日本語字幕:手書き書体、下、戸田奈津子/シネスコ・サイズ(レンズ、in Panvision[IMDbではSuper 35(マスク)とある])/ドルビーデジタル・dts・SDDS
(米R指定)
1882年アメリカ西部、牛を放牧しながら移動して暮らすカウボーイたちがいた。老カウボーイのボス(ロバート・デュバル)、相棒のチャーリー(ケビン・コスナー)、料理人のモーズ(アブラハム・ベンルビ)、見習いの少年バトン(ディエゴ・ルナ)の4人だ。やがて彼らは、ある町の近くにたどり着く。食料を仕入れるためモーズが町に行くが、もどってこない。心配したボスとチャーリーが町に向かうと、モーズは怪我をして留置場に入れられていた。 |
くわーっ、久々の正統派西部劇。まいった。ここまで真正面から西部劇らしい西部劇を描かれると、それだけで感動を覚える。年齢を超えた男の友情、正義、意地、誇り、人を思いやる心、寡黙な流れ者、じーさま、横暴な悪漢たち、腐敗したマーシャル、美女とのロマンス、決闘……これは、素晴らしいとしか言いようがない。西部劇ファンのケビン・コスナー、面目躍如といったところ。作品に惚れ込み、プロデューサーを買って出たばかりか、メガホンも取り、主演までしてしまっている。 荒唐無稽な話にすることはせず、運命に突き動かされるように決闘へと向かっていく男たちを淡々とリアルに描いていくところに好感が持てる。広大な西部の美しい風景と、心をいやすようなゆったりとした音楽、アメリカの町々はこのようにいろんな事件を乗り越えて今のように築き上げられてきたのだという、フロンティア・スピリッツを感じさせる歴史のようなもの、それらが心にスーと入ってくる。 セリフの1つ1つがまた、いい。心にしみる言葉がいくつもある(人によって違うだろうが)。「人との関係を大切にしろ」「人から受けた恩を忘れるな」……「男だろう」というセリフもある。これはキツイ。男なら命をかけて何かを守らなければならないときがあると。 そして、対照的に描かれるラスト20分以上続く激しい銃撃戦。ケビン・コスナーは見事なファニングを見せている。そして弾が飛んでくる感じがあって、怖い。黒色火薬の煙と、大きな太鼓を思いっきり叩いたような乾いた銃声。ちょっと遅れて着弾する煙のでない弾着効果。近距離でもなかなか当たらない銃弾。クリント・イーストウッドが製作・監督・主演しアカデミー賞を受賞した「許されざる者」(Unforgiven・1992・米)で描かれた、カッコ良さだけではないリアルさがここにもある。 決闘シーンは「真昼の決闘」(High Noon・1952・米)の理想バージョンという気はした。あの映画で主人公の保安官は1人で3人の悪党どもと戦うことになるが、こちらは2人対8人。しかも町の人たちは遠巻きにして、誰も手を貸そうとしない。そして似たような戦いの展開をするが……ここからが違う。 決闘ものに欠かせない協力者のじーさまがいる。西部劇には欠かすことのできない、とぼけた味のじーさま。これがまたいい。ウォルター・ブレナンが演じていたようなじーさまではなくて、黒澤明の「用心棒」(1961・日)で東野英次郎が演じていたような事件に無関係のじーさま。演じるのは「グリーン・マイル」(The Green Mile・1999・米)で鼠を飼っていたじーさま演じたマイケル・ジッターという人。マカロニ・ウェスタンでも欠かせないキャラクターだが、ハリウッド・ウェスタンでもジェフリー・ルイスとか欠かせないピッタリの人がいる。マイケル・ジッターもいい。 これに対照的な若造も必要だが、本作ではいるもののあまり重要な役ではない。これは残念。 とにかくロバート・デュバルがいい。円熟味を増し、風格というか貫禄までもが味がある。もう老人の年齢だが、後輩を厳しく指導し、熱い魂を捨てていない。暴力で仕掛けてくるのなら受けて立つ。決して逃げない。それでいて、人には優しく、医師の姉を「誰にも優しくする。あれは本当のレディだ」なんて言ったりする。すばらしいキャラクターで、しかも存在感があってリアル。 悪徳保安官は、こういう役がピッタリのジェームズ・ルッソという人で、「ビパリーヒルズ・コップ」(1984・米)で、最初に殺し屋に殺されるエディ・マーフィーの友人という役をやった人。大川俊道監督、の「ダブル・デセプション 共犯者」にも出ていた。字幕では保安官と出るがセリフではマーシャルと言っていたから警察署長。連邦保安官もマーシャルだが正確にはフェデラル・マーシャルで、大統領が任命する高官なので、ここではたぶんタウン・マーシャルのことだと思われる。一般的には町長によって任命される。普通の保安官はシェリフで、町民の選挙によって選出される。つまり、本作のシチュエーションでは町の実力者の飼い犬のようになっているので、シェリフよりはマーシャルの方がいいというわけ。カウンティ・シェリフというのは郡保安官で、郡全体から選出された保安官。 まだ無煙火薬が普及する前の話なので、銃は全て黒色火薬。撃つと白煙が舞い上がる。ちゃんとウィンチェスターM73を使っているが、元ガンマンのケビン・コスナーはオクタゴンだったりするところにこだわりが見えて良い。拳銃もケビン・コスナーは重い方が良いと言ってキャバルリー(7.5インチ)を使っていたりする。一方ロバート・デュバルは、チラッと映っただけだがどうもレミントン・アーミーのM1875のようだ。イエロー・ボーイも出ていた。 もちろんホルスターは考証的に正しいオールド・タイプのループ・ホルスター。バンダナももちろん風呂敷のようにでかい。長いコートに、チャップス……いうことなし。 それにしても、ウェスタンでカフェは初めて見た。ちゃんとセリフでカフェと言っている。このころからあったんだ。ダイナーみたいな食事も出してコーヒーを飲ませるところが。 公開2日目の初回、銀座の劇場は45分前に付いたらすでに10人ほどが並んでいた。ほとんどは中高年の男性で、20代の女性らしき人が2人、オバサン1人。天気の良い日でかなり熱かったが20分前になるまで開場してくれなかった。うーん……。 開場した時点で30人ほどの入り。指定席はナシ(特に真ん中あたりの席から見にくいので、指定席があったら怒るが)。10分前で177席の5割ほどの入り。その8割は中高年。それも白髪が多い。西部劇だとこういう感じなのだろうか。 最終的には8.5〜9割ほどの入り。なかなかだが、都内ではミニ・シアター以下の2〜3館しかやっていないので、入りが良いのかわからない。 どうも最初からスクリーンが開いていて、カーテンがないのは風情がない。それと、画面中央あたりにまた変な二重丸が一瞬出たが、目の錯覚だろうか。パンチ・マークは右肩に出るので違うし……。ややピン甘も、この劇場では……という感じ。悲しい。 ちなみに原題の「オープン・レンジ」というは調理器具の名前などではなく、牛の放牧が許される公共(オープン)の範囲、放牧地(レンジ)のことこと。この決闘のきっかけとなる牛の放牧地を表している。ついガン・ファンや西部劇ファンは「レンジ(射撃場)」という言葉から銃撃戦の方を想像してしまいがちなのだが。 ああ、長くてすみません。 |