路地裏ダンス〜dancing tokyo〜

2008/1/5・6 企画詳細

企画・映像 Y A S K E I
作 ・ 出演 平田 友子
作 ・ 出演 喜多尾浩代

 企画・映像のYASKEIさんも当日パンフで書いていますが、そもそも、『路地裏ダンス〜dancing tokyo〜』という企画は、路地裏とダンサーを出会わせ、その場で起こる反応を記録するという企画でした。ダンサーが路地裏に立つことによって、路地裏に流れる気配、時間、記憶が一瞬鮮明になる、その瞬間を記録するということが目的でした。ですから、当初は、記録映像のみを上映するという企画でした。

 ですが、今回のRAFTでの公演では、ダンサーがその路地裏に身を置いて感じた印象を、劇場空間に持ち込むという試みになりました。そこには、記録映像とはまた違った路地裏の世界(イメージ)がありました。

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 平田さんは、オペラアリアや様々な街の音を使いながら、路地裏の季節がめぐっていく情景を丁寧に紡ぎました。コミカルな動き、力強くリズミカルな動き、静かで荘厳な雰囲気など、サウンドの変化と共鳴するようににムーブメントも変化し、多彩な時間と情景を感じさせました。

平田 当日パンフレットテキストより:
暑い暑い夏、たくさん歩いて歩いて、踊りました。
名も知らぬ社や誰かのお家の軒下や裏庭の植木の前で、暮しの音の中、見知らぬ赤ちゃんやお爺さんの生活の横で。
冬、初春、時はくるっとはんぶん巡りました。
そうして、また、そこに、ふりつもる..

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 喜多尾さんは、天井から電球がひとつぶらさがるだけのほの暗いなかで、扇風機と戯れるようなパフォーマンスでした。さまざまなイメージが揺れては広がり消えていく・・・じっと耳を澄ませていたいような、懐かしいようなちょっと怖いような、そんな時間でした。

喜多尾 当日パンフレットテキストより:
路地裏は、現在に実存するものでありながら、過去の記憶を溜め込んでいるせいか・・・モノ音が臭覚を刺激する。古びた味わい深い存在感であるが、それでいて本当に何気なく、骨董品化されていない日常の場:『路地裏』。
そこでどのように身体が呼応するか?
芝居のセットや舞台美術ではなく、潜在化した記憶をくすぐる現実の生活空間で、どのようにダンスするかが重要に感じられた。そして、それらを劇場という空間で 何をどのように提示すべきなのか・・・そこが一番難しい取り組みだったように思える。

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YASKEI当日パンフレットテキストより:
 「路地裏ダンス〜dancing tokyo〜」は、映像作品として企画・制作しました。しかし、今回は映写と同時に、ダンサーによる公演も行います。劇場という室内空間に「路地裏」がどのように持ち込まれ、表現として立ち上がってくるか、映像作品と一緒にご覧ください。
 2007年の夏、撮影期間中は連日の猛暑だった。テレビのニュースで『今年の蝉はよく啼き、「うるさく感じる都会の住民たち」とレポートがありました。』私の団地もそうでしたが、団地の部屋から外をみると緑の木々が茂っています。本当に今年は蝉の声(羽音)がしっかりときこえ、蝉の命は短いながらも、我生きており、と訴えているようでした。人間だって車や公害で自然を破壊しています。もし地球から蝉や昆虫ががいなくなると地球ではありません。大都会の発展によって破壊されていく街の環境の中で、何とか生き残っている下町の路地裏、この小さな空間は砂漠にあるオアシスのようだと。.

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この路地裏ダンスの企画は、今後もさまざまなダンサーと継続しておこなっていくとのことです。

 

写真:YASKEI

報告:来住真太(らふと)

RAFT