ポルトガル ポルトからリスボンへの旅
                
(「ヨーロッパ鉄道大旅行」晶文社刊より)

 日本にとって、ポルトガルは最も古くからお付き合いをしてきた西洋の国で、その歴史は450年にもなる。そうであるにもかかわらず、海外旅行ブームのなかでもさして人気旅行先とはなっていないらしいのは残念だ。同国北の町ポルトは人口数10万、同国第2の都市。ポルトワインで知られ、ドゥーロ川河口の港町で、坂の町でもある。スペイン・ビーゴからは3時間強で、カンパーニャ駅に到着する。

 ポルトの主要駅だがなぜか駅名表示がどこにもなく、都心を外れた駅で周辺はうらぶれた感じ。しかし発着する列車は多く構内には活気がある。都心の駅ポルト・サン・ベントへは乗換が必要だ。そのサン・ベントへはトンネルをくぐって到着する。トンネルを出た狭いスペースにつくられた頭端駅で、なるほど長編成の列車は入れないし、列車数も制限せざるを得ないことが理解できる。

 しかしつくりは立派で、タイルの壁画がめずらしい。それはいいがここも駅名表示がない。主に近郊電車とディーゼルカーが発着し東の山間部に入って行く路線からは、メートル・ゲージの支線がいくつか出ていてすばらしい景観が眺められたらしいが、今は廃止されたり縮小されるなどしているのは、時代の流れでやむを得ないのかもしれない。

 サン・ベント駅の近くにはリベルダーデ広場。ここから北に向かって公園風の大通りとなって、突き当たりの立派な時計台のある建物が市庁舎だ。いくつかの教会や博物館などもあるが、起伏の激しい町並みそのものが見どころだろう。

 川には何本もの橋が架けられている。ドン・ルイス橋は上下二段の歩行者、車用の鉄橋で、丘の上と下とをそれぞれ別個に結ぶというおもしろい構造で、渡った対岸からの眺めがすばらしい。そして川沿いにはワイン工場が並んでいて試飲もできる。

 下流にはアラビダ橋、そして上流には2本の鉄道橋が並んでいる。古いほうはエッフェル塔を造ったエッフェルによって1877年に完成したもので、ドナ・マリア・ピア橋と呼ばれる。新しいほうはエッフェルの鉄橋が老朽化したため1991年に造られた、国鉄ご自慢の対照的にモダーンなもの。旧橋も記念物として残すとのことだ。そしてもう1本をさらに上流に建設中で、これは高速道路用である。

 訪れた1994年には、2系統(1系統の枝分かれ)だけだがトラムが健在で、古強者が満身に広告を背負い、満員の乗客を運び続けていた。川沿いの「電車道」を歩いていたら偶然車庫を見つけ、早速カメラを向けていると「こっちへ来い」との声がする。気がつくと隣が本社の建物で、その1階が電車博物館になっていたのだ。

 すでに閉館の時間だったが特別に入れてくれ、帰り支度をしていたオネエチャンが笑顔で入場券を発行してくれた。馬車鉄道時代からの車両がきれいに展示してあって、館内には架線も張られ大半は動態とのこと。おおいに満足して辞したのであったが、廃止の情報も入ってきている。どうなっているのか、気になるところだ。

 この国のレストランは夜8時にならないと開かない。でも立ち飲み、立ち食いの店ならいくらでもある。ポルトワインを一杯やってからレストランに行くことにしよう。海の幸が待っている。

 ポルト、リスボン(リスボーア)間がこの国の鉄道の大動脈で、東京、大阪間のようなものではあるものの列車は多くはない。ご自慢の「アルファ」と名づけられた優等列車が4本と、インターシティ(IC)が4本、その他といったところで、アルファとICは全席指定である。

 この両者に使われている車両は共通で、ICで到着した列車の行き先表示板をアルファに替えて引き返えす運用もみられ、違いは停車駅の数だけといっていい。所要時間も3〜3時間半の間におさまっている。幹線で電化されているのはこの線だけで、フランス型の電気機関車に引かれた、これもフランス型のステンレス客車46両の編成で、座席は集団見合い型。半車のバーが含まれていて、時間帯により食事もできる。

