日本語字幕:手書き風書体下、松浦美奈/シネスコ・サイズ(2.2比率上映?、マスク、ARRI)/ドルビーデジタル、dts、SDDS
(米R指定)
紀元前336年、父王フィリッポス(ヴァル・キルマー)が何者かに暗殺され、息子のアレキサンダー(コリン・ファレル)は20歳で即位する。そして周りの国々に戦いを挑むとそれらを打ち破り、勢力をアジア方面にどんどん拡大していくのだった。 |
描きたかったのは何なのか。一大帝国を作り上げた男の35年の激動の一生か。それとも策略や陰謀が渦巻く当時の揺れ動く状況の中、偶然にもその地位を手に入れた男は、本当はヒーローなどではなかったのだということか。それがあまり伝わってこなかった。ラジー賞候補になったのもうなずける。 どうにも盛り上がらず、ラストに向けてどんどんテンションが下がり、暗い気持ちでエンディングを迎える。歴史的事実はそうだったのかもしれないが、映画としては実に地味な印象で、もっとエンターテインメントを期待していたボクにはちっとも面白くなかった。 話題の戦闘シーンも、CGを使ったモブ・シーンがすごいだけで、どの部隊がどこをどう攻めているのかさっぱりわからない。なぜ「ガウガメラの戦い」において、たった4万の軍勢で25万ものペルシア軍に勝つことができたのか。戦いの前に行われた作戦会議も、軍の動かし方を議論するのに、各部隊の動きを見せずに、将官たちとの軋轢とアレキサンダーの専横断行ばかりが描かれる。オリバー・ストーン監督には戦闘が具体的にどう行われたかには興味がないのだろう。戦闘がいかに悲惨で、結果がどうだったかだけにスポットが当てられている。もちろんそれは必要なことなんだけど……どうやって勝てたのかがわからなければ、指揮官の偉大さもわからない。偶然で25万の軍を打ち破れないだろうに。 ただ考えてみれば、もともとオリバー・ストーン監督はエンターテインメント作品を撮る人ではない。脚本家やプロデューサーとしても関わった作品を見て見ると、「ミッドナイト・エクスプレス」(Midnight Express・1978・英/米)、「サルバドル 遥かなる日々」(Salvador・1986・米)、「プラトーン」(Platoon・1986・米)、「7月4日に生まれて」(Born on the Fourth of July・1989・米)、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」(Natural Born Killers・1994・米)……なとどなど、いずれも悲惨な話で、楽しめるといった類いでは決してない。忘れていたボクが悪い。 ひょっとしたら、真実のアレキサンダーを描こうとすればこうなるのかもしれない。たいした実力も無く、たまたま運良く王位を継承し、ある種いきおいだけで臣下というより部下と呼ぶべき武官たちを有無を言わせず引っ張っていって、政治を行わずただ戦いに明け暮れた。憎しみに溢れていた母のトラウマで女性を愛することができず、男性にそれを求めた。そして揚げ句の果てには、それら部下たちの意見を聞かなかったことから、みな離れていき失意のうちに短い生涯を終えたと。 何度か語られる「世界を自由なものにしたい」という崇高な志も、スクリーン上で描かれるアレキサンダーの言動を見聞きしているととても信じることはできない。ただのセリフにしか聞こえないのだ。 しかし、どうなんだろう。悲惨な話でも、希望のある終わり方はあると思うし、もっと違った描き方もあったのではないだろうか。たぶんそんな違和感を多くの人が感じたから「ラジー賞」候補になってしまったのだ。 オリバー・ストーン監督、主演のコリン・ファレル、蛇好きの母を演じたアンジェリーナ・ジョリー(巻き舌撥音がまた気に障る)と続々と「ラジー賞」候補にあげられているなか、特に酷かったのが父王フィリッポスを演じたヴァル・キルマーだろう。何かに憑かれているようで(主要人物はみなそうなのだが)、監督の演出なのか自身の演技なのか、まったくわけがわからない狂人のように感じられた。B級の低予算アクション「ブラインド・ホライゾン」(Blind Horizon・2004・米)の方が力が抜けていた分、演技が自然で良かったような気がする。 ラジー候補者以外はほとんどこの映画では描き込まれていない。だからアレキサンダーとの関係がみな希薄で、よくわからない。なぜ彼に従うのかも、戦勝の褒美・金めあてとしか思えない。最後の方で離れていくのは当然としか観客の眼には写らない。 インドにたくさんある小国のひとつの王女を、「メン・イン・ブラック2」(Men in Black II・2002・米)や「ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン」(The Rundown・2003・米)の黒人女優ロザリオ・ドーソンが演じているのだが、どうにもインド人には見えなかった。劇中、アレキサンダーは部下たちから同じマケドニア人と結婚しろと再三忠告されることになるのだが、彼女がまったく原住民には見えず説得力が無かった。オリバー・ストーン監督にとってはその程度の認識しかないのか。もっと言えばマケドニア語が本当なのだろうが、英語劇なわけだし。(「K-19」(K-19: The Widowmaker・2002・米/英/独)でロシア語でないことを思いっきり級弾していた女性評論家はこの作品を何というのだろう) 公開初日の初回、銀座の劇場へ平日のタイムテーブルと間違えて30分前に着いたらすでに開場済み。ただ初回のみ全席自由(それ以降はすべて全席指定入れ替え制)だったので、2Fへ行くと6割ほどが埋まっていた。 ほとんどは中高年で、白髪が目立つ感じ。血が飛び散ったり手足がもげたりと、かなり残酷シーンもあるのだが日本では年齢規制がなく、下は中学生連れのファミリーもいた。 男女比はだいたい半々。最終的には2Fは8割ほどの埋まり具合。今後どうなんだろう。ラジー賞候補は伊達ではない。 タイトルは素晴らしかった。ヒエログリフや古代ペルシアのくさび形文字などが鮮やかにアルファベットに変わっていくという手法。これはみごとだったが、クレジットにデザイナーの名前がない。うーむ。 |