2002年4月6日(土)「友へ チング」

2001・韓・1時間58分

日本語字幕:手書き、下・根本理恵/ビスタ・サイズ(ARRI 535)/ドルビーデジタル
(日R-15指定)

http://www.chingu.jp



1976年当時、小学生だった地方ヤクザのオヤブンの息子ジュンソク(ユ・オソン)、葬儀屋の息子ドンス(チャン・ドンゴン)、優等生のサンテク(ソ・テファ)、お調子者のジュンホ(チョン・ウンテク)の4人はいつも仲良く遊ぶ親友同士だった。中学は別々になったものの、1985年、4人は再び同じ学校になる。ケンカが強かったジュンソクは学校の番長に、ドンスはNo.2になっていた。そして4人は他校の生徒と映画館で乱闘騒ぎを起こし、ジュンソクとドンスは退学、サンテクとジュンホは停学になる。やがてジュンソクとドンスはヤクザの世界に、サンテクとジュンホは大学へ進学するが……。

76点

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 うーん、「シュリ」「JSA」の記録を抜いたという大ヒット作。いやあ、確かに素晴らしい映画。感動の物語で、涙が……。ただ、やっぱりヤクザの世界というのは、どうも裏切りと欺瞞と暴力の渦巻く、上下関係の異常に厳しい世界で、どうにも見ていて心地の良いものではない。男たちの友情は良いけれど、ヤクザはなあ。

 この映画の良いところは、舞台が首都のソウルではなく、地方都市のプサンだというところだろう。釜山と書くプサン。ここで生まれた彼らは、いつかはソウルへという気持ちがあるし、方言もあって(日本人にはまったくわからないが)どこか今までの韓国映画とちょっと雰囲気が違うのだ。九州が近いから(TVも見られるらしい)、日本語が混じるのもビックリ。公式サイトによると「黄金バット」が出てくるのもそのためとか。パシリを「シダバリ」と言うのは日本語の「下っぱ」からだという説もあるのだとか。長崎の一部では「悪友」や「級友」を「ちんぐ」と言うらしいし。一番近い外国、それが韓国。

 もうひとつ驚くのは、こういった昔を振り返るノスタルジックな話には、いままで必ず悪魔のような日本兵が出てくるものだったのが、まったく出てこない。主要な登場人物の4人は、1966年頃に生まれた設定らしく(監督の半自伝的脚本とのこと)、「スタンド・バイ・ミー(Stand by Me・1986・米)」的で、「太陽の少年(陽光燦爛的日子・1994・中香)」的で、恨み節的ではない。そして、彼らの子供時代というのが、日本とそっくりで驚く。遊びや考えていること、学校、ケンカ、異性……同じだなあと。

 ただ、メインのキャストであるユ・オソンやチャン・ドンゴンらは皆30歳前後。彼らが高校生を演じるのにはちょっと無理がある。坊主刈りに学ランで、どうにか若作りしているが、それでも違和感は残る。ストーリーが予想を超える展開を見せ、気にならないと言えば、気にならない……か。

 相変わらず、女優は美しい。ここでも不良少女役でキム・ボギョンという映画初出現の美しい女優が抜擢されている。なんだか、韓国映画ではいつも見たことのない美人女優が登場するような気さえする。

 脚本も手がけた監督はクァク・キョンテクという人。1966年生まれとは思えない熟練の技を見せてくれる。ニューヨーク大学映画学科へ留学したというのが大きかったのか、もともと天才的な才能を持っていたのかわからないが、すごい人であることは間違いないだろう。要注目。

 公開初日の初回、朝9時からの回は、上映終了後にドンス役のチャン・ドンゴンが舞台挨拶をするということで、異常な熱気。ボクは初日プレゼントがあるというので行ってしまったが、失敗だったかも。

 55分前に着いたら、すでに開場している。こんなことは初めて。嬉しいけど。70〜80人が入場している。男女比は6.5対3.5といった感じで女性が多く、多くは若い女性だ。オバサンは少し。

 それにしても、10席×4列と7席のぴあ席も、全席自由だというのに、ほとんどの人がステージ近くの前方の席に座っている。これも異常だ。映画を見に来ている態勢ではないんじゃない。来ている人種(?)も、まったく参考にならない。それにしても、みんな何を見て舞台挨拶のことを知ったのだろう。ボクはまったく知らなかった。

 初日プレゼントはカップ麺の「辛」。これ、「カル(TELL ME SOMETHING・1999・韓)」のときにもくれたのと同じヤツ。激辛だけどうまい。単純に嬉しい。

 30分前に、756席の1/3ほどが埋まり、20分前に7割が埋まった。10分前には9割になり、最終的にほぼ満席。恐るべし、舞台挨拶の威力。


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