日本語字幕:手書き風書体、下、戸田奈津子/ビスタ・サイズ/ドルビーデジタル
(米R指定)
英語の教師フラニー(メグ・ライアン)の家の近くで女性のバラバラ殺人事件が発生、マロイ刑事(マーク・ラファロ)が聞き込みにやってくる。マロイに惹かれるフラニーだったが、事件の経過を聞くうちバーで見かけた男が怪しいと確信するが、暗くて手首の“スペードと3”のイレズミしか覚えていない。やがてマロイ刑事の手首に“スペードと3”のイレズミがあることに気付くが……。 |
うーん、「ピアノ・レッスン」(The Piano・1993・豪)のジェーン・カンピオン監督らしい“生”な感じたっぷりで、エロで、気持ち悪く……しかし感動もなく、冗長で、スリルとサスペンスも希薄。普通ならスリルとサスペンスで盛り上がる作品になるんだろうけれど、監督のこだわりは別な点に向かい、ちぐはぐな印象が。見るべきものはメグ・ライアンのヌードと過激なベッド・シーンのみかも。 のっけが陰毛の隠語から。ブロッコリーと言うんだそうな。いかにもジェーン・カンピオン監督らしい。冒頭のバーのシーンでも、トイレで男が娼婦にサービスさせているのだが、ボカしがかかっていたところから想像するに、オリジナルでは写ってしまっているのだろう。普通、演技なのだし、そこまで描写する必要もないのではないだろうか。いくら主人公のショックとかを表現したかったとしても、ここまで……。 「ピアノ・レッスン」では少女がもどしてしまうシーンがあって、ジェーン・カンピオン監督はしっかりと口からものが出るところまで描写していた。たぶん普通は、はきそうになって振り向くとかして、音だけが聞こえるとかの表現方法をとるけれどジェーン・カンピオンは違う。これは男性と女性の感性の違いなのだろうか。一般に男の方が血に弱いと言われるし、ジェットコースターなどでも本当に弱いのは男の方だと言われる。この違いなんだろうか。 ジェーン・カンピオン監督は「ピアノ・レッスン」のあとにニコール・キッドマンで「ある貴婦人の肖像」(The Portrait of a Lady・1996・英)を撮っており、ボクはとても退屈してしまったのだが、その縁で本作のプロデューサーをニコール・キッドマンが勤めることになったらしい。続いて「タイタニック」のケイト・ウィンスレットで撮った「ホーリー・スモーク」(Holy Smoke・1999・米/豪)は小劇場での限定公開となった。どうやら監督の興味はどの作品においても「生と性」であるらしい。どんな作品を撮ってもすべて似たようなテイストになっている。これが監督の個性であり、それはそれで良いのかも知れないが……。 最初はそれが新鮮な感じがしたが、こう何本も続くと気になってくる。もうわかったよ、という感じがしないでもない。環境音のサラウンドでのつけかたなど、いい感じなんだけど……。ちょっと眠くなった。 都会は女がひとりでは危険だと持っているピストルがFNのベビー・ブローニングとは今どき珍しい。 公開初日の初回、銀座の劇場は50分前ですでに17人の行列。男女はほぼ半々で、だいたい男性の方がやや若くて20代後半からという感じ。ただ全体としては中高年が多い。 40分前になって行列は30人ほどに。30分前に開場したときには40人くらいになっていた。 全席自由で左寄りにピンクのカバーのレディース専用席が3列あった。初回は2階の189席(これだけで小劇場規模)もすべて自由。最終的には2階は6割ほどが埋まった。 入場システムが最近変わったらしく、前売り券を持っていても、当日受付で当日券と交換しないといけなくなった。いわゆる全席指定入れ替え制というやつだ。これはめんどうくさい。ただ、1週間くらい前から購入交換できるので、当日並ばなくても席は確保できるらしい。で、初日の初回はどうなるの? 席を確保するため、わざわざ1週間前に劇場まで行かないとならないの? ああ、面倒くさい。 |