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Road to France 〜永く苦しき71日〜

'97秋、日本代表がフランスワールドカップに向けて戦った最終予選の71日(9/7〜11/17)。
その間、共に苦しみながらも彼らを応援し続けた一人の大学生がいた。('98 10/1 著)

9/7 日本 6−3 ウズベキスタン IN国立

疑心と安心の発進


19時Kick Offの試合。千駄ヶ谷駅に12時ごろ到着。おにぎりを食べたり新聞を読みながら開門時間を待つ。
開門前にはまさに長蛇の列。すごい人だ。この試合のチケットはその後に比べれば難なく手に入れたのだが・・・
ホーム側自由席のほぼ真ん中、通路のやや前の方に席を取る。隣に座った、神戸から来たというヴィッセルサポーターの2人としゃべる。
スタンドは一周全て真っ青。Jリーグではスタジアム全てが同じチームのサポーターという事はない。それが代表戦のすごさである。
スタメン紹介、選手入場とサポーターはすさまじい盛り上がり。紙吹雪もすごい。
Kick Offの時、城とカズがボールに念を込めていた。見ている方にも気合いが入る。
ただ、この時にはこの先の戦いがあんなにもすさまじいものとなると予想できた人はいなかっただろう。
試合は前半終わって4−0。勝ちは間違い無い。僕は後半からは本田を投入し、そのまま逃げ切るのだと思っていた。
しかし、後半、僕の思った通りの展開にはならなかった。打ち合いのすえ、終わってみれば6−3。結果としては大量点による快勝。
問題点も多々あったが、勝利のためにか、この試合の反省点は大きく取り上げられる事はなかった。
僕自身、やや不満もあったが、緒戦の勝利には満足していた。

9/19 U.A.E. 0−0 日本 INアブダビ

○○に等しい引き分け


アブダビは暑かった(らしい)。見ていてもそれはわかった。結果は0−0。加茂監督は8試合すべて勝ちに行くと言っていたが、この試合は引き分け狙いにもみえた。
僕はホーム4勝アウェイ4分けで良いと思っていた。したがって落胆はしなかった。
しかし、試合内容としては不満も残った。勝ちに行けた試合だった。小村のオフサイドは不運としか言いようが無いが、勝てる試合だった。
「勝ちに等しい引き分け」という記事もあった。今思えば「負けに等しい引き分け」だった。
「勝ちに等しい」とは、負けそうな試合に分けた時に使うべき言葉である。
勝ち点2を逃した以上、これは「勝ちに等しい」事など無かった。しかし、まだ楽観視できる時期ではあった。

9/28 日本 1−2 韓国 IN国立

色褪せる芸術


TBSの中継前のレポーターはゴン中山だった。国立は超満員。ゴンが、あおる。
スタメン選手発表。「フォワード、30番。呂比須ワグナー!!」このアナウンスとともに国立に紙吹雪が舞う。
敵は永年日本のW杯への壁となってきた隣国、韓国。否応無しに盛り上がる。
この試合がBグループの行方を占う事は皆が予想した。そして、実際にこの試合によりこの後のこの2カ国は全く別の道をたどることになる。
フォーメーションはそれまでの3−5−2と違う4−4−2。試合はやや日本優勢。しかしながら0−0のまま前半終了。
1点を争う試合になってきた後半20分過ぎ、高正云からボールを奪った山口がドリブルで切り込む。
ボールが足元に入ったが、キーパーが前に出ているのを見てボールをすくいあげ、ループシュート。
国立は歓喜の渦となる。後のサッカー雑誌によると中田は拍手をしていたらしい。
まさしく芸術だった。W杯予選という状況、試合展開、どれを取っても感動的なシチュエーションだった。泣けた。
これで勝っていれば、まさしく伝説となりうるシュートだった。
しかし、その十数分後、その芸術は一気に色褪せて行く。
韓国の粘りサッカーに終了直前に一気に逆転される。アウェイ席一部を除き沈黙する国立。
そして試合終了。
芸術は、ただの1得点に過ぎなかった。

