日本語字幕:手書き下、松浦美奈/ビスタ・サイズ/ドルビーデジタル・dts
1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵入してきた。有名なピアニストのウワディク・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は、ユダヤ人であったことからゲットー(少数民族居住地区)に収容される。やがて居住者はユダヤ人収容所送りになるが、彼を知る友人によってかくまわれることになる。以後、終戦までの約5年間、人目を逃れ隠れ住む生活が続く。
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シュピルマン自身による回想録、実話に基づいた第二次世界大戦の壮絶な逃亡の物語。彼が経験した想像を絶する絶望や恐怖はしかし、彼が著名なピアニストだったということから、ひょっとしたら一般の人たちよりは幸運だったのかもしれない。 シュピルマンは著名なピアニストだった故に収容所送りをまぬがれ、強制労働でも比較的楽な仕事に回され、ユダヤ人を助けたら死刑というナチス・ドイツの占領下でもかくまってもらえた。そして、敵であるドイツの将校にさえ助けてもらうことができた。 過酷と一言ではかたづけられないような経験だが、名もない一般市民だったらどうだったのだろうか。「アンネの日記」のアンネ・フランクはオランダであったけれど、ドイツ軍が占領した2年後から隠れ家に逃れた。終戦をあと1年後に控えた1944年に隠れ家が見つかって絶滅収容所アウシュビッツに送られ、連合軍によって解放されるわずか1〜2か月前、発疹チフスで亡くなっている。映画化もされ、TVドラマ化され、舞台にもなっているから多くの人が知っているだろう。そんな無名な彼女よりは恵まれていた。 収容所でどんなことが行われていたかは、スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト(Shindler's List・1993・米)」を見るとよくわかる。収容所もまた地獄だった。だから収容所送りになるよりは恵まれていたかもしれない。 ただ、彼は逃げ続けていたため、ずっと孤独だったし、迫害が行われている現場に居続けたために、悲惨な場面も数多く目撃していた。それが確かに怖い。餓死した少年が歩道に横たわっていても、だれも気にせず通り過ぎる。死は常に身近な出来事で、ドイツ軍人の気まぐれでいつ殺されるのかわからなかったと。でも彼はほとんど自分からは何もしなかった。周りが彼を助けてくれた。この事実が大きい。 見ていてふと感じたのは、迫害するドイツ軍の軍人たちは、ようするに他国にいるからあんなに酷いことができたのではないかということ。旅の恥はかきすて、じゃないけれど、自国内だったらあそこまで理不尽な振る舞いは、強大な権力を与えられてもできないのではないか。つまり侵略とはそういうことなのだ。所詮は他国。誰か親類縁者や友人が見ているわけでもないという。旧日本軍も同様だったのだろう。 隣に座った若い女の子はかなり泣いていた。泣いて感情をはき出したからか、終わるとサッと席を立って帰ってしまった。ボクはというと、たくさんの悲惨な場面、見渡す限り廃墟となってしまった町並みなど、ショッキングなことが多すぎて自分の中で消化しきれず、すぐには席を立つことができなかった。 ただし、ハッキリ書いておかなければならないが、ポーランドでの話であるにもかかわらず、セリフは英語。主演のエイドリアン・ブロディは、この役のため体重を10kg落として撮影に望んだというが、アメリカ人。でもボクは違和感をまったく感じなかった。なぜなんだろう。ロマン・ポランスキー監督の演出がうまいからか。それにしてもこの監督、すごいのからすっごいのまで、いろんな作品を撮る人で、この前が「ナインスゲート(The Ninth Gate・1999・仏/西)」だからなあ。思いっきりB級。ボクは結構好きだけど。いずれにしても、基本的には怖いヤツということかな。一番はあの怖〜い「ローズマリーの赤ちゃん(Rosemary's Baby・1968・米)」だろう。 怖いといえば、将校がランダムにユダヤ人をピックアップして、地面にはいつくばらせてルガー・ピストルで射殺していくところが怖かった。8人が選ばれ、7人まで射殺されたところで弾がなくなって、トグル・ジョイントが上がって止まる。最後の男は助かったと思ってゆっくりと顔を上げると、将校はなんとマガジン・チェンジをして弾を補給しているのだ。そして……はげた頭部に小さな穴があき、それからゆっくりと血だまりが広がってゆく。地味なだけに不気味で恐ろしくリアル。さすがだ。 本作はアカデミー賞、最有力候補とか言われているけれど、この人、1977年にアメリカでドラッグとアルコールでトンでいた13歳の少女をレイプして逮捕され、保釈中にヨーロッパへ逃亡したため逃亡犯ということになっているのだが、もし受賞したら授賞式に出席できるのだろうか。ポーランドで実際に第二次世界大戦中ユダヤ人として収容所に入れられた経験を持つという人だけに、信じられない話なのだが。所詮、人間なんてそんなものなのかもしれない。喉元すぎれば熱さ忘れるというやつで。 ラストの字幕で、彼が2000年まで生きて88歳で亡くなったと出る。たぶん彼を助けた人々はみんな亡くなってしまっていただろう。彼は戦後大きな十字架を背負って生きていたのかもしれない。それはそれでつらい半生だったかもしれない。しかし、こればかりは本人に確認しなければわからない。うーん。 公開初日の初回、新宿の劇場は60分前で5人の行列。中年の男性3人、女性2人。50分前に10人になり、45分前からは当日券売り場にも行列ができはじめる。25分前、開場したときで前売り25人、当日25人という感じ。 男女比は6対4で男性が多く、ほとんどは中高以上、20代は1割いるかいないか。30代すらも少なかった。下は20代からいたが上はかなり高齢まで。平均年齢は相当高いのではないだろうか。 初回のみ全席自由で12席×5列の指定席も自由。15分前で1,044席の5割が埋まった。最終的には8割ほどが埋まったので、これは優秀。けっして楽しい映画じゃないけれど、ヒットの予感? |