スカンディナヴィア 一周の旅

           (『ヨーロッパ鉄道大旅行』長 真弓著 晶文社刊から) 

  ノルウェー、スウェーデン、デンマークの3国がスカンディナヴィア。海と陸地が複雑に入り組んだ独特の地形に、鉄道はそれなりに対応し、ファンの興味をそそる仕掛けになっている。

オスローからベルゲンへ

 ノルウェーの首都オスローの人口は約45万。路面電車は縮小されたが健在。地下鉄も8路線が活躍中で、電圧が違うため、中心のストールティンゲット駅から西行きが4路線、東行きが4路線と別れていて直通しない。地下を走るのは市の中心部だけである。市の北西部にあるスキー場ホルメンコッレン行きの路線には、1951年製ニス塗り木造電車が使われていて名物にもなっていたが、1995年からは新型電車に置き換えられてしまった。

 落ち着いた美しい町で、ストールティンゲット駅付近から西へ向かう通り、カールヨハンスガーテから王宮や、路面電車で行けるフログネル公園がすばらしい。市庁舎前からフィヨルドを10分ほどのビグドイ半島には、コンチキ号博物館、フラム号博物館、ヴァイキング船博物館、そして民族博物館があり、それぞれにおもしろいと思う。

 ノルウェーは国土の8割以上が山岳地帯で、そのうえ海岸線は内陸深く食い込んだフィヨールドだらけで鉄道の建設は容易ではないが、一方、人口10万を越える都市はオスロー、ベルゲン、トロンハイムだけとあって、鉄道網もシンプルに、3都市間の路線を主体に、あとは隣のスウェーデンとの連絡を考えればいいだけみたいなもの。実際にはもっと健気に路線をはりめぐらしている。

 第2の都市、ベルゲンは人口20万を越える美しい港町で、オスローとを結ぶベルゲン線の延長は470km7時間ほど。4〜5往復の直通列車がある。

 最高地点の標高は1301mもあり、フィンセ駅の標高1222mは北欧の駅最高ということになっている。記念に途中下車してみたが寒い。次の列車まで3時間半もあり、併設されているロッジで温かい食事などとりながら待った。ようやくやってきた列車に乗り込んだのは5人、降りたのはなんと1人だけだった。

 あたりは樹木の生えない高原に、7月というのに残雪、湖には氷が浮いており、晴天だったが気温は10度。トンネル200に橋梁300、雪よけが28キロ分も断続して設置されているために、車窓をゆっくり楽しめないのが旅行者にとっては難点といえようか。使われている電気機関車は4440kWの強力機だ。

  ベルゲン寄りに少し下がった標高867mのミュルダールと、フィヨールドの奥にあるフロム(標高2メートル)とを結ぶ延長20kmのフロム線が出ていて、この標高差をかせぐため線路はジグザグコースをたどり、最大55‰の勾配は山岳鉄道そのものだ。途中、線路にせまるヒョース滝を見物するために列車は停車し、満員の客がぞろぞろと下車、そして乗車。列車は遅れほうだいに遅れるが別に気にする様子もない。

 観光名所の一つとなっていて,所要1時間ほどのこの路線に乗ることだけを目的に訪れるツアー客も多く、長編成の電車は超満員。電車不足のためスウェーデン・ストックホルムの通勤電車を借り入れるしまつで、車内にはストックホルムの路線図があったりしてなんともちぐはぐである。乗降口の位置が高く、フロムでは踏み台がないと乗降できないのであった。

 それにしてはフロムというところは山とフィヨールドに囲まれ、駅と船着場とホテルが1軒あるだけで、ガソリンスタンドもないというド田舎なのである。なんのためにこの困難な鉄道を建設したのだろうと、ふと思ってしまう。そのたった1軒のホテルを予約しておいたのに受けていないという。スッタモンダの末、車で15分も走った隣村のホテルを手配してもらい、ようやく一息ついたのであった。眼前のソグネフィヨルドは、奥深さでは最長で200kmもあるという。

 ベルゲンの駅はさすがに賑わっていた。展望用のケーブルカーとロープウェイがあって街の様子を一望でき、海に囲まれた港町であることを実感させてくれる。港に面してドイツ風の木造建築が並ぶ1画もあり、市場で買ったゆでた小海老をつまみながら歩く。

