日本語字幕:手書き書体下、丸山垂穂/シネスコ・サイズ/ドルビー
1942年10月、アフリカ、エル・アラメイン。イタリア軍とドイツ軍からなる枢軸軍のアフリカ軍団に対して、負け続けていたイギリス軍を中心とした連合軍は形勢を逆転するため一大反撃に出る。最南端にいたイタリア軍のパヴィア師団は本隊から見捨てられ、食料も水も弾薬もほとんど届かない有様だった。そこへやっと1人の若い学生志願兵セッラ(パオロ・ブリグリア)が配属されてくる。 |
イタリアの戦争映画は、かつては考証二の次でマカロニ・ウェスタンのようなアクション満載の活劇的作品が多かった。それで、この作品もそうではないかと思ったが、タイトルが有名な「エル・アラメイン」だったのであえて見ることにした。第二次世界大戦の中でもこの戦いは枢軸国に押されていた連合軍が攻勢に転じることになる重要な戦いとして知られている。これを負けたイタリア自身がどう描いているのか、とても興味があったのだ。 湾岸戦争、アメリカのイラク侵攻など、近年の状況からも安易に娯楽活劇にすることは出来ないだろうと思った。はたして…… 過剰なアクションも、笑いもほとんど交えず、陽気なイタリア人がじっくりとシリアスなドラマを作っていた。なんでも監督のエンツォ・モンテオレーネが生き残った人たちに話を聞き、また残されていた記録を参考に「再現した」のだという。悲惨な状況と不条理がていねいに描かれていた。爆撃も銃声もリアルで重く、怖い。単館公開のようだが、できればこれはスクリーンで見た方がいいのではないだろうか。 イタリアは1912年に地中海に面したリビアを植民地にした。そして第二次世界大戦が始まると、そこを起点としてエジプトのスエズ運河を取るべく1940年9月に東進を開始した。スエズを取られてはたまらないと、イギリスはイタリアの7万5千人に対し、第8軍3万1千人を投入。緒戦ではイギリスが圧倒的に不利で負けていたが、銃・戦車・砲など新しい装備で逆襲、1941年1月にはイタリアの領内であるリビアのトブルク(この町の名を使った映画も作られている)まで押し返した。 さらに1941年2月には、要所であるベンガジまでも陥落される。これに業を煮やした同盟国であるドイツは増援を派遣することにし、有名なドイツ・アフリカ軍団、砂漠の狐ことロンメル将軍を投入するのだ。彼のアフリカ軍団をテーマとした映画も多い。 ロンメルの活躍により、再びドイツ・イタリア軍はイギリス軍を押し返し、1941年4月ベンガジを奪回、さらにトブルクも奪い返そうかという1941年7月、イギリス軍に救世主が現れる。それが砂漠のネズミことイギリス第8軍の新しい司令官、モントゴメリー(モンゴメリーとも)将軍だ。彼の活躍ももちろん映画化されている。 こうして一進一退を続けるうち1942年の秋を迎える。そしてイギリス軍が一大攻勢を仕掛けるのが1942年10月エル・アラメインで、なのだ。その運命の闘いがこの映画で描かれている。 ただ、残念なことに、戦車などはあまり出てこない。2〜3両のみ。しかも現代の戦車なので、夜とか偽装ネットを掛けた状態のみ。あまり予算がなかったのだろう。激しい砲撃シーンはあるのだが、同じカットが何回も繰り返し使われていた。これがちょっと悲しい。 銃は時代考証が正しく、歩兵たちは7.35mm×51弾を使うカルカノM1938ライフルとカービンを装備しており、将校はベレッタM1934ピストルを持っているし、軽機関銃として6.5mm×52弾を使うブレダM30(小銃弾と弾薬を合わせるのが普通なのに)を使っている。あとはせいぜい迫撃砲くらいしか装備していない。 驚いたのはイギリスの狙撃兵にやられるシーン。カツンという音がしてヘルメットに穴が開く。そして倒れる。これは怖い。たぶん本当にこんな感じでやられたのだろう。すごくショッキングだった。 みな疲れ切っており、しかも味方であるはずのドイツ兵からも見下され、出口の見えない閉塞状況だけがある。しかし、そこはイタリア人の明るさなのか、それとももともと人間はこういうしぶとさを持っているのか、こんな状況の中でも楽しみを見つけ、そして精一杯生きようとする。ここが救いだ。 ラスト、こういう終わり方をするとは。バイクと砂漠というのがなんだか「アラビアのロレンス」を連想させた。一体、この後どうなったんだろうか。奇妙な余韻が残る。 公開初日の2回目。銀座の劇場に20分前に着いたら6人ほどがロビーで待っていた。しかも全員オヤジ。15分前で20人くらいになり、小さなロビーはほとんどいっぱいに。10分前に入れ替えになった。 最終的には内装が新しくなり、イスの配置も変わった177席に2〜3割の入りはちと寂しい。場所柄か若いカップルもチラホラ。エル・アラメインを知っているようには見えなかったが。 |