沈んだ気分のままバイトへ行った。

躍らされる者達

韓国戦の敗戦により、加茂監督を戦犯とする世論が広まる。
確かに、采配ミスは免れない。サッカーの世界では、勝っている時にディフェンスラインを変えるのはまずいとされている。
その意味では確かに秋田の投入はまずかったかもしれない。もう少し待つという手もあっただろう。
結果的に秋田と代えられた呂比須をマークしていた李敏成が決勝ゴールを決めた事も有り、加茂監督へのバッシングが強まった。
しかし、W杯予選で注目されているとはいえ、よくわからない人までもが専門家の意見に流されていた。
良い悪いの問題でなく、自分の意見を持たない素人にはあまり騒いで欲しくはなかった。
この日を境に加茂監督の立場は悪くなって行く。後になって思えば、この時監督を代えておくべきであったかもしれない。
協会だけは専門家の意見に"悪い意味で"躍らされていなかったのだろう。

10/4 カザフスタン 1−1 日本 INアルマトイ

戦い終えて。


この試合の後に加茂監督は更迭される。試合の次の日に朝起きて、驚いた。
いつそうなってもおかしくはないと思ってはいたが、あの協会はそのままにしそうな気がしていたからだ。

日本はその前からの悪い流れを断ち切れないまま試合に臨んでいた。秋田のゴールで先制はしていたが、ムードは悪かった。
僕だけではないと思うのだが、なんとなく"また"やられそうな気がするのである。
それでも試合は終了直前まで1−0のまま。「なんとなく」が当たらなかった事を喜んでいた時だった。
一瞬で、凍り付く。「なんとなく」はあたった。ズバレフに同点シュートを決められる。
あれでは4年前のドーハと同じである。教訓は、生かされていなかったのか。
ただ、その時と4年前が違ったのは、前回はそれで終わったが、今回はその"あと"があった事である。

試合後、川口が井原とトラブルを起こしたのは有名な話である。
彼はその後、それまでと違う"自分"に、それまでと違うGKになろうとした。
ドーハの時、ボールがゴールに入るのを見送るしかなかった松永成立から(監督問題が原因とはいえ)マリノスでレギュラーを奪った男。
僕の好きなGK2人は、時を違えて同じ経験をしたのかもしれない。
試合後の夜、選手は自然と集まったという。
「悲劇」と呼ばれた試合のダブるこの試合の後、変わったのは監督だけではなかったはずだ。

10/11 ウズベキスタン 1−1 日本 INタシケント

祈り


僕は、初参加のアジア大会で優勝していたこのウズベキスタンを、ダークホースと予想していた。
しかし、彼らはここまでそれほどの成績を残してはいなかった。
加茂監督の後を継いで監督となった岡田監督の初采配。1週間で何かが変わったのか。変わっていなかったのか。
スタメンに、"救世主"呂比須と"天才"中田はいなかった。変えようとされてはいたが、変わってはいなかった。
前半30分にウズベキスタンに先制されてから、60分間、試合は動かなかった。
後半7分に中田、呂比須を投入。終了前には秋田をFWにあげる。形などどうでもよかった。結果が大事なのだ。
ここで負けたら、本当にフランスは遠のく。パワープレーでも、点が欲しかった。
しかし、1点が遠い。日本のサポーターは、おそらく皆祈っていただろう。
引き分けに、勝ち点1に、祈りを込める。
川口は、負けたら引退を考えていたという。
試合後、岡田監督は「これで(フランスは)ひょっとしたらひょっとするのではと思う」といった。
井原のロングボール、呂比須の競り合い、カズの動き、キーパーのミス。
するするとゴールに導かれたボールは一筋の光明だった。
その瞬間、日本中の"祈り"は届いたと信じたい。
次の試合ではキャプテン井原は出場停止。しかし、UAEとの国立での直接対決。
勝てば、フランスが見えてくる。・・・はずだった。

