日本語字幕:手書き書体下、松浦美奈/ビスタ・サイズ(with Panavision)/ドルビーデジタル・dts
1923年のイギリスのロンドン郊外もリッチモンドへ、妻で作家のヴァージニア・ウルフの神経症療養のため一家で移り住んでいた。 1951年のアメリカ、ロサンジェルス。1軒屋で住宅街に住み、一見何の不満もなさそうに暮らす一家があった。しかしローラは深い悲しみに捕らわれていた。 2001年女性と同棲するクラリッサは、エイズの治療のため入院しているかつての男の恋人を見舞う。 |
見て後悔した。元気なときに見ないと危険かもしれない。自殺したくなってしまうかも。死んだ方が幸せで、自分の悲しみは誰にもわからない。常に死のイメージがつきまとう1923年の話と、1951年の話と、2001年ニューヨークの話は、ホモやレズといった同性愛者ゆえの複雑な感情、内省的などうどう巡りのジレンマなどによって自壊していく物語。 3つの物語の内、1923年の話と1951年の話は直接関係がない。ただ1951年の主人公は1923年の主人公が書いた小説の愛読者だと言うことだけ。一方、1951年の話と2001年の話は微妙につながっている。うーん、それも意外なつながりかたで。 すべてに共通するのは、緩やかな死への傾き。すべてが死に向かって動いている。救いもない。たとえばトム・ハンクスとデンゼル・ワシントンの「フィラデルフィア」もエイズの話だが、あれには救いがある。これにはない。 みどころは、ほとんどオール・スターという感じのキャストだろう。特殊メイクでほとんど誰だかわからないが、1923年の女流作家ヴァージニア・ウルフを演じるのがニコール・キッドマン。1951年の子供を捨てる母親がジュリアン・ムーア、その恋人らしい女性を「シックス・センス」の母親役のトニー・コレット、2001年のパーティーを準備する主人公がメリル・ストリープで、そのかつての恋人がエド・ハリス。その男の恋人がジェフ・ダニエル、メリルの娘で、人工授精で生まれたのがクレア・デインズ……という具合。こんなに豪華にする必要があったんだろうか。 公開2日目の2回目、新宿の劇場は75分前でロビーに3人ほど。30代くらいのカップルとオヤジが1人。次第に若いカップルとオヤジが増えて、入れ替えの35分前頃に列を作るほどの人に。アカデミー賞が利いているのか。 15分前に入れ替え。この時点で指定席無しの417席の6割が埋まった。すごい。オール・スターにアカデミー賞だ。最終的には9.5割ほどの入り。ほぼ満席といっても良い。男女比は予想どおり、3.5対6.5という感じで女性が多く、しかも中心は20代の若い人たち(8割ほど)。かれらはどこから情報を仕入れているのだろう。落ち込まないのだろうか、こういう映画を見て。ため息ばかりが出る映画だというのに。 なんでも、チラシを配っていて、半券を持ってくれば2回目は1,000円で見られるのだとか。ボクはタダでも、もう1回は見たくない。ごめんなさい。 |