北の終着駅ボーデへ

 第3の都市トロンハイムへ鉄道で行くのには、いったんオスローに戻らねばならず、戻るのに7時間,オスロー〜トロンハイムに更に7時間もかかる。というわけでヒコーキでパスすればなんと1時間弱。直行しないものも含めると1日8便も飛んでいて、交通の主力が鉄道ではないことがよくわかる。ただしベルゲンもトロンハイムも空港連絡バスに450分ほどもかかるが、これは滑走路をつくれるような平地が近くにないためで、ここでも地形の厳しさがみてとれるのだ。

 トロンハイムはフィヨールドに面した人口15万ほどのまちだが、鉄道はオスローとを結ぶ路線が2系統、山越えでスウェーデンとを結ぶ路線、そして北のボーデへの路線と重要な接点である。町には郊外への路面電車も1系統が走っている。

 いたるところで水力発電ができるため電力が豊富な国ではあるものの、鉄道が電化されているのはここまで。ディーゼル機関車に引かれて、北の終着駅ボーデ行きは昼行と夜行が1本ずつの発車だ。機関車はときには重連となる。ほぼ内陸部を通っての11時間の長旅だけれど、わずかにフィヨールド近くに小さな駅がポツンポツンとあるだけで、駅の周辺にもなにもなく、乗降客はそのままバスや車に乗り継ぐ。

 当日は雨。列車はしばらくフィヨールド沿いに走ってから内陸部に入る。湖がつぎつぎに現れるが、地図を頭に入れていないと湖とフィヨールドの区別は判然としない。残雪や氷があれば標高が高く、したがってフィヨールドではないと知れる。路線にはかなりの標高差があり、登り勾配ではスピードもがっくり落ちる。高地には樹木も生えない。低ければ白樺の林となるのではあるが、ひょろひょろとケチな木々が多く、気象の厳しさをみせつけてくれるのだ。

 天候が悪いため一層寒々とした景色の中、列車は警笛を鳴らしスピードを落とした。北極圏に突入の合図で、外を見ると地球儀状の標識が建っていた。並行した道路には休憩所の建物もあり、観光のポイントにもなっているのだろう。

 若いアメリカの極楽トンボ達が、車販にドルで払えるかなどと聞いている。世界中どこでもアメリカと同じと信じている人種だから違ったところがあるとすぐに国際問題にまで発展させてしまうのに違いない。駅に近づくと、ノルウェー語と英語で駅名、乗降する側乗り継ぎのアナウンスがある。英語のアナウンスがあるのはノルウェーだけ。ごくフツーの人も英語を話し、3国のなかでも最も普及率が高いようだ。

 長距離列車には子供連れ用の客車が連結されている。半車が親達の座席で、残りはすべり台などの遊戯施設になっている。長時間の旅行では子や親もさることながら、まわりの乗客も迷惑するのだから、隔離できるのは3者にとってまことにハッピーである。

 乗った列車には、たまたまドイツの鉄道趣味団体所有の食堂車が連結されていた。食堂車に陣取ってスカンディナヴィアをまわろうというツアーなのだそうで、昼は飲み食いしながらの移動、夜はホテルに泊まって、翌日はまた別の列車に連結するという。これはたまらない鉄道の旅である。次の企画には参加させてもらうことにしよう。

北極圏の鉄路

 国内を通って鉄道で行ける最北端の駅ボーデに着いた。人口3万強の美しい港町である。ここから約180km北のナルヴィークが最北端の駅ではあるが、ノルウェーの鉄道はつながっていない。スウェーデン・キールナで産する鉄鉱石の積出し港としてスウェーデンの鉄道が乗り入れているだけだ。

 駅の近くで写真を撮っていたら、入替え機関車の運転士が手招きしている。近寄って行ったら、時間があるのなら乗らないかという願ってもない申し出で、ことわるはずがない。3軸ディーゼル機の室内は意外に広く、客車や貨車の入替えを一としきり行ったところでこれでフィニッシュといいながら機関庫に戻る。

 庫内にあった大型機の写真を撮りたいといったら、なんとわざわざエンジンを始動して引き出してくれ、終わると庫内に戻し扉を閉めて、庫のかたわらに止めてあった自分のクルマで駅まで送ってくれるという大サービス。このボーデ育ち鉄道大好き運転士にはただ感謝。やっぱりイナカはイイ。