最高の選択を

帰国後、監督は代わるものだと思っていた。
急とはいえ、加茂監督を更迭した時から動いていれば、岡田監督より実績のある監督を呼べたはずである。
岡田監督は、加茂監督についてきたコーチだ。Jリーグですら、監督経験はない。
彼より実力のある監督を雇う事は、当然の選択だったはずだ。
しかし、協会は動かなかった。「加茂で行けなければ私がやめる」といった会長もその座に座り続ける。
責任は、失敗した時にこそその意味を持つ。成功した時に責任者が目立つのでは意味が無い。
日本は、責任を必ず求める傾向にあるわりに、トップはその責任をまっとうしていない。
サッカーにはその国の政治、経済、文化、国民性などが出るといわれる。
日本の悪しき習慣は、サッカーにも受け継がれていたのか。

10/26 日本 1−1 U.A.E. IN国立

ジレンマ


4年前の10/28がドーハの悲劇。あの日を超えられるのか・・・。
井原が出場停止とはいえ、勝てば自力での出場権獲得が奪い返せるチャンス。
前の試合の最後から、勢いが上昇したと信じたかった。
開始3分の速効からの呂比須の先制弾。鮮やかなナックル。GKのミスも有り、早々と先制。
しかし、追加点が奪えない。韓国戦、カザフ戦の記憶が、嫌なムードを醸し出す。
ファウルからのフリーキックで同点とされる。嫌なムードはなおも続く。
勝たなければいけない試合、勝ちには行ったが、結果はついてこない。
W杯へは、こうも辛い道なのか。棘は、なおも鋭さを増す。

試合後、フーリガンがが選手のバスを襲う。卵が投げられる。責任は、選手だけのものではない。選手も、勝ちたい。
応援するしか出来ない事からのイライラを爆発させた一部のサポーターの気持ちも分かる。
しかし、僕は、あの手段には反対だ。痛みは、自分達も受けるべきである。
苦しいのは、すべての関係者、みな同じだったはずだ。

11/1 韓国 0−2 日本 INソウル

遊び心


千葉大祭の初日。3つのサークルに入っているため、多忙(?)な僕は午前中だけ手伝い、早々と西千葉を後にする。
アルタビジョンではUAE戦後にトラブルがあったせいか、韓国戦は放送しないとの事。
しかし、集まった人たちは他のところへぞろぞろ移動。放送される場所に集う。
勝ちを疑っていたわけではないが、僕は負けた場合のトラブルを恐れ、自宅での観戦を選ぶ。
ダッシュで家に帰る。この時間に地下鉄に乗っていた人たちは、この2ヶ月は僕らと同じストレスを受けてはいなかっただろう。
とりあえず、ぎりぎりに家についた。もちろん「JO 18」のシャツを着ながら応援。

名波は、遊び心を持とうとしたという。気楽にいこうとした。開き直ったとの事だ。
加茂監督は、4試合で唯一韓国戦にだけスタメンから4−4−2を採用した。本田、山口をダブルボランチに置く箱型の中盤。
この試合、韓国は中田、名波を押え込む。ハードマークでパスの出元を押さえる。
岡田監督は、その教訓からか、前のUAE戦から4−4−2を採用。山口(本田)のワンボランチ、トップ下に北澤を置くダイヤモンド型。
この事により、中田、名波の両パサーは以前よりも動きやすくなる。
韓国が予選突破を決めていたとはいえ、快勝といえる、久々にスカッとするゲームだった。
希望は、まだ残っていた。

