2001年6月30日(土)「A.I.」

A.I. Artificial Intelligence・2001・米・2時26分

日本語字幕翻訳:戸田奈津子/ビスタ・サイズ/ドルビーデジタル・dts・SDDS


遙か未来、地球は温暖化のために海面が上昇し、人類の住める陸地が少なくなったため、産児制限を設け、ごく限られた親しか子供を持つことが許されなくなっていた。すでにロボットは人間の生活に欠かせないものになっていたが、子供を持てない親のために子供のロボットまでが使われるようになっていた。そして、最先端の技術で愛をプログラミングされたロボットが1台、作られた。彼の名はデイビッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)、11歳という設定だった。

82点

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 恥ずかしいが、泣いてしまった。静かな、しみ出てきてしまうような涙。じんわりと悲しい。ロボットに感情を持たせてしまうこと。愛をプログラミングしてしまうこと。それは神の行いに挑戦することなのではないか。愛をもてあそぶことになってしまうのではないか。この映画はそういっているようにボクには思えた。

 この映画のロボットは、唯一愛という感情を持つ初めてのロボットで、キー・ワードを7つ入力した相手を永遠に愛するように設計されている。だから、もし親がこれをセットして、不測の事態で愛を返せなくなったとき(愛してあげられなくなったとき)そのロボットはもはや他の人のもとで一緒に暮らすことはできない。廃棄処分にするしかない。

 映画の冒頭で、この愛をプログラミングされたロボットを作ることになる教授の教え子が、次のような質問をする。これは予告編でも使われているので、まだご覧になっていたい人もご存じのことと思う。「ロボットに愛がプログラミングできたとして、人間は愛を返せるのでしょうか」。教授はそれに質問で答える。「神は愛を期待してアダムを作ったのだろうか」と。一瞬、納得してしまいそうだが、よく考えると、このたとえでは神は教授自身ということになる。これこそ思い上がりだろう。それがどんな悲劇をもたらすことになるのか、この映画はそれを描いていく。

 おそらく、この愛を持ったロボットに限らず、人は誰でも愛を求めてこの世に生まれてくるのではないだろうか。誰かが、人が生まれてくるときみんな泣いて生まれてくるのは、その愛が欲しいからだと言ったが、本当にそんな気がしてくる。

 しかし、もう少しよく考えてみると、この物語には無理があることがわかる。究極の愛を描くために設けられた「縛り」、一度セットしたらリセット不可能。これはいかにもご都合主義だ。機械は人間が作ったものである以上、完璧ではない。どこかでエラーが発生するかもしれないから、その場合に備えた対処をあらかじめ組み込んでおく。これが「フェイル・セーフ」という考え方で、1960年代の昔から複雑な機械ほどそれを組み込んで作られてきた。それが、リセットできない、廃棄処分にするしかない、なんていう設定はあり得ないと思う。……って、それを言うとこの映画は成立しないことになってしまうのだけれど。

 それが許せるのは、ひとえにハーレイ・ジョエル・オスメント君の健気さ、かわいらしさにあると思う。ちょっとたれ目で悲しそうな目で「ボクを捨てないで。ボクを愛して」なんて言われたら、どんなイカツイ男でもオヤジならイチコロでしょ。

 それにしても、全くのスピルバーグ映画。どこがスタンリー・キューブリック映画なのかと思ったら(かろうじて、ジュード・ロウ演じる女性用慰安ロボットのシーンが、ディズニー・テイストのスピルバーグに合わないくらい)、その答えは800円もする大型で本棚に入らないでかさのプログラムにあった。


【ただいま執筆中。少々お待ちください】




 初日初回、朝の7時10分からというので、混雑を予想して85分前に行ったら、すでに開場している。おかしいと思ったら「前夜祭オールナイト」という特別興行を急遽実施したという張り紙があった。なんだ、一番乗りじゃないんだ。

 しかも、そのおかげか、空いていてしばらく一人のまま。45分前になってようやく前売り7〜8人、当日券7〜8人の、合計15人ほどになった。30分前から増えだして、30人、50人、100人とどんどん増えている。

 その1/3から1/2近くはオヤジ。女性は全体でも1/4程度。

 前回から続いている感じでも、さすがに初回は全席自由で、10席×6列×左右分の指定席と10席×1×左右分のぴあシネマリザーブシート分も座り放題。しかし、そもそも3.5割程度しか埋まらなかったので、あせって席を確保する必要もなかったわけだが。45分前で十分だったなあ。


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