日本語字幕:手書き風書体下、菊地浩司/シネスコ・サイズ(クレアモント・スコープ)/ドルビーデジタル・dts
(米PG-13指定)
1943年チベットの人里離れた山中で、修行を重ねたある僧(チョウ・ユンファ)が師により究極の奥義を記した巻物の守り手として選ばれ、銃弾をも避けることができるすべての能力を授けられる。この巻物は、まだ人類には極めることができないが、いずれ必要となる大切なものだった。この儀式の直後、巻物を狙うドイツ軍が侵入してきて僧たちは全員は射殺されてしまう。そして60年後の現代、その僧はニューヨークに現れ、地下鉄でスリを働く若者カー(ショーン・ウィリアム・スコット)と出会う。そして何かを感じた僧は彼につきまとうことにするが……。 |
うーん、久々のチョウ・ユンファだったのに。コミックを原作としているだけに、いやそのせいか、まるでコミックの世界そのまま。これを良いとするか悪いとするかは、人それぞれだろう。ボクはチョウ・ユンファが出ているだけで嬉しかったりするが……。もうB級テイストばりばり。ワイヤー・アクションはこんな風に使われるともう見え見え。無理がありすぎて不自然だ。いくらデジタル処理でワイヤーが完璧に消されていても、無いはずのワイヤーが見えてきてしまうのだ。「マトリックス」を意識しすぎ? 何もコミックにそんなにムキになって目くじら立てなくても、というのもわかる。しかし、これは乗れない。だまされにくい。原作に忠実なのか、あえて常軌を逸した世界を描きたかったのか知らないけれど、他の描き方もあったの思うのだ。もっと正当派に、少しだけ枠をはみ出す程度の描き方も。 それが、冒頭から超常現象全開じゃあ観客はついて行けない。前半部分を丁寧にリアルに、普通のドラマとしてじっくり描き、観客が乗ってきたところでやおら超常現象を炸裂させれば、よほどのことがない限り観客は監督について行ってくれるはず。 ドラマの設定としては面白い。東洋的思想の代表として名無しのチベット僧がいて、一方ケチなスリが西洋的思想の代表としている。このふたつが世界の人種のるつぼだるニューヨークという街を舞台にスクリーン上でぶつかり合う。 さらに、主人公はケチなスリなので、生活のために映画館で映写技師のアルバイトをして住み込みで暮らしいてるのだが、その小屋の主人は日本人(あの「砲艦サンパブロ」(The Sand Pebbles・1966・米 )の名優マコが演じている)で、なぜか中国(香港)映画専門館。主人公は毎日カンフー映画を見ているから、自ずと拳法ががうまくなったと。そんなこと、あるかー。「門前の小僧、習わぬ経を読む」ってか。おいおい。だったら高い月謝を払わなければならない拳法教室なんて必要なくなるじゃないか。 しかも銃撃戦がありながら、主人公は坊さん(チベットの高僧)なので、銃で人をあやめたりしない。よく見ると、敵から奪って(何とデザートイーグルの2挺拳銃)手に持った銃だけを狙い撃ちしているのだ。 監督のポール・ハンターというひとは、マライヤ・キャリーのミュージック・ビデオなどを作っていた人らしい。本作が初の劇場公開劇作品。ジョン・ウーはプロデューサーをやっていた。そうだったのか。 公開2日目の2回目。新宿の劇場は30分前でロビーに若いカップル1組にオヤジが3人、20代後半らしき人1人で、女性は1人のみ。たしかにこの作品は女性はあんまり見ないかも。 10分前になって入れ替えになったが、20〜30代と、40代以上が半々くらい。最終的には指定席なしの272席に2〜3割の入り。女性は20代が中心だが10人ほど。 |