SPレコードは素晴らしい

 なぜSPレコードなのか

 

 SPレコードとは、LPが出る以前の、割れやすい78回転の旧式なレコードのことである。片面の演奏時間は4分くらいしかない。音質も劣るし雑音も多い。

 一時は見限った人も少なくなかったのだが、考えてみれば単なる円盤ではなく、LP以前の、先人の演奏を記録した貴重な資料であり、文化遺産なのである。古書と同じかもしれない。失ってしまえばもはや甦らせることはできない。演奏スタイルや技術は時代によって随分異なり、名演奏家のそれを知る方法はレコードによるしかないのである。

 かつての交通機関は今日のそれに比べればはるかに貧弱であり、長距離の移動は困難を極めた。演奏家が世界を飛び回ることはほとんどなかったし、ラジオ放送が音楽を届けるという仕掛けもなかった。

 演奏家は夫々の地域に根ざして、生の演奏を聴かせていたのだから、その演奏も当然、はなはだ個性的であり続けた。今日のように没個性、インターナショナルな、優等生的な演奏ではなかった。もちろん今日でも、夫々の演奏にはそれなりの個性を備えているにしてもである。そして、その時代の演奏を蘇らせてくれるのがSPレコードなのだから、まことに興味深く、奥が深い。

 

 レコードの発明と発展

 

 発明王エジソンが蓄音器を発明したのは1877年のこと、エジソン自身の声で、はやり歌「メリーさんは子羊を持っていた」というのが、キカイから再生された第一声だった。

 そのときのキカイは、円筒に錫箔を巻きつけて回転させ、針を回転する錫箔に押し付けることによって箔に溝状の凹みをつけて行く仕掛けで、針には声によって振動する振動板が取り付けあるので、音声の波形にしたがって溝の深さが変化するというもの。

これで音波の記録ができたわけで、次に針でこの溝をたどると、深さの変化が針に取り付けられた振動板の振動となって、元の音が再現されるというのがその全てで、つまり録音再生機だったわけ。

円筒はその後蝋管となり、さらに樹脂製へと改良され、音楽を録音したレコードへと発展して行くが、円筒形ではプレスによって多量に生産するのには不適当であることから、やがてその座を円盤レコードへ明け渡すことになる。

円盤状のレコードをつくったのはベルリナーで、1897年のこと。形状の相違もさることながら、音の記録を溝の深さ方向の変化ではなく、横振れにしたところがエジソン式とは異なっていた。盤面を観察すると、波形がそのまま溝のうねりとなって刻み付けられているのがよくわかる。そしてこの方式はLPレコードに至るまで、アナログ・レコードとして綿々と続くのである。

初期の録音は、全く電気に頼らないで行われていた。まだ真空管も発明されていなかったし、電話機がやっと実用化された時代なのだ。メガホンのようなラッパに向かって、文字どおり音楽を「吹き込む」と、パイプによってカッターの振動板に伝えられ、針を振動させてワックス(後年はラッカー)盤に刻み込む。溝の刻まれたワックス盤にメッキをかけて剥がした金属原盤でプレスすることによって、多量生産が可能となったのである。

表面素材にはSP時代にはシェラック、LPになってはビニール系が使われている。シェラックはかいがら虫の分泌物が主原料で、当時としては表面が平滑に仕上がることから採用されたが、ビニール系に比べれば針雑音が大きく、また割れやすいという欠点をもっている。

録音に使われるマイクロホン、真空管アンプ、電流駆動のカッターのシステムは1924年にベル研究所が開発し、1925年から27年頃には電気吹き込みが一般化した。再生器のほうもそれまでの機械式のいわゆる蓄音器に併せて電気蓄音器、略して電蓄が出現している。

そして次の変革がテープレコーダーの開発で、ドイツのAEGが1935年頃に実用化、1943年には、敗戦色濃厚のなかで世界初のステレオ録音まで行っている。戦後これを持ち帰った米国でも、1948年頃からは、一旦テープに録音してから編集、補正などを加えてカッティングする手法が取り入れられ、それまでの緊張感に満ちた、一発勝負に近い録音から、より完璧を期した録音ができるようになった。

SPレコードの回転数は78回転/分が主体で、演奏時間は30センチ盤で片面4分強しかない。25センチでは3分。初期の盤は片面だけに記録していたから1枚4分だったわけだ。付け加えると、SPはショートプレイではなくスタンダードプレイの略称であるが、欧米では78回転盤、シェラック盤と呼ばれるのが普通である。

1948年に米コロムビア社から発売になった33回転のLPレコードは片面で20分以上の演奏ができ、雑音が少なく、丈夫になった。更に1957年にはステレオ化された。V字形の音溝の両側面それぞれに、右の音、左の音を独立して録音する方法で、45/45方式と呼ばれている。

音が空気の振動であることは誰でも知っている。波形がどこまでも続くアナログ信号だ。その振動の波形をそのまま音溝に刻みつけたのがレコード盤で、音溝から取り出した信号をアンプで増幅してスピーカーから音を出すプロセスは、終始アナログ信号をそのままで扱ってきた。実はラジオやテレビの放送も、かつてはすべてアナログで送受信してきたのである。

しかし伝送の途中で入り込む雑音や歪も同じアナログ同士であることから、必要な音楽信号などと区別して取り除くことは困難。放送では衛星経由が日常的になったが、このような長距離伝送では必要な信号よりも雑音のほうがはるかに大きい、というよりも雑音の中から探し出すほうが難しいほどの状態になってしまう。

そこで伝送すべき信号をデジタル化すると、アナログの雑音などとの区別が可能になって、必要な信号だけを取り出すことができる。ウィーンからのニューイヤーコンサートを同時中継で視聴できるのも、携帯電話が日用雑貨化したのも、デジタル技術の恩恵で、当然のこととして、音楽媒体のレコードにも反映されて生まれたのがCDであり、映像を含めたDVDということになるわけだ。

CDによって、コンパクトで手軽、雑音のない媒体で、SP時代には考えられないような夥しい数の演奏を自由に選択、享受できる時代とはなったのだが、さて、技術の進歩と受け取る感動とは比例しているのだろうか?
 

ここまでがSPの位置づけを明確にするための前置きである。

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