日本語字幕:手書き下、佐藤恵子/シネスコ・サイズ(レンズ)/ドルビーデジタル・dts・SDDS
(米PG-13指定)
ニューヨークの大学教授のアレクサンダー(ガイ・ピアース)は、恋人のエマ(シエナ・ギロリー)にプロポーズしたその夜、ピストル強盗に恋人を殺されてしまう。その悲しみから彼は全身全霊を込めてタイムマシンを開発し、過去に戻って恋人を救おうとするが……。 |
機内上映より感動するし、やはりシネスコは映画らしくて良い。しかし、オリジナルのおもしろさを全く超えていない。単に技術が上がっただけ。確かにCGワークはすごい。そだけで見る価値があるかもしれない。特に悪いところがなすのに、全体としては印象が薄く、なんだったのかと。 ボクが気になったのは、タイムマシンの説得力。オリジナルの「タイムマシン(The Time Machine・1960・米)」は、ちょっとした時間をさかのぼる実験から始まって、ちょっとしたタイム・トラベルを細かに見せてラストに80万年後に飛んでいく。ところが新作リメイクでは。何の実験もなく過去へ1回だけ行き、あとは一足飛びに未来へ。途中2030年や2037年に途中下車するものの、すぐに80万年の未来が舞台になる。これはいかがなものか。観客はタイムマシンが信じられないうちに、置いてきぼりのまま80万年後に突入させられる。 主人公を演じるガ・ピアースは、古いファッショに身を包むと、まるでお猿さんのようになってしまって、いまひとつ魅力的ではない。80万年後に待っている美女マーラを演じるサマンサ・マンバもなんだかお猿さんっぽい。 一番気になるのは「過去に起こったことは変えられないが、未来は変えられる」という主張。ちょっとまって欲しい。時間というのは、主人公の視点から見た流れしかないのだろうか。自由に時間を行き来できるのなら、未来だって、それよりもっと未来から見れば過去な訳だから、すでに起こったことであって、変えることはできないのではないのだろうか。この映画では65億年という未来まで行くのだから、80万年などずっと過去のことのはず。ここを変えたらどういうことになるのか。 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だって過去のことを変えようとするわけだし、「タイムコップ」はその手の犯罪を防止するという設定だ。これから公開が予定されているスピルバーグ監督の「マイノリティ・リポート」など゜は未来に起こす犯罪で、犯罪で逮捕されるというお話だし。いまさら過去は変えられないなんておかしいのではないだろうか。そう言いたいのならもっとタイムトラベル論を展開し、実験などを見せてくれないと。 初日の初回、45分前に着いたらオヤジが1人だけ。45分前になったら人が来だして、30分前に開場した時には30人くらいの列に。半分はオヤジで、半分は若いカップル。 しかし次第に人が増えると、ややオバサンが増えてきた。それにも増してオヤジが増え、男女比は6:4で男性の方が多くなった。最終的には400席の6割半ほどが埋まった。 |