出場停止と試合に出れないスーパーサブ

僕は、代表ではマリノスの選手以外で一番好きなのは岡野である。
中田や名波のパスもすごいが、岡野の足はそれこそ武器である。彼が出るだけでサポーターがすさまじくわく。
テクニック以外の魅力を持っているからだ。足の遅い僕にとっては、まさにあこがれである。
岡野は、スタメンでは出してもらえない。本当はフルで出て欲しいが、代表ではほぼ無理である。
予選前は、アウェイでリードしたりしてスペースができたら投入されると思っていた。
しかし、彼の出番はなかった。ソウルでの韓国戦のあと、カズと呂比須の出場停止により、城と岡野の出番が回ってくると思われた。
だが、僕は、当時Jリーグで調子の良かった中山の復帰を希望していた。
岡野の出番を奪うのはわかっていたが、決定力はゴンのほうがある。
結局中山と高木が代表復帰。岡野はサブにすら入れなくなる。彼は、本当にくさったはずである。
予選期間中彼は試合に出られない小島らと時間を共にし、練習に励んだという。
僕は、岡野の走る姿を見たかった。

11/6 日本 5−1 カザフスタン IN国立

最後での爆発


UAEのつまづきにより、この試合での勝ちは3位決定戦を意味している。相手は望みすらないカザフスタン。
復帰した中山は、動きが固い。幾度となく決定機を外す。それでも、日本の攻撃は抜群に良かった。秋田が先制ゴール。
名並、相馬の左サイドがきれいに機能する。前半終了間際、ゴンがセットプレーからから彼らしいゴールをやっと決める。
スーパーサブと呼ばれた4年前の2倍の32の番号のユニフォームの下には、11のユニフォームがあった。
意気消沈したカザフスタンを前に、圧勝。加茂監督更迭となった試合の相手に、借りを返した。

11/16 アジア第3代表決定戦 イラン 2−3 日本(ゴールデンゴール) INジョホールバル

雨中の国立前


マレーシアまでは行けなかった。しかし、家で見ているのは嫌だった。
中央アジア遠征の時とは逆で、負ける気はしなかった。多くのサポーターと感動を分かち合いたかった。
もちろんバイトは休んだ。「サッカーは全てに優先する」ぼくのポリシーである。
延長の可能性を感じていたのか、180分のテープを買い、録画予約をする。
カザフ戦の放送があったという有楽町に行ってみるが、放送の気配無し。
新宿・アルタビジョンも放送無し。新宿についたころから雨がぱらつき始める。
有楽町、新宿が駄目だったら国立に行く事に決めていた。
前々から、スタジアムを解放して欲しいと切に願っていたが、それは無理だった。
しかし、日本サッカーのメッカ、代々木国立競技場に行けば、誰かいると思っていた。
案の定、駅前でレプリカユニフォームを来た人たちに出会う。話を聞くと、インターネットで知り合ったとのこと。
日本青年館前の公園ではテレビを持ってきた人たちや、それを見に来た人がたくさんいた。
しかし、競技場の青山門(だったと思う)前には、プロジェクターが有り、多くの人が集まっていた。
そこで見る事になる。開始前から盛り上がる。試合が始まれば、自由席のサポーターそのままに応援する。
1点目のゴンゴールにわく。雨の中、大盛り上がり。
ハーフタイムにマスコミがインタビューをしている。サポーターは皆テンション高い。
後半、アジジの同点ゴール、ダエイの逆転弾。静まりつつもすぐに頑張って応援。
途中から後ろの方でポータブルテレビで見る。数人でかたまる。
僕は、負ける気がしなかった。2−1で負けていて、相手はイラン。ウズベクやカザフよりも怖い相手だ。それでも、負ける気はしなかった。
中山とカズの交代の時には、自分に指を差すカズに「お前だよ!」の声が飛ぶ。
城の同点弾が決まる。知らない人とも抱き合って喜ぶ。
延長からはついに岡野登場。イランGKの遅延行為にブーイング。城の怪我に励ましの"城彰二"コール。
(ここら辺から、あまりに興奮しすぎて記憶が少しあやふやになってくる。テレビが見にくかったせいもあるが。)
岡野が外すたびにため息。「打て〜〜!!!!!」と何度も叫ぶ。
そして、延長後半14分。PK戦も考えられた時間帯。ついに岡野が決める。
歓喜の渦。皆が声を上げ、喜ぶ。1000人以上集まっていた。車でクラクションを鳴らしに来る人もいる。
大雨の中、その場にいた何人かとタクシーで渋谷へ。飲み屋で祝勝会。その場でも知り合った人とも一緒に飲む。
そして始発で帰る。早朝のテレビでゴールシーンを見る。バイト先に電話し、スポーツ新聞を確保。
寝ないまま学校へ。こうして最高の一夜が明けた。