 ポルトガル国鉄(CP)では新世代用として、ドイツ製の「ユーロスプリンター」機関車も導入しているが、今のところ大出力であることを買って貨物牽引に使っている。220キロも出せる機関車なので、もったいないような気もしないでもないが。

 ICに乗る。10分遅れで発車。乗車率は8割といったところか。線路は溶接ではないがよく整備されているほうで、1665ミリの広軌を快調につっぱしり、時速100キロは確実に越えている。車窓は住宅、林、畠、葡萄園などで、まあ特にとりたてることもない普通の景色といったところだ。

 隣席の女性は終始むずかしそうな書類に目を通している。キャリアウーマンである。新聞を丹念に読んでいる人、クロスワード・パズルに熱中する人が多い。バー車は猛烈なタバコの煙りで換気が悪そう。ほぼ中間のコインブラが10万都市で、この国ではポルトに次ぎ3番目。ほとんどの列車の停車駅となっていて、ここからリスボンまでの列車も何本か出ている。

リスボンの電車達

 ポルトからの列車はサンタ・アポローニャ駅に到着する。駅の周辺は何もないうらぶれたところで、そのうえ都心からのアクセスがバスかタクシーしかなく甚だ不便。人口百万を越える首都の玄関口とは思えない。ポルトガル語でリスボーアは、歴史的な石造りの建物がひしめく旧市街と近代とが交錯し、七つの丘を持つという起伏の多い街である。

 最盛期に比べればかなり縮小されたとはいえ、この坂道の多い街を、今も10系統以上を元気に走りまわっている900ミリ・ゲージの路面電車、エレークトリコは1901年の発足で、前身は1873年に走りだした馬車鉄道である。

 ようやく近代的な低床車の導入も始まったが、まだまだ単車、ボギー車、雑多な旧型電車がほとんどで、全身を広告で包み、満員の乗客を乗せて、長いポールを振りかざし、モーターを唸らせながら、狭い坂道を走り続ける健気で元気な姿はファンにとってまことに魅力的だ。

 この古い電車網が観光資源になっていることは当局側も承知していて、冬季を除いて、2時間をかけて街を一周する観光電車が運転されていて、コメルシオ広場から出発する。使われているのが開業当時の電車を修復したものであるのも嬉しい。通常の路線とは異なるコースをたどるので、ポイント切替えの鉄棒を持った男性と、かなり太めな案内放送の女性を乗せての運転だ。客に合わせて5か国語のうちから3か国語での説明。日本語はないが達者なものである。

 電車は石畳の狭い路地のようなところにも入ってゆく。特にサン・ジョルジェ城もある古い町並みを走る1012系統がそうである。電車だけではなく、バスもトラックも乗用車も通る。追い越しどころか行き違いもできないところもあるが、互いに譲り合いながら何とかなっているところがおもしろい。そんな道なのに駐車が多い。車道に駐車するわけにはいかないから歩道が駐車場だ。歩行者は車道を歩かざるを得ず、人、車、電車がごちゃ混ぜになっている。

 こんな具合だからクルマに乗ったところで早く着けるわけでもなく電車で充分。クルマが増えればますます通れなくなるというのが路面電車を存続させている理由なのかもしれない。

 路線にはとにかく勾配が多い。急坂の登りは唸りを上げて、下るときには手前でまずハンドブレーキを適度にかけ、かけたままでエアブレーキを併用しながらゆっくりと降りてゆく。エアブレーキは後から追加されたもので、ハンドブレーキは2組あるが、しかし両方のブレーキがそれぞれどこにどう作用するのかはよくわからなかった。いずれにしても昔の電車というのはまことに丈夫で長持ちするものだな、というのが実感。

 さすがに電車では歯がたたない急坂では、路面ケーブルカーが満員の客を運び続けている。ケーブルカーに多い階段状の床ではなく水平な床、屋根も水平であるため、山側の顔は普通なのに反対側は猛烈な馬面になっているのがおもしろい。ケーブルは地下に埋設されていて路面には細い溝があるだけである。距離は短く、脇を歩く人もいるしクルマも通るが、ためしに歩いて登ってみたらやはりきつかった。市内3か所で運行している。

