2004年4月24日(土)「ロスト・イン・トランスレーション」

LOST IN TRANSRATION・2003・米・1時間42分

日本語字幕:丸ゴシック、下、松浦美奈/ビスタ・サイズ/ドルビーデジタル

(米R指定)

http://www.lit-movie.com/
(入ったら音に注意。全国劇場案内もあり)

最近映画出演の少なくなったハリウッド・スターのボブ・ハリス(ビル・マーレー)は、日本のウィスキーのコマーシャルの仕事を受け、撮影のため東京にやってきた。そして妻からのFAXや電話、言葉の通じない国にいる孤独感などから眠れない日が続いていた。そんなある日、カメラマンの夫について東京にきていたシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)と知り合う。シャーロットは仕事の忙しい夫とすれ違いが多く、彼女もまた眠れない夜を過ごしていた。

70点

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 タイトルどおりの映画ではない印象を受けた。つまり日本語がわからず、通訳を介しても気持ちがうまく伝えられず苦労するアメリカ人の話……ではなくて、ピークを過ぎてしまったハリウッド・スターが、言葉の通じない国のCMに出る(ハリウッド・スターは自国のCMは絶対やらないというし、他国でもあまりCMはやらないのが普通)ことに対する引ひけめ、25年連れ添った妻と気持ちが通じなくなってしまったストレス、子供の誕生日を忘れてしまった自分への責め……。異国で感じる孤独感に拍車がかかる、そういう話だと思う。

 ようするに場所は日本でなくても良かったのだ。アメリカではない言葉の通じないどこかの国であれば。そこで孤独感のようなものを感じられる国であれば。そこで自分を見失い、あがくが結局何も起こらない。

 シャーロットにしても学生結婚で、2年目になり夫が働くようになるとすれ違いが多くなり、孤独感を募らせている。もちろん言葉は通じない。次第にホームシックになってしまう。

 当然2人の間に心のつながりのようなものが芽生え、それ以上発展しそうな気配を見せる。しかし、それ以上はお互いに不倫であり(たぶん精神的にはある意味不倫なのだろうが、すくなくとも肉体的には不倫ではない)、それは許されないことだ。だから問題は大きくなる。普通の映画はその先を描くことが多いが、本作では思わせぶりだけで、結局何も起こらない。これはイキそうなのにイカせてくれない風俗と一緒なのでは? 金取っておいて何だよ、っていう。

 実際には何も起きていないのに、映像によって不思議な印象とある種の感動までもたらす映画、というのは多くの監督が目指すところのようだ。しかし、ボクが今まで見たものの中で、そういう映画には1本しか出会っていない。あとはそれをやろうとして失敗した悲惨なものばかり。

 その映画とは「去年マリエンバートで」(L' ANNEE DERNIERE A MARIENBAD・1960・仏/伊)。内容としては、主人公がはたしてそれは去年起こっていたのかどうか悩み、探ってみるというだけのもの。それをダヤリスコープ(ディアリスコープ)・モノクロのシンメトリーを強調した絵画のような美しい画でつないでいく。つまり映像が主で、そしてそれによって感情を揺さぶろうと意図された映画なのだ。これが映画というものの本来目指すべきところなのかもしれない。しかし成功した例は、「去年……」以外にない……。ひょっとして本作もそれを狙った? 西洋人からは理解しがたい日本、なかでも奇妙な東京を舞台にして、ストーリーによらず、映像体験を主とした作品。アメリカでこの映画が受けたのは、そういうことだったのか。

 もし、そうだったとしたら、この映画は日本人が見ても新しい映像体験は得られない。そこに写っていることは当たり前のことなのだから。驚きも感動も、ましてカルチャー・ショックもない。

 ある映画評論家が「この映画の東京の理解は底が浅い」というような意図の発言をしていたが、孤独感を募らせた異邦人が自分を見失い、それを取り戻そうとあがく映画なら、最初から東京の掘り下げなど必要ない。主人公と同程度の理解でなければ、孤独感が募ることにならないし、信条の描写につながらない。場所は重要ではないと思う。単に味付けに過ぎない。

 公開2週目の初回、55分前に渋谷の劇場に着いたら、前売りの列に15人、当日の列に10人ほどの列が。前売り15人中、男性は4人だけで、あとは女性。しかもほとんどは大学生くらいの年齢層のみ。かなり狭い。

 35分前に2列に並ばされ、30分前に開場。2階席も自由だったので、2階へ。25分前に2階は8割、1階は6.5割ほど埋まってしまった。この異常人気は、あの傑作「アメリ」(Amelie・2001・仏)以上だそうだが、アカデミー脚本賞のおかげか。ボクは「アメリ」の方がずっと面白かったと思うが……。

 15分前に2階は9.5割、ほぼ満席に。場内の照明が後付の急ごしらえのようなもので、サイド光で直にあたり、本が読みにくい。またスクリーン横にはカーテンがあるが開いたまま。いきやなり始まるので焦らしがない。

 客観的にはビデオで十分な気もするが、スカーレット・ヨハンソンがきれいなのでギリギリOKか。


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