日本語字幕:手書き下、 太田直子/シネスコ・サイズ(マスク、スーパー35)/ドルビー
高校生のベン・クローニン(ジェシー・ブラッドフォード)は、水泳選手として注目を集めていた。スタンフォード大学のスカウトが見学にやって来るという大切な水泳大会の直前、転校生のマディソン・ベル(エリカ・クリステンセン)と知り合い、恋人がいるにもかかわらず勢いで関係を持ってしまう。お互いに1日限りのパッションのつもりが、マディソンは恋人気取りでつきまとい、ついには実家にまで押しかけてくる。
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よくあるサイコ浮気もの。こんな話はどれだけ作られたかわからない。しかも新しい試みが何もなく、たんなる繰り返しにすぎない。ただ舞台が高校で、水泳になっただけ。なぜこんな映画を作ったんだろうか。その意図がわからない。 たとえばこれはマイケル・ダグラスの「危険な情事(Fatal Atraction・1987・米)」だし、もっと古くはクリント・イーストウッドの「恐怖のメロディ(Play Misty for Me・1971・米)」だったりするわけで、メジャーでないものを入れたら似たような話はごまんとある。 話の展開は、まさにワン・パターン。完璧に読めてしまう。ほんの一夜のつもりの浮気が、大切な人まで巻き込んで自分の人生を狂わせてしまう。恋人の友人になり、実家に上がり込み、ストーカー化する。こんな話なら先に挙げた2本を見ればいいわけで、あえてB級の本作を見る必要などどこにもないのだ。 本作が特にいけないのは、浮気に至る過程で何度もやめるチャンスがありながら、一時の欲情に溺れてヤバイと認識しながらやってしまうこと。避けられなかったのではなく、自らはまりこんでいくのだから以下の事件はすべて自業自得だ。それがわからないアホなので、同情の余地がない。しかも、それがわかると女性に対していきなり暴力をふるってしまうという最悪の対処をする。呆れてものも言えない。 この手の話を成立させるためには、主人公がどうしても避けられずに、あるいは完璧に罠にはめられて過ちを犯してしまったときだけなのだ。 ラスト、もう一回犯人がやって来るというのは今やもう当たり前なのだから、この程度のしつこさでは今日日の観客は驚きもしない。15年以上前の「危険な情事」でさえ死んだはずの犯人がもう一度起きあがってきたではないか。この程度では1960年代のホラーとたいして変わらない。 それにしても、なぜシネスコ・サイズなのだろう。こういう閉塞した状況を描くのなら、ビスタ・サイズのほうがいいのではないだろうか。ロード・ムービーで美しい風景が次々と出てくるというわけでもないし。うーん、なんでだろ。 公開8日目の2回目、15分前で20人ほど。驚いたことに男性は3人だけで、あとはすべて20代とおぼしき女性。なんで? この思いっきりB級で、アートでもない作品に女性が来る? どこかの女性誌で、誰かがほめたのだろうか。 |