2004年12月の名馬


 
トキノミノル

トキノミノル

1948 - 1951

牡  鹿毛

父:*セフト
母:第弐タイランツクヰーン

写真はトキノミノル銅像
(東京競馬場内)

5代血統表




以前「映画で見る競馬」で 『幻の馬』という映画を取り上げましたが, この中で「トキノミノルの銅像が行方不明」と書きました.
2004年10月に東京競馬場のパドック裏に行ったところ,おお,いるじゃありませんか,トキノミノルが. 以前はパドックから見える位置にありましたが,現在は少し後ろに下がった場所になっています.
久しぶりにお目にかかったトキノミノルについて,ちょっと調べてみました.

トキノミノルは1948(昭和23)年に北海道三石の本桐牧場で生まれました.
1950年7月に函館の新馬戦で8馬身差の圧勝(おまけにレコード勝ち)をしていますが, 実はこのときの登録名はトキノミノルではなく「パーフェクト」でした.
その後馬主の永田雅一氏(大映社長)が「時の実る時期が来た」と,「トキノミノル」と改名したと伝えられています.

その後もトキノミノルは無敗のまま朝日杯3歳S(当時)や皐月賞を制して9戦9勝となり, いよいよダービーを迎えることになりました.
しかし,皐月賞後持病の膝が悪くなって満足な調教ができなかった上に, ダービー直前には裂蹄(れってい,乾燥などのために蹄が割れる病気)を発症, 出走を断念してもおかしくない状態に陥ってしまいましたが, 蹄と蹄鉄の間にフェルトを挟むという応急処置で出走し,レコード勝ちで無敗のダービー馬となりました.
しかし,その無理がたたったのか,破傷風を発症してダービーのわずか17日後に死亡しました.

無事なら菊花賞も制してセントライト以来の三冠馬になっていたかもしれないトキノミノルの銅像は, 出走かなわなかった菊花賞が行われる京都競馬場の方向(西)を向いています.

ついでにトリビアネタをもう一つ.
銅像の台座部分にトキノミノルの戦績や生産地などが記されていますが, 生産牧場の名前が「(ほん)桐牧場」ではなく 「(き)桐牧場」になっています.
これはもちろん誤りなんですが,建立当時から50年以上たってもそのままというのは, 誰も気がつかないのか,なにか理由があって直せないのか...



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