日本語字幕翻訳:戸田奈津子/ビスタ・サイズ/ドルビーデジタル・dts・SDDS
〈アメリカPG13指定〉
姪が突然死したことから、原因を探って欲しいと母親から頼まれたシアトル・ポスト紙の記者レイチェル(ナオミ・ワッツ)は、同級生の間で噂になっている死のビデオテープの話を聞き、調査を始める。すると1週間前に一緒に旅行した3人の同級生も突然死していることを知る。 |
日本版の映画「リング」が下敷きにはなっているようだが、より原作に近い気がする。かなり怖いし、映画的なおもしろさにあふれている。少なくとも1回は全身が総毛立った。 もとより主演のナオミ・ワッツはきれいだし、特殊視覚効果もすばらしく、リック・ベイカーの特殊メイクも恐ろしくていい。ただし、エンディングはどうなんだろう。 エンディングは、アメリカでは何種類か用意されて、スニーク・プレビュー(覆面試写)を何回か実施して、もっとも評価のよかったものを使ったということらしいが、アメリカ公開版と日本公開版のエンディングは同じなのだろうか。というのも、日本ではすでに原作が270万部以上売れたベスト・セラーであり、テレビ映画化され、映画化され、テレビの連続ものになり、映画もシリーズ化され……とにかくほとんど誰でも知っている話が「リング」なわけだ。貞子現象まで起きたわけだから。それを、初めて見るアメリカの反応と一緒にされていたとしたら……という話。 ただ、やっぱり念写とかの表現は欲しかった。それで呪いのビデオが貞子が見た風景ということになって事件の解決の鍵が見つかるわけだから。アメリカ版は映像としての呪いのビデオはすごいけれど、ほとんど映像の謎解きをしておらず、さらりと流してしまう。やっぱりアメリカ的にはこういうことは受けないのだろうか。残念だ。両性具有は映像表現が無理だとしても。 不思議なことに、貞子の呪いなのかアメリカ版貞子ことサマラの怨念か、上映途中でトイレに立つ人が多かった。かく言うボク自身も、上映5分前に出ないオシッコを絞り出したはずなのに、我慢できずにトイレに行ってしまった。こんなことは珍しい。ボクはほとんどいつも、膀胱が破裂する寸前までガマンできるのだが、今回だけはガマンできなかった。クライマックスで中座するよりは、早めの方がいいだろうと席を立ってしまった。しかも、出るは出るは。だって30分前に開場した時点で1回行っているし、5分前にも行っているから出るものがないはずなのだ。朝、特にたくさん水分をとったわけでもないし。やっぱり呪いか。 実は水をイメージさせるカットが多いのだ。まず天気はほとんどいつも雨。音もちょろちょろといかにも水っぽい。そして、サマラが現れるとき、水がつきまとう。これがオシッコ中枢(?)を刺激するのだろう。 細かな恐ろしいカットがサブリミナル的に入れられており、妙に心に引っかかる。これは後の「プロフェシー」とも共通する手法だ。この辺も正統派ホラーと言っていい。残酷さを見せ物にしていないのだ。 どうして原作をもっと取り入れないのだろうか。主人公が女性になっている時点で、原作にしびれたボクはNGだ。「ハリー・ポッター」が大ヒットした理由は、ベスト・セラーを忠実に映画化したからではなかったのか。といいつつも、ボクは「ハリポタ」の映画版をそれほど高く評価しているわけではない。 考え方は2つだ。原作に忠実に作るか、作者のイメージに従って脚色するか。「リング」は前者だと思う。というのも、最初の映像化であるフジテレビの高橋克典主演版「リング(1995)」はほぼ原作通りで、主人公も男性記者で、両性具有もあってめちゃくちゃ怖かったからだ。原作の1ページ1ページがよみがえってくるようだった。つまりTVを通して原作を再体験したわけだ。競演は三浦綺音、演出は瀧川治水という人。映画版リングはやはり違うものになっていた。というか、TV版があったから、同じにできなかったのか。たぶんそうなのだろう。 公開初日の初回、新宿の劇場は65分前には誰も並んでいなかった。混雑を予想して早く来たのに。45分前になってオヤジが5〜6人。おやおや、ホラーって若い女性が多いのが普通なのに。 35分前になって開場したときには20代の男性が増えだし20人ほどに。1/3が20代男性、1/3がオヤジで、残り1/3が若い女性からオバサンといった感じ。やがて小学生の子を連れたお母さんも現れたが、多いのは高校生から大学生にかけてくらいの年代。 最終的に男女ほぼ半々で、中高年が1/3、残り20代というところか。420席の6.5割が埋まった。 |