2001年2月8日(木)「ファットマン」

THEORY OF THE LEISURE CLASS・1998・米・1時間49分

日本語字幕翻訳:杉山 緑/ビスタ・サイズ(1:1.66)/モノラル


アメリカはアリゾナ州の田舎町レイクナー。そこにある酒場「ジュリーの店」にタイムズ紙の記者が現れ、勤めていた臨時雇いのものまねの主婦キャリーの話を聞かせてくれという。一端は断るものの、1,000ドルのギャラに惹かれてオーナーのジュリーは決心したように話を始める。

21時よりレイトショー1回のみ上映

65点

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 原題は「有閑階級の理論」で、これは1899年に出版された本のタイトルなのだという。経済学者のソースティン・ヴェブレンが、商業主義がやがてアメリカ社会を崩壊させ、モラルが存在しなくなるという予測をまとめたものだという。正に当たっているようで怖い。そして、それが19世紀末のことだということに驚く。原作者と監督は、現代がまさしくそうなっているとして、本作を作ったのだろう。

 この映画が描き出すのは、TVショッピングで日夜攻撃を受けているどこにでもいるような中産階級の主婦が、モラルを失い破滅していく様。原作を書き脚本も書いているのは、若干20歳の女優の卵、アンバー・ベンソンという人なんだとか。監督はガブリエル・ボローニャという人だが、監督よりは俳優としてのキャリアの方が長い人で、それでも4〜5本の出演作があるだけ。

 それで、出来はどうか。一言でいえば「冗長」。初めから終わりまで一本調子で、メリハリがない。事件の捜査に当たるマクミラン刑事(マイケル・マシュー)の、あまりよく回らないろれつのように、ストーリーはもたもたと進む。

 とにかくテンポが悪い。すでに事件が起こっていることはアバンタイトル(タイトル前の映像)で語られているのに、事件にあまり関係のないそこへ至る経過が長すぎる。チラシなどの紹介では、不審な殺人事件の真相を追う物語のように書かれているが、タイトルからもわかるように、人を殺人へと駆り立てる商業主義に重点が置かれている。それでありながら、主人公の(というかほとんどの登場人物が)異常さが事件の一番の原因となっているのだ。商業主義は主人公をイラつかせる1つのきっかけでしかない。

 やりかたによっては面白くなる素材のはずだが、かなり退屈。随所に「ほう」と思わせるところがあるだけに惜しい。場面転換がTVの砂の嵐になっているとか……。部分はそんなに悪くないのに、全体として見たときにいまひとつだったと。

 魅力ある役者が出ていないのもつらい(「ゴールデンボーイ(Apt Pupil・1997・米)」のブラッド・レンフロが出ていたらしいが、気付かなかった)。

 アメリカではインディペンデント映画として、限定公開されたらしく、IMDbにもデータがなかった。しかし、これは逆に言うとこの程度の出来では人を呼ぶことはできないということ。

 3週目の平日、レイト・ショーの9時40分の10分前に着いたら、ちょうどこれから開場するところ。白髪のオヤジに20代前半と思われる若い女性が2人。つまり300席に合計でたったの4人という寂しさ。まあ、この程度の出来では人を呼べないと言うこと。

 それにしても、インディペンデント映画でこれだけのプロの役者を使って、35mmフィルムで撮影できるところにアメリカ映画界の懐の大きさを感じる。

 予告編の後ちょっとしたトラブルがあったらしく、画面が黒いまましばらくそのままという、まるで40年ほど昔の映画館のよう。

 ちなみに日本語タイトルのファットマンというのは、劇中登場するビリー・ボブのハンバーガー・ショップでオマケにくれるキャラクターのひとつ。


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