 ボーデからナルヴィークへはバス、船、または空路を利用することになるが、1時間弱で着けるヒコーキにした。ヒコーキは日本でも見る20人乗りのデハビラント・ツインオターで、なんと乗客は3人。そのかわりに積み荷の大量の新聞が荷物室には入りきれず、座席を4席分も占拠しているのであった。

 ナルヴィークの人口は2万弱。不凍港で鉱石積出しの施設が目につき、長編成の運搬列車がかなりの頻度で往復していて、今世紀初頭から掘り続けている鉱山の規模の大きさを実感する。スウェーデンの強力な専用機関車は、車長が35mを越える超大型機で有名だ。

 ところが人間用は、ストックホルムへの列車はノルトピレン(北の矢、寝台はキールナから)のほかに、ボーデン乗り継ぎの列車がもう1本だけとまことに寂しい。このほかはノルウェーのローカル電車が1両、思い出したように動いている。

 列車牽引の電気機関車、Rcシリーズはスウェーデンの顔みたいな存在で、1967年から増備が続き360両が活躍中。ヨーロッパのほか、アメリカでも同機を基本としたものをGM社がライセンス生産し、北東回廊で好成績をあげている。従来のオレンジに白帯丸窓は好きなデザインだったのだが、なぜか玩具的な塗り分けのものが増えた。

 キールナまでの車窓は左側(北側)が断然すばらしい。ロンバックフィヨールドを俯瞰し、国境を越えるとトゥーネ湖である。キールナまで3時間、途中駅ではけっこう乗降客がある。北極圏の自然探訪のバックパッカー達で、背負ったままで乗降口につかえたりして時間がかかり、20分遅れでキールナについた。

 キールナは鉄鉱石のまちで人口3万弱。駅の北側が美しく静かな住宅街、南側が鉱山施設となっている。築堤の上を長い運搬車が移動しているのを眺めていたら、いきなり鹿が道路を横切ったのには驚いた。

ストックホルム、イェーテボリへの旅

 キールナ175分発のノルトピレンに乗る。1等寝台シングルで申し込み、追加料金は13000円ほど。寝台車の2人個室はシャワー、トイレつきで上段はたたまれており、ビジネスホテルのミニ判といったところ。紙パックのミネラルウォーターがセットされていた。座席のカバーをはがして枕をセットするとベッドになり、つまりはベッドメイク済みなのであった。食堂もカフェテリア形式のセルフサービスと省力化がはかられていて、味はよくても味気ない。

 室内に暖房は入ってはいるのだけれど少々寒く、検札に来た女性の車掌にいったら、ゴチャゴチャいじったあげく、これはオートマチックであるでおしまい。外は白樺の林で、一向に暗くならないがブラインドを降ろして寝ることにする。線路の状態はいいようだ。朝シャンまですませ、1044分定刻にストックホルムに滑り込んだ。

 スウェーデンは、ノルウェーとの国境地帯は山岳地帯となっているが、ボスニア湾側の地形にはさしたる起伏はなく、ほとんどが森林地帯。そして南部は平野となって農、商、工業が発達し、人口も密集し鉄道も活躍している。北との連絡は、ノルトピレンが通ってきた路線のほかに、内陸部にもう1本あるが運休となっていて、時に夏期だけ再開されるようだが、今後については予断できない。

 列車本数の多い幹線はストックホルム〜イェーテボリ、〜マルメ、〜オスロー、そしてオスロー〜イェーテボリ〜マルメといったところ。前2路線にはX2000が走る。ついでに記すとスカンディナヴィア3国間ではパスポートコントロールはなく、言葉(どうせ分からないが)と通貨だけが変わる。

 ストックホルム、イェーテボリ間には古くからのイェータ運河が通じている。内陸を湖から湖を結びながら途中65カ所の水門を設け、海抜91.5mまで水面を上げて通ろうというもので、観光船やヨットなどで結構にぎわっている。一方、鉄道のほうも幹線で、地図をみると両者が交差している地点がある。X2000と帆船が交差する絵!と行ってみたら、線路は水面上ぎりぎりのところを通っていて船舶通過のときは撥ね上げ、どちらか一方しか通れないのであった。

 人間が渡るにはロープ式?渡し舟を利用する。岸に渡したロープを手繰って舟を移動するのである。人のよさそうなオジサンが日がなロープを手繰っていて、チップでもと差し出したが断固受けてもらえなかった。

 鉄道と運河が到着するこの国第2の都市イェーテボリからは、カテガット海峡を挟んでデンマークのフレゼリグスハウンへのフェリーが出ていて、ユーレイルパス利用は50%引き。

