日本語字幕:丸ゴシック体、下、/ビスタ・サイズ(1.66上映、IMDbでは1.85)/ドルビーデジタル・dts・SDDS
父親のいないウォルター少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、母親が速記学校に入学するため田舎の親戚の家にあずけられることになった。その家には2人の老兄弟、ハブ(ロバート・デュバル)とガース(マイケル・ケイン)がひっそりと暮らしていたが、大金を隠し持っているともっぱらの噂だった。やがてお互いうち解けると、ウォルターは老兄弟の若い頃の冒険譚を聞くが、それはとても信じられないような夢物語だった。 |
楽しくて、優しくて、泣けた。思わず両目から涙が出た。気持ちの良い涙。そして、じーさんのカッコ良さ。老人はただ年を取った人ではなくて、知識と経験の宝庫だということが伝わってくる。さらに、「真実かどうかは問題じゃないんだ。信じるかどうかが問題なんだ」というメッセージが強く伝わってくる。 ウォルター少年は、男にダマされ続け嘘ばかりついている母親に育てられ、疑ってかかることが当たり前になっている。それなのにいきなりとんでもない冒険談を聞かされることになり、最初はほとんど信じていない。 大金を持っているらしいが、周りからは、銀行強盗をして得た金だとか、マフィアから盗んだ金だとか言われる。しかし、兄じじいはケンカが本当に強いし、古いトランクの中には砂漠の砂と共に美しい女性の写真がある。一体、真実はどこにあるのか。しかも過去のエピソードはコメディー・タッチで描かれ、まさにファンタジー、夢物語調。はたして……。 とにかく、2人の老人がすばらしい。ロバート・デュバルとマイケル・ケインという両名優が演じているので、本当に存在感があって、魅力的なおじいちゃんになっている。こんなおじいちゃんに育てられたら、りっぱな大人になれそうな気がする。真剣に「本物の男についてのスピーチ」なんてしてくれる人はいないだろう。「ワイルド・レンジ」(Open Range・2003・米)でも同じようなことが言われているが、今アメリカはそういう気分なのかもしれない。 頑なな老人達も、母親に捨てられたウォルター少年の素直で明るい性格にゆっくりと心を開いていく。そして、何かのセールスマンが来るとショットガンをぶっ放して門前払いにしていたのが、話だけでも聞くようになり、ついには色んなものを買って人生を開いたものにしていく。少年も優しさと強さと、冒険心を教わる。 少年の周りの環境の悪さと、老人の遺産を狙う“こすい”親戚達は、カリカチュア的なものだけれど、うんざりさせるに充分なもの。ところが“いかにも”のタイプなので、“悪役”として許せてしまう。最後にはやっつけられるんだと。つまり、このへんがファンタジーたる所以。 動物園で飼われていたという雌ライオンのエピソードがいい。だから原題は「セコハン(中古)のライオン(ただし複数だが)」なのだ。なるほど。きっと多くの人がこのライオンの話で涙を流してしまうと思う。そして、映画のラストとも深く関わってくる。 原作はアメリカの雑誌で「スクリーンで見たい良質な脚本No.1」に選ばれたそうで、書いたのは監督も務めるティム・マッキャンリーズという人。最初はアシスタント・プロデューサーから始めたようだが、すぐに脚本を書き始め、メジャー作では感動アニメの「アイアン・ジャイアント」(The Iron Giant・1999・米)の脚本を手がけた2人うちのひとり。あの少年の冒険とか勇気とかジャイアントの優しさなんかは、すべて本作に通じている気はする。特にライオンとジャイアントの設定はそっくり。あれも涙ものだったしなあ。 公開2日目の初回、銀座の劇場は60分前で7〜8人。驚いたことに中高年のみ。女性が3人。55分前に開場し、初回のみ全席自由。2Fの指定席189席もすべて自由。ぴあせきのカバーが掛かった席が11席×1列あった。 2F最前列はかなり見やすい。早い開場で、またまたガマンできずにコーヒーを……。しかも200円なのにうまい。ただしカーテンなしのスクリーンむき出し。最初からビスタ上映(1.66)とわかる。アメリカ・ビスタだから1.85だと思うんだけど……。 最終的には2F席は1/3位の埋まり具合。ほとんど中高年で、男女比は4対6で女性の方が多かった。女性誌でほめそうな感じはする。 映画が終わってトイレに向かうと2人のオバサンの会話が聞こえてきて、「やっぱりCGじゃないのよ。これよね」とか大声で話していたが、派手な効果を使っていないだけで、実際にはCGはかなりたくさん使われている。現代の映画はもはやCGなくしては語れないほどなのだ。エンドロールにあれだけたくさんのCGアーティストの名前が出ていたのを見ていなかったのだろうか。彼女の説で行けば「ファインディング・ニモ」(Finding Nimo・2003・米)は完璧にダメだと。言いたかったのはテクノロジーに頼った映画はダメだということなんだろうけど。 |