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ヒラリー・スワンクがジェラードを選んだ訳
2007
年12月26日
Siobhan Synnot
ヒラリー・スワンクはそこらによくいるスターではない。彼女は『ミリオン・ダラー・ベイビー』のトレーニングのおかげでパンチを食らわすことができ、無料
の化粧品を手に入れる機会があればバッグに入れるし、メイクなしの役でオスカーを受賞している。
実際、彼女は可愛い女の子の役を得るのだろうかと聞かれることにうんざりしている。
「たくさんあるわよ」と目をぎょろりとさせてうめいた。
しかし、今33歳の彼女は、ロマンティック・コメディ『P.S. アイ・ラヴ・ユー』のために魅力的になることにした。
これは『ミリオン・ダラー・ベイビー』でのボクサーや『ボーイズ・ドント・クライ』の不機嫌なドレッサーを含めた彼女のいつもの役とはかけ離れている。
今回は、魅力的な髪型とセクシーなランジェリーで、『セックス・イン・ザ・シティ』のすべてを得る。
そして、彼女はこの役の変化は彼女の人生でのより大きな変化の一部だと明かした。
「わたしは主にドラマに出ているの、良いロマンティック・コメディはきわめて稀だから。女の子はたいてい共謀者で、それはわたしには退屈なの。だから、こ
れまで出たいと思う素敵なのを見つけられなかったのよ」
しかし、ヒラリーはあんまり変わっていない。ロマンティック・コメディですら、お涙頂戴の瞬間がある。ヒラリーはいつもと違ってまあなんとか生き生きとし
ているが、スクリーン上の夫であるジェラード・バトラーはオープニング・タイトルをやっと生き延びるのだ。
ヒラリーは、彼が根性と血みどろの『300』を作る前にその役にスコットランド人を選び出していた。
「彼はあの役とはとても違うわ。まず第一に、彼はわたしに向かって激しく叫んでわたしの髪をなびかせたりはしないもの」と彼女は笑う。
「彼はとても愉快で、とても魅力的よ・・・」
しかし、皮肉にもバトラーは彼女のもう一つの映画がやり損なったことに成功したーースクリーン上の元ボクシング・チャンピオンをノックアウトするのだ。
ある場面で、彼はセクシーなストリップをし、サスペンダーが家具にひっかかってしまった。
「わたしはそれがカタパルトみたいに伸びるのが見えたんだけど、ジェラードは見えなかったよ」とスターは思い出を語る。
ジェラードのサスペンダーがはじけると、金属の留め金がヒラリーの額めがけてまともに飛んでいった。
「わたしがそれを感じる前に、ジェリーの顔つきで何かあったとわかったわーー彼はわたしよりも血の気が引いていたの。
「ボクシング映画を全編やってわたしの顔は無傷だったのに、ロマンティック・コメディで縫うとはね」
ヒラリーが回復するまで撮影は数日中止になり、小さな傷が残り、彼女の主演男優を罪の意識で苦しめた。
「かれはいつもわたしにチョコレートや花を贈ってくれたわ。わたしがワッフルが好きだと知ると、ワッフル・メーカーも送ってくれたの」
しかしそれでスコットランド人の俳優たちに嫌気がさしたりはしなかったーー彼女はすでに他のかっこいいスコットランド人に目をつけていた。
「一緒に仕事をしたい人がたくさんいるの。でも、トップ3はユアン・マクレガー、メリル・ストリープ、ヴィゴ・モーテンセンよ」
ヒラリーが人間関係のドラマに取り組むことに熱心なもう一つの理由は、彼女が最近自らの心痛を味わったからである。
昨年、夫のチャド・ロウと離婚し、別れたのは彼の麻薬との長い戦いのせいだと公然と批難した。
彼女は別れた後少しガードを緩めて、親しい友人から援助を受けることを学んだと言う。
「友だちがいなかったら去年は絶対に切り抜けられなかったわ。助けが必要だって言うことは難しかったんだけど、やってみたら、ほっとしたわ」
別れて以来、ヒラリーは彼女のエージェントのジョン・キャムピシと新たな関係を始めていて、こういう注目を集める職業に耐えるには強い男でないとだめだ、
と言う。