デンマーク

 フレゼリグスハウンまでステーナラインの船で3時間半ほど。車の航送もしており、船内の免税店は大賑わいである。フレズリグスハウンはユーラン半島の北端のまちで人口3.5万ほど。首都コペンハーゲン(クベンハウン)とを、ご自慢のIC3型によるインターシティ列車が結んでいる。

 IC3は1990年に登場して以来着実にその数を増し、全国を走りまわっている。3車体連接のディーゼルカーで、全長59m。最高時速180kmを出すことができる。定員は138名で、最大5ユニットまでの列車編成が可能ということだ。前面の周囲に黒のゴム幌を巻いた印象は強烈で、赤のドアを配した白い車体とマッチしてすばらしいデザインに仕上がり、さすがはデンマークである。

 幌の内側が内開きの、運転台組み込みのドアとなっていて、開くと運転台は側壁に収納されて貫通路となる仕組み。しかし乗客の通行はさせず、車販と車掌だけがその都度ドアを開けて通っていた。比較的短いユニットで構成したのには理由がある。海峡の多いこの国では列車の航送が必要だが、長い列車もユニットに分割することにより、それぞれが自走して、船への積み込みが簡単に行えるのである。

 3車体の内の一端の半車をサロンと称してここが1等である。ゆったりとしたソファーが並べられ、コーヒー、紅茶、ミネラルウォターが一端にセットしてあり自由に飲める。食堂はなく、車販が対応している。2等の座席も日本のグリーン席並みといえそうだ。

 全席予約制で、予約区間は座席ごとに電光表示されていて、表示がなければ車内で指定席とすることもできる。車掌がテレビのリモコンよろしく操作するとそのむね表示され、このあたりなかなかうまくできている。始発駅で予約カードを差し込むなどの手間を省き、なおかつ、途中でも流動的に対応できるのだから、ヨーロッパでも最も進んだ方式といえるだろう。

 スウェーデンにも輸出され、Y2クラスとしてマルメを中心に、オランダの国旗みたいなデザインで活躍しているし、イスラエル、スペインにも輸出されている。

 コペンハーゲンへのICは頻発している。フレゼリグスハウンを発車した列車は牧場、農場の中をひた走る。平らな国だから車窓の変化には乏しい。遮音はディーゼル車としてはかなりいいが、やはりかすかなエンジン音は振動と共に伝わってくる。南下し4時間弱でフレゼリシア。ここでエスビャオからの列車を併結することもあり、長い橋を渡ってフュン島へ、オーデンセに停車する。

 この国第3の、人口17万というオーデンセはアンデルセンの生地で、記念館、幼年時代の家などが見どころだが、町にも独特の雰囲気があり、カワイイ!と声をあげる人もいそうだ。駅裏がバス・ターミナルになっているが、路線の多さには圧倒されるだろう。

 少し離れて鉄道博物館があり、扇形庫を利用している。収容車両数は多くはないが変化に富んでいて、いかにもデンマークらしく展示には工夫が凝らされ、明るく美しい。大模型レイアウトや、蝋人形を配したかつての駅頭風景など楽しいコーナーもあり、マニアックな機関車コレクションではないのが特長といえそう。子供たちが大勢で機関車の写生にいそしんでいた。

 コペンハーゲンのあるシェラン島との間にはスドーレベルト(海峡)が横たわり、訪問当時、線路はつながっていなかった。ニューボルとコルゼール間はフェリーでの航送となり、16km、積み込みなどの時間を加え1時間の航海だった。1996年にはトンネルと橋で結ばれることになっている。同時に電化区間も延びてきていて、IC3と同じコンセプトの4車体連接、ユニット長76.5mのER型電車に置きかわる。

 海峡を渡ると1時間強でコペンハーゲンにつき、フェリーを含めて7時間の旅を終わる。対岸、スウェーデンのマルメとはエーレソン/エーレスンド海峡をへだてて20kmしか離れておらず、フェリー経由のバスもあるくらいに往来も多い。ここを延長17.5kmの橋、トンネルで結び、鉄道と道路を通す計画もすすめられている。マルメはスウェーデン第3の都市で、古くはデンマーク領だったところでもあるのだ。

注意  この記事は1996年当時のものです。現状とは異なる点があることをお断りし、旅行などに際しては最新の情報を参照されるようお願いします。

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