 ロッシオ広場と川に面したコルメシオ広場との間に広がるバイシャの旧市街が楽しい。各種の商店で賑わう繁華街だ。小高いサン・ジョルジェの城内は公園になっていて、城壁からの見晴らしはすばらしいが、ライトアップされた城壁を遠くから眺めるのもいい。北にのびる新市街にはモダーンな高層ビルも建ち、まったく違った顔もみせている。

 地下鉄は都心と北の周辺部とを結んで1959年に走りだし、その後路線を徐々にのばして、現在はO型に枝が出た模型レイアウトのような線型になっている。しかしO型を周回する運用はなく、左回りも右回りも新設のモダーンな高架駅カンポ・グランデで顔を合わせるがここが終点で、乗り換えるには再度キップが必要だ。もっとも改札はなく、自分で刻印器に通す方式だから無札も可能?かもしれないが。

 路線はさらに延長され、空港や国鉄駅への接続も計画されている。電車は同国製の中形3ドア車の2〜3連で運行。ゲージは国鉄の広軌に対し1435ミリの標準軌を採用、全電動車で第3軌条方式である。車内に広告がないためすっきりしているし、他国に多い落書きが少なく、駅や車内の清掃もまあまあで好感度大だ。こちらも通勤時間帯には満員になる。

 リスボンには四つの国鉄ターミナル駅がある。ポルトやスペイン方面とを結ぶサンタ・アポローニャ、北西部へのロッシオ、テージョ川沿いに西へ行くカイス・ド・ソドレ、それにテレイロ・ド・パソで、テレイロ・ド・パソは駅とはいっても線路はなくて、テージョ川対岸のバッレイロ駅への連絡船が発着している。

 駅が離れているのは特に珍しいわけではないにしても、結びつけるアクセスが不完全なのは困ったものだし、南へ行くにはまず連絡船に乗らなければ始発駅にたどり着けないというあたり、もう少しなんとかならないものかと思ってしまう(なんとかする計画はある)。川を横断しているのは道路橋一本だけなのだ。サンタ・アポローニャ駅は広くはないが設備は整い、国際列車も発着するにふさわしいたたずまいではある。

 訪れたときには、ロッシオ、カイス・ド・ソドレの両駅が改修工事の真っ最中で、コンクリートを削る騒音と埃でひどい状態だった。それはともかく、カイス・ド・ソドレは元エストリル鉄道の駅で、この鉄道は1926年と早い時期に直流電化されている。

 カシュカイスへの電車が四〜六連で頻発していて、電車はすべてステンレス車体の3ドアで一見同型ばかりのよう。しかしよくみれば台車は様々、車内の座席配置もいろいろで実は始めからステンレスで造られたもののほか、旧型車も、木造車を含めて車体更新をしたものが同格に使われているのである。ドアは自動で閉まるが、ロックされないのでいつでも開けることができ、若者は開けっぱなしにして風通しをよくするのがお好きなようだった。

 沿線には港、ヨットハーバー、高層住宅団地、高級住宅地から太陽海岸と呼ばれるリゾート地へと続き、リスボンと一体になった生活路線で乗降客も多い。途中のエストリルはF1レースの開催地でもある。車窓南側はいつの間にかテージョ川から大西洋に変わっており、30分ほどで終着カシュカイス。海浜リゾート地だ。

 ここから6番のバスに乗れば30分ほどでユーラシア大陸の最西端、ロカ岬に行ける。何もなく海が見えるだけみたいなところだが観光案内所では最西端に立ったことの証明書を発行して稼いでおり、群がるミーハーに私も加わったのであった。

【注】 現在ポルトには新しいLRTが走り出しており、ドン・ルイス橋の上段もLRTの通り道になっている。
  原本の初版は1996年の発行であり、当時の状況に基づいた記述なので現況とは異なる部分も散見される。旅行に当たっては最新の情報を参照されたい。

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