日本語字幕:手書き書体、下、栗原とみ子/シネスコ・サイズ(レンズ、in Panavision)/ドルビーデジタル
(米R指定)
23年ごとに地上に現れて、23日間、人を食いまくるという魔物が現れる。近隣の町を襲った後、22日目にある農場に現れ幼い次男を連れ去った。父タガート(レイ・ワイズ)と長男は武器を自作し、後を追う。23日目、高校のバスケット・チームを載せたバスが襲われる。まずタイヤが手裏剣のようなもので引き裂かれ、走行が不可能になってしまう。さらに、無線も携帯も通じず、助けを呼ぶこともできなくなる。そして一人ずつさらわれていく……。 |
前作「ジーパーズ・クリーパーズ」の翌年に作られた続編が、日本では1年遅れて公開。アメリカではそこそこ評判が良かったようなのに(IMDbでは評価が逆)なぜ。日本では受けないという判断か。 ひょっとすると、監督も兼任しているヴィクター・サルヴァという人が書いた脚本は、もともと長かったのかもしれない。それを切るのは惜しいから、前後編2つに分けて作ることにしたのではないかと思えるような続編。あんなに酷い評価だったのに続編が作られるのは、それしか考えられない。 ただ、本作は前作よりは面白かった。都市伝説だとか、行ってはいけないところに行くだとか、余計な設定を省いた分、とても単純な構造になった。それで余裕ができた分を、すべてモンスターと人間の戦いに集中できた。ちょっとだけ悪い癖が出て、変な予知夢のようなものを見る少女が出てくるが、まあどうにかガマンできる範囲。せっかく超能力らしく描いているのに、その場限りで伏線になっていないし、まったく意味なし。怖がらせるネタに使いたかったということか。 追いかけられる。だから逃げる。実にシンプルで、映画誕生の昔からある基本ネタ。しかし、それをこれでもかと工夫を凝らして、徹底的に描くと面白くなってくる。「エイリアン」(Alien・1979・米)シリーズのエイリアンvsリプリー、「ターミネーター」(The Terminator・1984・米)シリーズのロボットvs人間、「サラマンダー」(Reign of Fire・2002・米)のドラゴンvs人間、「チャイルド・プレイ」(Child's Play・1988・米)シリーズの人形vs人間……どれも徹底している。 それにしても殺しても死なない(ゾンビと違って、頭を吹き飛ばしても人の頭をもぎ取って自分のものにしてしまう)相手を、一体どうやって殺せばいいのだ、という話。ここはつらい。いくらがんばっても、倒すことができないのだから、ただひたすら逃げるしかない。 燃やすというのはどうなんだろうか。再生するための基がなくなれば、抹殺できそうな気がしたが。なぜモンスターの体を残すのか理解できなかった。復活させるため? 続編が作れるように。爆弾で粉々にするとか、誰が考えても手はありそうな気がするが。それらを否定してくけないことには、欲求不満が残る。 それ以外はおおむね良好。復讐に燃える父を演じる「ツイン・ピークス」のローラ・パーマーの父、リーランドをエキセントリックに演じたレイ・ワイズがいい。ここでもエキセントリックだが、杭打ち器をモリ打ち砲に改造して「ラットパトロール」のトロイ軍曹のようにして撃つ姿はおもわず拍手をしそうになるほど。 タイトルは最初に出ず、すべてが終わってエンド・ロールの最初に出る。これって、タイトルを恥じているとか悪いイメージを引き継ぎたくなかったってこと? 公開2日目の2回目、40分前に新宿の劇場に着いたら、ロビーにオヤジが3人。30分前くらいから人が増えだして10人くらいに。1/3が20代、若い女の子が1人。15分前くらいに列を作るよう案内があり、10分前に入れ替え。 最終的には、前席の頭が気になる指定席なしの209席に6.5割くらいの入りは立派。小学生くらいの5人グループがいたが、こんなに残酷シーン満載の映画を見せるのはいかがなものか。老若比は4対6でやや中高年が多く、女性はほとんど若い層で10人ほど。 それにしてもレンズを使った本物のシネスコ・サイズとは恐れ入った。フランシス・フォード・コッポラは大丈夫なのか。 |