2003年3月30日(日)「ピノッキオ」

PINOCCHIO・2002・伊仏独・1時48分

日本語字幕:手書き下、 石田泰子/シネスコ・サイズ(レンズ)/ドルビーデジタル


〈仏U指定、独6指定〉

http://www.love-italy.net/pinocchio/
(全国劇場案内もあり、タイムテーブルはなし)

ある日、荷馬車から落ちた丸太が、転がって転がって人形師のジェペット老人(カルロ・ジュフレ)の玄関にぶつかって止まる。ジェペット老人は、思わぬ材料提供にさっそく寂しさを紛らすため、自分の息子のつもりで人形を彫る。するとその人形が突然話し始める。

59点

1つ前へ一覧へ次へ
 うーん、予想通り、ピノッキオがハゲの中年ではお話自体が成立しない。そもそも上映前に、本人のコメントと言ってはいるが、日本語で言い訳が出るのさえよくない。いわく「私は50歳で、もうジェペットじいさんを演じられる歳になりましたが、子供の心を大切に、夢を忘れた大人に贈ります……うんぬんかんぬん」だったら、ジェペットじいさんを演じろよ。言い訳してから映画を上映しなければならないようにしてしまったのは自分のせいでしょ。

 スピルバーグがディズニーに、ピノキオに憧れて「A.I.(A.I.・2001・米)」を撮ったとしても、主人公はあくまでも少年。少年の成長を描いているのだから。

 一方、本作だって少年から大人への成長を描くものだったはず。そして実際ストーリーはそのままで変えられていない。ただ、中年オヤジが出てくるのに、共演者の誰もが彼を少年として扱い、疑問を感じていないのだ。観客だけが疑問や違和感、場合によっては嫌悪感までも感じるという構図になってしまっている。

 ベニーニはペラペラと甲高い声でわめき散らし、ジャージャービンクスのようにカンに障る。ストーリー上、ピノキオは失敗を繰り返すわけだが、あれは何も知らない無垢な少年という前提があるから許せるわけで、どうひいき目に見てもいい歳をしたオッサンが、見え見えの手にダマされたら自業自得としか思えない。

 さらに、どこにも人形らしさがない。それなのに回りは誰もがかわいい人形だと言うわけで、観客はとまどうばかり。だからラストで人間になったと言われても、ちっとも感動がわかない。見たまんまやんけ、というわけで。

 しかも青い髪の妖精は奥さんじゃん。確かにきれいに撮れてますよ。年齢が想像できないほど美しい。全登場人物の中で唯一、特別撮りされている。自分の妻を抱きしめて「ボクの妖精」なんて、よく言いえるなあ。ホント、これでいいの。

 「ライフ・イズ・ビューティフル(La Vita e Bella・1998・伊)」で愛らしかったあの子役ジョルジオ・カンタリーノだっているじゃない。ピノキオを撮りたいのなら、ジェペットじいさんをやれ、ってところですか。

 公開8日目の3回目(字幕版初回)、銀座の劇場は40分前でロビーには20人くらいの人。男女比は4対6で女性が多い。年齢層的には2/3が20代の若者。まあ場所柄もあるんだろうけど。残りはオヤジ以上。

 前回終了の15分前(次回上映の35分前)、自主的に客が列を作り始め、5分ほどしてから劇場の係員がやってきた。うーん、遅いんじゃない。

 指定席は10席×4列にぴあ席10席。しかし最後まで誰も座らなかった。最終的に男女比は3.5対6.5と女性が増え、552席に6割ほどの入り。さすがアカデミー賞のベニーニというところか。

 確かにイタリアの田舎の風景はきれい。美しい。文部省推薦はそれが理由? 映画としてはハッキリ言って、いかがなものかって感じで、文部省で推薦を決めた担当官は責任を問われて良いと思うけど……。

1つ前へ一覧へ次へ