有志で開かせていただいた「定年退職祝い」の席での先生です。
(渡辺(旧姓森田)千鶴子さんのお写真から。森田さん、無断掲載ごめんなさい。ゆるしてくださいね)



もうひとつは卒業文集での寄せ書きの絵です。例の賀状の元絵です。
この寄せ書きを先生はどんな思いで読んでいたのでしょうね?
今夜は卒業文集を探して思い出をたどってみてはどうでしょうか。

長文のところ(かつ大容量の添付ファイル)、大変失礼いたしました。

                                                            −以上−

<追記>
天羽クン、中西クン(FAX助かりました)そして水川クン。弔事連絡ありがとうございました。