「パートナーが成功を成し遂げ、力を得ることを認めるには本当に安定していてしっかりした人でないとだめだと思う」
彼女は今、赤ん坊や結婚のことも考えている。
「確かに家庭生活を望んでいるわ。幼い頃から子供が欲しかったの。母であることはわたしに起きる最も重大なことでしょうし、それはわたしの進行中の夢な
の」
過去には、映画はヒラリーにとり女優になるずっと以前から力の元だった。
彼女が若い頃両親が離婚したとき、彼女が孤独感に対処する役に立った映画の中には『エレファントマン』『奇跡の人』『E.T.』があった。
「こういったキャラクターたちは、わたしが経験した感情や情緒を経験しているとわかって、こうした映画がもっと本を読んだり映画を見たりしたいと思わせた
のよ」
ヒラリー自身の貧困から富への物語もまたすばらしい映画となるだろう。
ワシントン州の移動住宅パークで育った彼女は、一部の学校の仲間が避け始めたとき、ほんの8歳だった。明らかに彼らの親はろくでもない遊び友達を認めな
かったのだ。孤独で小さな女の子は、初め宇宙飛行士になることを夢見たが、学校の寸劇をやったときに新しくわくわくすることを発見した。9歳で初めて学校
の劇『ジャングル・ブック』でモーグリの役を演じて主演した。
彼女の母は支持してくれたけれども、ヒラリーが女優になりたいと言うことを話すと実際的だった。
「ママはわたしを信じてくれたけど、『いいわよ、ハリウッドに引っ越しましょう』とは言わなかったわ」とヒラリーは笑う。「それは『地域の劇場を始めま
しょう』だったの。わたしの心に従うべきだけど、それを見を捧げる必要があるっていうのが母の言い分だったのよ」
両親が離婚した後、ヒラリーと母はハリウッドに引っ越した。もっとも、その旅費を捻出するのもやっとだったのだが。
「わたしたちは75
[ドル]しか持っていなかったの。わたしたちは行く当ても無いので、数週間車から出て暮らした。でも、わたしにとっては素晴らしい大冒険だった」とヒラ
リーは回想する。
「わたしはこれを自分の夢を追う機会だと思って、わたしを信じてくれたことでママにとても感謝しているわ」
初めヒラリーは、1994年の『ベストキッド4』で大躍進する前、『バフィ・ザ・ヴァンパイア・スレイヤー』のようなテレビ番組で小さな役を得た。
それから25歳で、『ビバリーヒルズ青春白書』の役を降りてハリウッドを揺るがした後、カムバックして『ボーイズ・ドント・クライ』での役でオスカーを受
賞した。
「わたしのオスカーは棚に置いてあるわ。そのために特別な棚はもっていないの、でも今は特別だと思うわ」と彼女はにんまりした。
彼女のスターの地位と高額の給料にも関わらず、ヒラリーは切り詰めて節約する衝動をまだ振り払えないでいる。
今なお割り引きクーポンを切り取り、大量に買う。そして、ホテルの部屋のお洒落な化粧品は彼女の英国旅行の終わりにスーツケースに行くことになる。
「多分わたしの最悪の習慣ね。嫌になるわ」と彼女は認める。
ヒラリーはまた自分の映画の製作を始めてから、自分の作品をもっと好きなようにできるし、次の試練ーー飛行を学ぶことを楽しみにしている。
最初の女性飛行士アメリア・エアハートの伝記映画の撮影を始める準備をしているので、じきに訓練を受け始める。
「彼女の人生と成し遂げたことと、自分を売り込む才能を注視しているの」と、1937年に太平洋上で行方不明になった初期の飛行かのことをヒラリーは述べ
た。
この女優は必要な背景的情報を得るために、たくさんの本や写真、そしていくつかのドキュメンタリーまで持っている。しかし、その映画は有名で時には論争を
呼ぶ飛行家の単なるプロフィールには留まらないだろう。
ヒラリーは言う。「彼女は豊かではなかったし、飛行はお金がかかるから彼女の自己売り込みは批判されたけど、彼女の社会的重要性と女性に投票を勧めたとい
う事実で、素晴らしいロール・モデルよ」
おそらく、ヒラリーはその特別な棚を広げ始めなくてはならないだろう。
「母親であることはわたしに起きる最も重要なことでしょう」