日本語字幕:手書き下、 戸田奈津子/ビスタ・サイズ(1:1.85)/ドルビーデジタル
デニス(レイフ・ファインズ)は、少年のころ母を亡くしていた。果たしてそれは父が殺したのか、自分が殺したのか。現実と妄想、過去と現在が交錯する。
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公開2週目(8日目)なのに、前売り券に書かれている新宿の劇場でやっていなかった。ここへ行けと言われて行くと、そこでもやっていなくて看板が出ていた。こちらに変更になりましたと。行ったら何とそこはマイクロ劇場で座席がたったの56席しかない。それほどヒドイのか。 やっとたどりついて見たら……何が言いたかった映画なのだろう。さっぱりわからない、というか何も伝わってこない。精神異常は完治しないということ? 女性はすべて娼婦だということ? 私がこうなったのは私が悪いのではなく、すべてひとのせい? 不快さとか、居心地の悪さは伝わってくるが、それ以外がちっとも伝わってこない。いったいクローネンバーグはどうしちゃったんだろう。「スキヒャナーズ(Scanners・1981・加)」や「ビデオドローム(Videodrome・1982・加)」のあのショックは? 個人的にひそかにクローネンバーグのベストだと思っている悲恋でもあった「デードゾーン(The Dead Zone・1983・加)」の衝撃は? SFチックな雰囲気はどこに行ってしまったんだろう。 これでは55席の劇場にたった1週間の上映で移されてもしょうがないだろう。もし監督が説明しなければわからないと主張するのだとしたら、映画は失敗したということだろうし、説明が必要な映画なんて映画じゃない。 女性は何人も出ているが、主人公にとっては女性は母一人だったということで、母役のイギリス人女優ミランダ・リチャードソンがほとんどすべての女性を演じている。これはすごい。ちゃんとそれぞれ別人のように見えるから演技力があるということなのだろう。 ガブリエル・バーンもいい存在感を出している。決して高感度の高い役ではない(むしろイヤなやつ)が、説得力がある。こういう人いるなあと。そこがこの人のすごいところなのだ。この人はこう使わないと。「エンド・オブ・デイズ(End of Days・1999・米)」なんかちっとも生きていなかったと思うなあ。まあベストは「ユージュアル・サスペクツ(The Usual Suspects・1995・米)」だろうけど。ボクは「ミラーズ・クロッシング(Miller's Crossing・1990・米)」も結構好きだ。 公開8日目の2回目、劇場はたらい回しの揚げ句56席などというマイクロ劇場へ。スクリーンは80インチくらいだろうか。お金持ちの家庭にならありそうな大きさだ。 かなり早くついたので、ノートパソコンで原稿を書いて時間を潰す。前回終了の15分前くらいで、これまた小さなロビーに5〜6人の待ち。ほとんどは20代後半から30代。女性2〜3人。最終的には56席でも余る15人ほどの入り。女性は5人いたかなという感じ。 予告なしのいきなり上映。うーん、貴重な時間を……。 |