伝説の夜

サウジのほうがいいのではと言われていた。イランはアジア最高のツートップ、ダエイとアジジがいる。
前日、アジジが怪我したとの報道。しかし、これは情報操作ではないかとの見解が大。

確かに日本人が多く行くとは聞いていた。しかし、実際のジョホールバルは、ものすごかった。
開催地による有利・不利をなくすためのセントラル方式。しかし、マレーシアは、日本のホームとなった。
青一色に染まるラルキンスタジアム。鳴り響く太鼓、応援の"ニッポン"コール。
アジジは、何とも無かったようだ。
中田のスルーパスからの中山の先制点。こぼれだまを押し込むアジジ。ダエイの強力ヘッドで逆点。
中田の難しめのセンタリングにあわせた城の同点ヘッド。そして、延長へ。
イランのGKアベドザデの遅延行為には何度もやきもきさせられたが、彼も、怪我をし、必死だった。
延長後半14分にそれまで外し続けていた岡野が、決める。
中田のドリブルシュート。GKがはじいたところにスライディングでつめる岡野。
半世紀にわたる挑戦。次の2002年は地元開催。予選免除。
もし今回出られなければ、本戦出場が一度も無いままの開催ホスト国となる異例の事態。
中央アジア遠征では途中、監督交代もあった。予選突破は何度も遠のいた。
サポーターのイライラも爆発する。W杯への道は、こうも遠いものなのか。
しかし、彼らは、我々は、その扉をこじ開けた。その夜は伝説となった。

59/869

前述の通り、僕は岡野が好きである。彼の快足は、見ているものを興奮させる何かがある。
彼は、この予選、代表に選ばれながら、出番が来なかった。
予選8試合720分間、出られなかった。イラン戦も、ずっと出番はなかった。
先発でカズと中山、それに代えて城と呂比須。1試合でこれだけFWを使うのも珍しい。
出番が無いかとも思われた。延長の前、岡田監督は腕組みをして歩いていた。
そして、何かを決めたようだった。
岡野が呼ばれる。彼は、緊張を紛らわすために走ったという。
延長のあいだ、幾度と無くチャンスを逃がす。頭を抱える岡田監督。ため息のサポーター。
仕方ないといえば、仕方ない。ここまでただの1分も出場機会を与えられず、いきなりの大舞台。
「負けたら日本へ帰れないと思った」
延長ももう終わろうかという時、指令塔中田が自分で決めに行く。グラウンダーのシュートを、GKは怪我している左手ではじく。
そして、こぼれたボールの前には、彼がいた。

エピローグ

永い道のりだった。つらい2ヶ月だった。地獄を垣間見、神を疑う。
イラン戦の視聴率は50%近く。時間帯を考えれば異例の数字である。
その2ヶ月は、僕にとってもっとも充実していた2ヶ月だった。
毎日頭の中はサッカーでいっぱい。夢にまで出てきた。胃が痛んだ。ストレスは、とてつもなく溜まった。
伝説となった夜は、僕にとって人生で最もうれしかった事のNo.1となった。
日本がW杯で優勝する日まで、そのNo.1の座をあけ渡す事はないだろう。
夢の、初出場でのW杯は3試合で得点1、失点4。勝ち点0。キング・カズは代表落ちをする。エースの城は点を決められない。
No.1の座は、僕が死ぬまであと数十年守られてしまうのだろうか?
また永い道のりが始まる。あの夜が、No.2になる日を夢見て。


参考文献:Sports Graphic Number 432号(文芸春秋)、金子達仁「決戦前夜」(新潮社) Home